月曜日は公民館主催の「市民ふれあい学級」「香坂山遺跡に日本最古の石器作りを学ぶ」がありました。
この講座、遺跡の現地視察の後の座学でした。
実際はコロナで現地視察は中止で、個々にどうぞのご案内をいただいて夫と私は幸いにも、埋め戻し前の貴重な遺跡を見ることができました。
その後、日本最古の遺跡と言うことで、市内でいくつかの勉強会も開催され、それにも出席して、ますます興味をかきたてられていました。
8月30日のはずの講座が12月13日になりました。
参加された方は20人ちょっと。マスクに隠れていましたが、あの方、この方とお知り合いの方がいらっしゃいました。
自分のことは棚に上げて「おじいさん」になっていてびっくり(笑)
内容は今までの復習ですが、目新しいこともいっぱいです。
今まで肝心の石刃の話がいまいちでしたが、今回はその辺りを詳しく伺いました。
でも・・・・・理解できたかは別物。
37000前、前後は旧石器時代、氷河時代で寒冷時代。海面は下がっていて瀬戸内海に海はありませんでした。
北海道はサファリンを通じて大陸と陸続きだったとのこと。どうやってホモサピエンスがやってきたか、なんとなく納得です
遺跡は現在はミズナラに覆われているけれど、その時代は森林ではなく草原で、ヘラジカなどの鹿類、ナウマンゾウ、バイソンなどの大型時獣がいたらしい。
大型獣がいたから、それを狙ってここにきたのだろうと。
八風山の噴火によるガラス質黒色安山岩が地上にあったから。
近くに湿地があって動物の水飲み場で狩猟しやすかったから。
香坂山遺跡には定住したのではなく・・・・・・なんたって今でも涼しい場所・・・・・狩の場所、そして道具を作る場所だったのではと。
私が一番心惹かれるのは地層。
過去の浅間山を始め、鹿児島の山の噴火の灰の積もり具合が一目瞭然。石刃の発掘した場所まで深さ3メートルはありそう。
でも今回、全部そこに積ったものだけではなく、2次災害で流されてきたものが積み上がったらしいと。
そうだわね。何十センチも灰が降るのはよっぽどのことだもの。
富士山の噴火で16日間降り続いて150センチから180センチもに積もったという、新田次郎著の「怒る富士」を思い出してたわ。
浅間の噴火による噴煙は群馬側に流れて、地元にはあまり降らないけど、ただ香坂山はそのエリアにあったから。
研究者ってすごいのね。発掘した石刃を、もとの形に復元するのね。
たぶんその頃の石刃は割っただけで、2次加工をそんなにしていないということなのね。ほんとびっくり。
香坂山遺跡がタジキスタン共和国のフッジ遺跡から発掘された石刃と似ているところから、日本最古の遺跡となったのだけど、すごいロマン。
つまり日本にきたホモサピエンスは中央アジアの石刃の作り方を伝えているということなの。
そして独自なのは刃先を研磨してあるものもあって・・・・・ますますロマンをかきたてられる。
最後に佐久市が来年度から、今回の発掘現場の周囲の発掘を続けるらしい・・・・・・。
今回発掘した国武さんは、このまま次世代に残しておいて欲しいと言っていた。
もっともっといろんな技術が発達すれば・・・・・・見えてくるものが違ってくるから。
私もその通りと納得した。
でも時の皆さんは、これだけの遺跡をそのままにしておけないのかも。
誰だって、あの森林に囲まれた遺跡の発掘地。その周囲にはどれほどのものがあるのだろうかと期待してしまう。
でもねえ、その頃の一族の人数って何人位なのでしょうね。どう想像しても3桁の数字は考えられない。
彼らの行動範囲は残されているものから想像するしかないけれど、栃木県の石もあったり、離れた場所の黒曜石も一緒に発見されている。
旧石器時代と言われつつも、時代は新石器時代にむかっていたのかな。
こんな楽しい講座、次に続けて欲しいわ。
お読みいただきありがとうございました。
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