院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

地震雷火事親父

2013-03-10 02:25:06 | 歴史
 怖いもののたとえに地震雷火事親父という言葉がある。この言葉がいつごろできたのか、はっきりとは分からないが、少なくとも木造のしっかりした建物ができてからだと思われる。

 縄文時代、竪穴式住居に人が住んでいたころは、地震も火事もそう怖いものではなかった。地震が起きて住居が潰れても、藁の屋根ならば下敷きになるということはなかった。火事も一軒だけ燃えればそれで終わりになるし、一間だけしかない竪穴式住居では逃げ遅れることもなかった。

 地震では津波が怖いことは東日本大震災であらためて認識されたが、津波を伴わない地震で怖いのは建物の倒壊と火事である。瓦屋根が崩れて大きな重量の下敷きになることは致命的である。そこで火事が起きれば被害はもっと広がる。

 つまり、地震の被害とは要するに建物による被害である。ということは、地震被害は実は人災なのである。

 だから縄文時代の生活に戻れば、地震も火事も怖くない。そういう生活に戻れないところに、地震や火事の怖さがある。

 まだ都市がないころには人間が密集していなかったので伝染病もなかった。地震も火事もみな都市型の災害である。地震を自然災害だと言い切ってしまうのには抵抗がある。繰り返すが、都市がなければ地震は怖くもなんともないのである。

 だから、地震雷火事親父という言葉は、そう大昔からある言葉ではないと考えたのだが、読者はどう思われるだろうか?