くじびき はずれ の 見た世界

シニア初級者というのに世間知らず。
少年のようなつぶらな瞳?
そろそろ大人の記事を書きたい毎日です。

幕末・長州藩邸跡地の贅

2012年11月12日 21時09分31秒 | ソウダKyotoへ

廬山寺を出た頃には時刻も14時半を過ぎ、京都府立医大病院前バス停から河原町通りを3つ
京都市役所前の停留所はこの方面からだと市役所の真東。
そこから鴨川に向いて行くと鴨川から江戸時代初期(1611年)に角倉了以・素庵父子によって、
京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河高瀬川がある。

幕末・長州藩邸跡地の一部、その二条木屋町の高瀬川の基点、一之船入の南側で水を取り入れて
庭園の池とする雄大な伊集院兼常の邸宅が建てられたとするのは明治25年頃だと言う。
その後持ち主が何回か変わり昭和29年に満正の院号をとって宗教法人廣誠院(山号は保水山)に
改組、臨済宗の単立寺院として現在にいたっている。

今回の京都非公開文化財特別公開の中で元来は寺院でなかった場所は、
残念ながら5日で公開を打ち切った冷泉家とここ廣誠院ではないかと思います。
あ、北野天満宮もありました。

数寄屋造りの書院や茶室、素材や組み合わせなど随所に意匠を凝らした
様々な仕掛けが見てとれる。

滅多に公開されることの無い秘仏や秘宝を見て回るのも主催者側の今回のテーマであり、
目的のひとつであったと思う。
もちろんそれは理解してここまで見てきた6件で目を皿にして、老眼初期の目を細めれるだけ
細めてきた。

社寺仏閣という枠にこだわらなければ僕はここが一番のお気に入りの場所となった。

自分チの家の庭を横っちょの川から水を引き込み、その造形の一部として利用し、汚すことなく
元の川へ返す。
その造形に沿って庭の通路を作り橋を架け、茶室をその池の上に建てて居間とつなげる。
池の中に沈めた石を礎に細い束を建て・・・  もう たまりまセヴン

ここのこの時の説明担当の女学生はもう唾液も切れたようなヘタなしゃべり方だったけれど゜
言わなきゃイカンことはシッカリ告げてくれました。

とても気分よくここでリタイヤして帰ろうかと思った3時35分。
受付終了までまだ25分あるやんか・・・   
もう京都市役所前の停留所から京都駅行きのバスに乗っていました。

それが駅へ戻る為でなく、次の目的地へ向かおうとしていたことは言うまでもありません。

まだまだ引っ張ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暦に載りにくい面白こよみ 十一月十三日 (普通の暦は すーサンのブログの文末にてご覧ください)
いいひざの日
ゼリア新薬が制定。
「いい(11)ひざ(13)」の語呂合せ。