神経心理学または大脳病理学と呼ばれる学問分野がある。これは、脳のどこがやられると、どういう症状が出るか、またはどういう機能が失われるか、ということを研究する学問分野である。
この学問は戦争があると進歩するが、そうでないときにはほとんど進歩しない。なぜかというと、脳がピンポイントで破壊されるケースは銃創によるもので、そのような「症例」が多産されるのは戦争をおいてないからである。
脳のどこそこがやられると認知がこうなるという知識が蓄積された。これらは脳機能の局在論を支持するものであるが、神経心理学はこうした知識の蓄積から脳機能や精神機能全体を推し量ることはしなかった。
一方、いま流行の「脳科学」だが、そもそも「脳科学」という学問分野は存在しない。新しい脳の観測技術が出てきて、脳の血流などを測れるようになった。脳のどこが活発だとどんな精神機能が起こるということが、いくらか推測できるようになった。しかし、脳の血流が活発な部位が「活動している」と解釈するのは飛躍である。そうした飛躍の上で、「脳の活動」と精神機能を強引に結び付けようとしているのが、「脳科学」を標榜する学者もどきがやっていることである。
「脳科学」はエセ科学である。私には「脳科学者」は、ロールシャッハテストをやっているように見える。ロールシャッハテストは無意味な左右対称のインクの染みを見せて、それが何に見えるか問うテストである。
ロールシャッハの図版に動物の像を見た人がいるとしよう。その人は「ここが耳でしょ」、「ここが鼻でしょ」と説明する。そうすると説明された人にも、無意味な図形の中に動物の像が見えてくる。
脳の観測データの山に対して、「脳のここの場所の活動が活発になるでしょ」、「刺激を与えると、こんどは別の場所が活発になるでしょ」、「そうすると、脳は感情が昂ぶるわけです」、「前頭前野は意志をつかさどっていますから、次はこうなります」というように、勝手な解釈を延々と繋げていく。こうした発想をロールシャッハと言わずになんと言ったらいいだろう。
本来の研究データを知らない聴衆は、なんだかそのような気分にさせられてしまう。これは、まさしく騙しのテクニックである。自ら「脳科学者」と名乗って、テレビや雑誌に出ずっぱりのM氏は年に億単位の金を稼いでいるという。大衆やマスコミを騙して大金を稼いでいるのである。
この学問は戦争があると進歩するが、そうでないときにはほとんど進歩しない。なぜかというと、脳がピンポイントで破壊されるケースは銃創によるもので、そのような「症例」が多産されるのは戦争をおいてないからである。
脳のどこそこがやられると認知がこうなるという知識が蓄積された。これらは脳機能の局在論を支持するものであるが、神経心理学はこうした知識の蓄積から脳機能や精神機能全体を推し量ることはしなかった。
一方、いま流行の「脳科学」だが、そもそも「脳科学」という学問分野は存在しない。新しい脳の観測技術が出てきて、脳の血流などを測れるようになった。脳のどこが活発だとどんな精神機能が起こるということが、いくらか推測できるようになった。しかし、脳の血流が活発な部位が「活動している」と解釈するのは飛躍である。そうした飛躍の上で、「脳の活動」と精神機能を強引に結び付けようとしているのが、「脳科学」を標榜する学者もどきがやっていることである。
「脳科学」はエセ科学である。私には「脳科学者」は、ロールシャッハテストをやっているように見える。ロールシャッハテストは無意味な左右対称のインクの染みを見せて、それが何に見えるか問うテストである。
ロールシャッハの図版に動物の像を見た人がいるとしよう。その人は「ここが耳でしょ」、「ここが鼻でしょ」と説明する。そうすると説明された人にも、無意味な図形の中に動物の像が見えてくる。
脳の観測データの山に対して、「脳のここの場所の活動が活発になるでしょ」、「刺激を与えると、こんどは別の場所が活発になるでしょ」、「そうすると、脳は感情が昂ぶるわけです」、「前頭前野は意志をつかさどっていますから、次はこうなります」というように、勝手な解釈を延々と繋げていく。こうした発想をロールシャッハと言わずになんと言ったらいいだろう。
本来の研究データを知らない聴衆は、なんだかそのような気分にさせられてしまう。これは、まさしく騙しのテクニックである。自ら「脳科学者」と名乗って、テレビや雑誌に出ずっぱりのM氏は年に億単位の金を稼いでいるという。大衆やマスコミを騙して大金を稼いでいるのである。