こんにちは「中川ひろじ」です。

みんなのお困りごとが私のしごと

池田町大峰高原カエデ

2011-10-26 22:23:28 | 季節風物

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仙台発松本行き

2011-10-26 20:30:57 | 活動日誌
仙台から自主避難されているAさんのお話の要旨。

■地震
3月11日、その日は下の子どもの保育園の謝恩会でした。突然強い揺れが3分間ほど続きました。数日前にも震度4-5の強い揺れがありましたが、3分も続く地震は初めての経験です。最初の揺れからすぐに子どもを園庭に連れ出しました。雪が降った後でぬかるんでいました。お母さんの中にはストッキングのまま飛び出た人もいてグチャグチャニなっていました。保育園そのものは被害が無かったので、それぞれが帰路につきました。近くにある学校へ長女を迎えに行き家に帰ると、ベッドの上にいろいろ落ちていて、これが夜だったら死んでいたかもしれないと思いました。内陸なので津波の被害はありませんでした。まず考えたのは、夜の暖房の確保です。これまで電気を使うFFファンヒーターやオイルヒーターを使っていましたが、親の部屋は灯油ストーブだったのでみんなでその周りに毛布や布団にくるまって一晩を明かしました。夜は怖い。農家の人はビニールハウスで過ごした人もいます。プロパンガスは使えたのは幸いでしたし、水源に近く水も濁っていましたがチョロチョロ出ていたことも幸いしました。職jの材料を探しにコンビニへ走りましたが何もありません。翌翌日から人を制限しながら販売を始めていました。ガソリンスタンドも、スーパーもどこでも長い行列です。灯油は父親の同級生がスタンドをやっていてもってきてくれたので助かりました。ガソリンは1週間たってからようやくタンクローリーが入ってきて、整理券を配って支給されました。5日目で電気が水道が復旧しました。学校は4月の中旬から始まりましたが給食は6月に入ってからです。乳製品や納豆が手に入りませんでした。
■放射能
3月14日ころからワンセグやラジオで福島原発で水素爆発が起きたというニュースを知り、これはえらいことが起きていると知りました。発電機でパソコンはつかえたのでインターネットを通じて情報を収集しました。それまでは、原発は安全なものと思い込んでいました。(つづく)
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