リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

【謹告】バグのお知らせ

2023年06月10日 22時00分24秒 | 音楽系
中級者向けのバロック・リュート曲集「イバリピ2」にバグが見つかりました。購入して頂いたかたにはお詫び申し上げます。

バグがあったのは14ページの「10.Allemande」です。8小節目の次に1小節抜けていました。修正したページを以下のリンクからダウンロードしてお使い下さるようお願い致します。

10. Allemande

以上よろしくお願い致します。

日本でリュートが始まった頃(10)

2023年06月09日 15時17分33秒 | 音楽系
一方ギターもまだ弾いていて、大学3年生の頃には、中部日本ギター協会主催新人演奏会に出演したり、愛知県在住の若手ギタリストグループに入れてもらって一緒にコンサートをしたりしていました。その少しあとにはギター教室で教えたりレストランのギター弾きをすることになります。四日市でギタージョイントリサイタルを行ったのは大学4年生時1974年の3月です。

どういう経緯だったかは忘れましたが、大学の4年先輩(卒業生)でリュートに関心がある方に出会うことがありました。その方とは今も交流がありますが、東京在住で東京のアマチュアグループがあることを教えてもらいました。

N氏の楽器を入手する少し前の72年3月には公的に募集した初めての古楽講習会が静岡県の御殿場市で開催されました。このことについては以前のエントリーで書きました。

この講習会はバッハのカンタータ198番の蘇演がテーマで、この曲を演奏するのならリュートを弾く人が来ているに違いないということをねらって参加しました。予想どおりSさんとNさんがリュート奏者として参加されていました。Sさんがサネッティの楽器を持ってきていて、見せて頂いてがっかりしたのは本連載(7)で書いた通りです。

Sさんはその後オランダのアムステルダムに留学されましたが、残念ながら思わしくなく現地に留まり別の職を得て成功しました。Nさんはドイツのケルンに留学されましたが3年くらいで帰国しました。帰国後一度お目にかかったことはありましたが、その後の消息はわかりません。

日本でリュートが始まった頃(9)

2023年06月08日 17時25分46秒 | 音楽系
その製作家は加納木魂氏。今も現役で製作されている方です。早速試作中の楽器を見せてもらいました。弾いてみてびっくり!私が持っているN氏の楽器とは全く異なります。とても良く鳴るのです。その場でその試作中の楽器を売ってもらえないかお願いしました。始めは少ししぶっていましたが、最終的にはゆずってもらうことになりました。

N氏の楽器は東京の方の愛好家の方に声をかけたら、すぐに買い手が見つかりました。当時はリュートをやってみようかという人がとても多かったのです。それはその母体(分母?)となっている大ボリュームゾーンたるギター愛好家の数が半端ではなかったからです。比率からすればそれほどではないでしょうけど、なにせ分母が大きかったので絶対数としては結構あったと思います。(この話はあとでもう少し書きます)

さて買っていだく方と連絡をとり、名古屋の日本楽器のはす向かいにある大きな喫茶店兼レストランで手渡すことができました。何でも日本航空の職員の方で飛行機でこちらにいらしたとのこと。声かけから手渡しまであっという間でした。

N氏はバロックリュートも作っていて、その形状は「戦艦大和」と言われるくらいペグボックスが大きく長く、ペグ自体も異様に長くペグボックスから出ていました。N氏の楽器を弾くリュート奏者H氏の写真が現代ギター誌某号の冒頭グラビアを飾っていました。こちらは10コースの楽器ですのでバロック・リュートほどは戦艦大和していませんが、でも戦艦長門くらいはいくかも。


全く異形のリュートというしかありません。

こちらは私の楽器。さすがに戦艦は陰を潜めていますが、それでもペグボックスの造りが間違っています。この楽器のペグ、実は「片支持」なのです。


結局N氏の楽器が私の手元にあったのは数ヶ月で、その楽器を使って一度もコンサートはしませんでした。

日本でリュートが始まった頃(8)

2023年06月08日 12時35分29秒 | 音楽系
その頃佐藤氏は現代ギター誌にとても沢山の寄稿をしていまして、当時のヨーロッパの古楽情報(主にリュートですが)がほぼリアルタイムで知ることができました。

佐藤氏の連載記事からヨーロッパのリュート事情はよくわかりましたが、当時の日本は全く遅れていてそのギャップの大きさに悶々としていました。リュートが欲しくても、まだそもそも歴史的な楽器は存在していませんでした。というか歴史的な楽器がまだ存在していないということもわかっていませんでした。

現代ギター誌の広告でリュートを作るということをうたっていた製作家が一人だけいました。N氏です。1年生の夏頃にそのN氏に楽器の製作を依頼しました。完成は少し先で3年生の始め頃になったと記憶しています。その間必至でアルバイトをして楽器代を貯めました。

晴れて楽器を東京まで取りに行き、帰ってから楽器を調整したのですがどうもその楽器はうまく鳴ってくれません。肝心なところの音が死んでいるのです。20万近くしたと思うのですが、そのときの落胆は大きかったです。1972年5月頃です。

ちょうどその頃名古屋でリュートを試作しているギター製作家がいるということを知り、その製作家のスタジオに行ってみました。スタジオは大学からはほど近いところにありました。

日本でリュートが始まった頃(7)

2023年06月07日 19時15分11秒 | 音楽系
先述の1969年11月号の現代ギター誌にサンドロ・サネッティの工房を訪問する記事もありました。「アルベルト」という名前までついた楽器の紹介もありました。それはとても美しい楽器で、ブリームのリュートとは全くことなる「本物」のリュートの音が鳴っているような感じさえしました。

でも実は後日1972年に実際にサネッティの楽器に触れたときはがっかりしました。その楽器はとても軽く作られてはいましたが、音は全然前に出ませんでした。軽く作ればいいというわけではないというがわかりました。

高校生活後半の受験準備(この間は完全にギター断ちしました)を経てなんとか大学に入学しましたが。大学で友人達とギターの同好会を立ち上げ、そこでギターを弾いていましたが、もうリュートに片足くらいは軸を移していました。

少し戻って1970年、まだ受験生でちょうど大学受験の少しまえに、現代ギター誌2月号で佐藤豊彦氏による実用リュート講座の連載が開始されました。大学に入り、現代ギター誌を購入しましたら同講座がすでに3回目か4回目に入っていたので、バックナンバーを取り寄せました。

iOS17

2023年06月06日 19時52分56秒 | 日々のこと
Apple の iOSのバージョンは今は16.5ですが、つぎのiOS17が発表されました。そしてなんとiPhone 8ではもう新しいiOS17はインストールできなるとのことです。

2017年の発表から6年経つiPhone8ですが、ついに最後通牒を突きつけられた感じです。もっとも完全に使えなくなるわけではないでしょうけど。iPhone8のサポートは再来年までされるというのをどっかで読んだことがありましたが、実質的にはもう潮時だということでしょう。

3月に私はiPhone14に乗り換えましたが、ちょうどいいタイミングだったと思います。古いiPhone8はメルカリに出したら、あっという間に売れましたから。今だったら売り物が一気に出てくるでしょうから簡単には売れないと思います。

新しいiPhone14は今のところ快調です。重量もiPhone8から20数グラム増えただけなので、ポケットに入れて出かけても違和感は全くありません。Face IDは指紋認証の方が便利なときがときどきありますが、まぁこれは慣れの問題かも知れません。

日本でリュートが始まった頃(6)

2023年06月05日 22時56分48秒 | 音楽系
ドンボワ氏が手の故障で弾けなくなったことに関してですが、ネットに「事故」で手を痛めて弾けなくなったとしたり顔で(かどうか知りませんが)解説している記事がありましたが、そうではありませんよ。

氏の手の故障に関しては1972年4月の静岡県御殿場市における古楽講習会場で氏に近い筋の参加者から聞きました。

バッハアルバムを制作する際に不明の原因で右手で弦が弾きにくくなり、手術をしたのですが、結果が思わしくなく(多分手術の際どこかの神経を切ってしまったのかも知れません)弦を弾く動作ができなくなったという話でした。

1979年にバーゼル・スコラカントルムで氏のレッスンを受けた際には、やはり弦を弾くことはできず模範演奏はできませんでした。しかし鍵盤楽器は弾くことができ、クラヴィコードで音を出してレッスンをしていただきました。

日本でリュートが始まった頃(5)

2023年06月04日 17時39分45秒 | 音楽系
ブリームが来日する1年ほど前、1967年6月佐藤豊彦氏は渡辺範彦氏とジョイントジョイントリサイタルを東京文化会館小ホールで行っています。佐藤氏はその少しあと欧州留学し(行き先は覚えていませんが)その後ギターから転向しリュートを学ためにスイスに向かいます。1969年11月号から現代ギター誌に「ヨーロッパのリュート」の連載開始します。

この67年~69年の3年間は私の高校生時代。偶然でしょうけど私がリュートに強い関心を持つようになった時期と氏がスイスに向かった時期は重なります。まぁ私の方は田舎でちょろちょろしていただけですが。

実はこれらの事実はリアルタイムで知っていたわけではなく、70年に大学生になりその頃買い求めた現代ギター誌のバックナンバーを読んで知ったことです。

「ヨーロッパのリュート」連載第3回「・・・現代リュート演奏復興の一代目をゲルビッヒとしますと、EドンボワやMシェッファーは二代目にあたるわけです。そして彼らこそ本当の意味での歴史的演奏を再現しつつあります。しかし未知のことはまだまだ多く、その仕事の大変は我々三代目に継がれることになるかもしれません・・・」

ドンボワが早い時期に手の故障で弾けなくなり、シェッファーが早世したことを予見したわけではないでしょうが、この予想は結果的には当たりました。

HSBC問題解消!(4)

2023年06月03日 16時09分46秒 | 日々のこと
5月の終わり頃、デスクトップで仕事をしていると携帯に電話がかかってきました。表示をみるとHong Kong ・・・と出ていました。電話を取るとHSBCからでした。

私の手紙をきちんと読んでいだけたようで、お詫びの電話でした。今回は少しなまりはあるものの普通に話ができる方でした。そしてこの電話でセキュリティ・デバイスに書いてあるシリアルを伝えたらアクティベーションするとのことでしたので伝えましたら、嬉しいことにこれでアクティベーションが完了とおっしゃる。確認するために、電話をつないだままで実際にアクセスしてみましたら、見事自分のアカウントに到達できました。

画面には「前回のアクセスは2021年11月x日」と出ていました。1年半近くアクセスできなかったわけで、この日付を見たことは感動的でした。ついでにATMカードも使えなくなっているので、使えるようにしたいと伝えましたら、必要書類を送ってもらうことになりました。ただそれにはサインが必要で、私がどういうサインをしたか覚えていないといいましたら、漢字4文字のサインだと教えてくれました。これ、以前の電話サポートにアルファベットなのか漢字なのかくらいは教えてほしいとお願いしても、忘れたなら香港に来てサインを変更してくださいという内容のオウム返しでした。

書類を添付したメールがすぐに届きましたが、それをみると今回対応してくれた方は結構上の役職の方でした。そう、最初からこの人が出てくれていれば、30分もかからなかったのです。

今回は政治的緊張とコロナ禍が重なっていたので事態がややこしくなってしまったのですが、そういう時であってもやはりきちんと正面から訴えることはとても重要なことだと思った次第です。最終的にHSBCにおいてはユーザーの側に立って対処していただき感謝です。

HSBC問題解消!(3)

2023年06月02日 21時33分59秒 | 日々のこと
コロナ禍の収束がようやく見えてきた今年の3月の始めにHSBCからメールが来ました。曰く、2年間まったく取引をしていないのでこのままだと5月x日をもって口座を凍結します。これには驚きました。こちらは取引をしたくてもできないのです。そこで考えたのことが、こちらから送金することです。これだとHSBCのサイトにアクセスする必要はありません。これも取引ですからx日までに入金すれば取引したことになります。

実はその送金が少し前にこのブログで書きました送金サイトWISEを使った送金です。送金完了後A4二枚にわたる長文の手紙を郵送しました。今までの流れをきちんと書き、もっとユーザーの立場に立った処置をしてほしいと訴えました。実際セキュリティ・デバイスをアクティベートするには銀行側のコンピューターをちょちょっといじるだけで可能なはずなので、なんでそんな簡単なことがでけんのや!というような内容を書きました。

とは言うもののもうあそこは政治的な理由で沢山の優秀な人が流出しているかもしれず、もう行くしかないと腹を決め、8月終わり頃に行く予定を立てHISのサイトで航空チケットを調べて予約しようかとしていた矢先、事態は急展開しました。