院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

一流に疲れる・その1(ゆるキャラブーム)

2013-03-27 04:36:32 | 社会
 私たちは一流の仕事を見せつけられすぎて、疲れてしまったのではないか?

 つまり、こういうことである。私たちは優れたデザインに囲まれている。自動車会社は毎年デザインの粋を尽くした車を発表する。家電製品はグッドデザインマークを望んでデザインされる。家具は北欧のデザイン性に優れた商品が珍重される。建築は安藤忠雄さんが持てはやされ、少しでも新しいデザインが追求される。

 わが国は戦前まではここまでデザインにうるさくなかった。だから、デザインにこれほど金をつぎ込むことはなかった。そのため、デザイナーという商売が成立しにくかった。

 昭和27年、専売公社はたばこのピースのデザイン(鳩が月桂樹をくわえている図柄だ)を、アメリカのデザイナー、レイモンド・ローウェイに当時の金で150万円を出して頼んだ。総理大臣の月給が11万円の時代にである。

 ピースのデザインは現在でも残っているし、いまだに斬新である。そのころから、デザインはおろそかにしてはいけない、金を積まなければ良いデザインはできないということが理解されるようになった。

 こうして私たちは、優れたデザインに囲まれるようになった。デザインにはデザイナーの執念が詰まっている。それらの執念は、さあどうだと毎日私たちに迫ってくる。そのような現状に、私たちは少し疲れてきたのではないかと言いたいのである。

 いま、ゆるキャラブームである。ほとんどのキャラクターは、ダサい。役場のおじさんが片手間に作ったような「作品」ばかりである。ご当地のゆるキャラに順位をつけて、熊本のクマモンが一位だという。昔ならほとんど信じられないことである。

 クマモンが一位になったのは、まぐれである。あんなに取るに足りないキャラクターたちに順位を付けること自体がお遊びのようなものである。だが、クマモンの経済波及効果は1000億円というから、あながち侮れない。

 そのような現象が生じるのは、私たちが一流のデザインに疲れてしまったからではないか?というのが、ここでの私の主張である。末流のデザインであるゆるキャラは私たちを安心させてくれるのではあるまいか。

 同じような現象が、料理の世界にも出てきているように思われるのだが、それについてはまた次回。