私たち精神科医は、崩壊家庭は情緒障害や非行の子どもを生みやすいと思っていた。子どもの発達には家庭環境が大きくものを言うと考えていた。これは昔からのことで、孟母三遷すとか、朱に交われば赤くなるとか、子は親の背中を見て育つとか、氏より育ちとかいって、親を初めとする環境が子どもに及ぼす影響は計り知れないというのが常識だった。
ところがドイツの科学ジャーナリスト、R.デーゲンは、そうではないという。彼が言うに、たまたま情緒障害の子どもの家庭を調べたら崩壊家庭だったかもしれないが、崩壊家庭であったことが情緒障害の原因とは言えないのだそうだ。崩壊家庭と情緒障害や非行を結びつけるにはエビデンス(証拠)がないとデーゲンは主張する。
つまり、こういうことだ。公平に調査をして情緒障害児や非行少年が出てくる家庭を見てみると、普通の家庭からそのような少年が出てくる確率と、崩壊家庭から出てくる確率に違いはないというのだ。すなわち、崩壊家庭とそのような少年には関係があるとする仮説にはエビデンスがないということになる。
同じことが児童虐待にも言える。虐待された子どもは大人になると、ふたたび自分の子どもを虐待するようになると言われている。虐待の連鎖という考え方だ。しかしながら、デーゲンがいろんな調査を調べてみると、虐待している親がそのまた親に虐待されていた確率は、一般人口に発生する虐待の確率より大きいわけではないから、虐待の連鎖という主張にはエビデンスがないという。だから虐待の連鎖は神話に過ぎないとデーゲンは結論付けている。
私たちは子どもとは白紙のようなもので、外部からどのような色でも付けることができると教わってきた。じじつ日本人の子どもは日本語を、イギリス人の子どもは英語をしゃべるようになるではないか。
デーゲンは言語のことについては言及していないが、子どもイコール白紙説を排除する。子どものほうが環境を選び、親をしてなんらかの行動を起こさせるのだという。確かにきちんと調査しなければ、本当のことは言えない。要は厳密に統計をとることだ。その結果もし、情緒障害や非行が環境と関係があるという主張にエビデンスがなければ、そういった子どもをもつ親たちは周囲の白い目から解放され、相当に救われるにちがいない。そして冒頭に掲げた諺や言い習わしは、思い込みに過ぎないと捨て去られることになるだろう。
註:ロルフ・ゲーデン著『フロイト先生のウソ』、文芸春秋、2006年。
ところがドイツの科学ジャーナリスト、R.デーゲンは、そうではないという。彼が言うに、たまたま情緒障害の子どもの家庭を調べたら崩壊家庭だったかもしれないが、崩壊家庭であったことが情緒障害の原因とは言えないのだそうだ。崩壊家庭と情緒障害や非行を結びつけるにはエビデンス(証拠)がないとデーゲンは主張する。
つまり、こういうことだ。公平に調査をして情緒障害児や非行少年が出てくる家庭を見てみると、普通の家庭からそのような少年が出てくる確率と、崩壊家庭から出てくる確率に違いはないというのだ。すなわち、崩壊家庭とそのような少年には関係があるとする仮説にはエビデンスがないということになる。
同じことが児童虐待にも言える。虐待された子どもは大人になると、ふたたび自分の子どもを虐待するようになると言われている。虐待の連鎖という考え方だ。しかしながら、デーゲンがいろんな調査を調べてみると、虐待している親がそのまた親に虐待されていた確率は、一般人口に発生する虐待の確率より大きいわけではないから、虐待の連鎖という主張にはエビデンスがないという。だから虐待の連鎖は神話に過ぎないとデーゲンは結論付けている。
私たちは子どもとは白紙のようなもので、外部からどのような色でも付けることができると教わってきた。じじつ日本人の子どもは日本語を、イギリス人の子どもは英語をしゃべるようになるではないか。
デーゲンは言語のことについては言及していないが、子どもイコール白紙説を排除する。子どものほうが環境を選び、親をしてなんらかの行動を起こさせるのだという。確かにきちんと調査しなければ、本当のことは言えない。要は厳密に統計をとることだ。その結果もし、情緒障害や非行が環境と関係があるという主張にエビデンスがなければ、そういった子どもをもつ親たちは周囲の白い目から解放され、相当に救われるにちがいない。そして冒頭に掲げた諺や言い習わしは、思い込みに過ぎないと捨て去られることになるだろう。
註:ロルフ・ゲーデン著『フロイト先生のウソ』、文芸春秋、2006年。