院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

洋菓子との出会い(1)(ショートケーキ)

2014-09-16 05:23:27 | 食べ物

クックパッドより引用。)

 「三丁目の夕日」の時代、すなわち東京タワーはできたが新幹線や東京オリンピックはまだの時代、私は東京にいて中学生でした。

 食生活が劇的に改善しました。それまで塩じゃけがおかずでしたが、そのころハムカツが発明されました。ウスターソースをたっぷりかけて食べて、ちょっと贅沢な気分になりました。(少し高価ながらハム自体はそれまでにもありましたが、それをフライにしたのが画期的だったのです。)

 お菓子は煎餅、団子、饅頭だったのが、まれに洋菓子に接するようになりました。それまでも、自由が丘の「モンブラン」など有名洋菓子店はあったのですが、高価で手が出せませんでした。

 なぜかうちに洋菓子のレシピ本がありました。パティシエが書いた本格的なものです。私はレシピに従って洋菓子を作ってみました。何かの懸賞に当たって、使われていないガスオーブンがうちにありました。(当時は「天火(てんぴ)」と言いました。)

 私はショートケーキの制作に成功しました。そのときにもっとも嬉しかったことは、費用が店で買う値段の10分の1以下ですんだことです。これで洋菓子が高嶺の花ではなくなりました。西洋モノが一気に身近になったわけです。

 材料は小麦粉、玉子、砂糖、果物、生クリームだけです。生クリームは牛乳屋に頼んで取り寄せてもらいました。それは牛乳瓶に入って届けられました。値段は牛乳3本分くらいでしたから、さほど高い感じはしませんでした。(現在スーパーに売っているパック入りの生クリームは植物性で生クリームとは言えません。動物性はもっとおいしく、香り高いものです。)

 蒸しパンには膨らし粉を入れるのですが、ケーキのスポンジには膨らし粉を使いません。卵白を泡立てて、それを生地に混ぜて膨らませるのです。レシピ本には「卵白を泡立てたもの」と書いてあり「メレンゲ」という用語はまだ使用されていませんでした。

 レシピ本にはフランス語をカタカナでそのまま書いてあるので困りました。シュークリームはシュー・ア・ラ・クレームとありました。最初、意味が分かりませんでした。ブラマンジュというお菓子は、氷菓らしいとは分かったのですが、未だに実物を知りません。ガトー・ショコラとはチョコレートのお菓子らしい、という具合です。いくらレシピ本に書いてあっても、食べたことがなければイメージできないし、ましてや作れないと痛感しました。

 生クリームはすぐに手に入ったのですが、レシピ本に出てくるシナモン、ニクズク、月桂樹の葉などは、そもそもどこに売っているのか分からず、手に入りませんでした。だから、それらの香料がどのようなものかが分かったのは、つい最近のことです。

 スポンジを焼くのに、レシピ本には130℃で30分とありました。当時のオーブンの温度管理は手動でしたから、取り付けてある温度計を見ながら必死にガスの火力を調節しました。

 他にもいくつか妙なことに凝った中学生時代でした。そのあと数年で、自家用車、ステーキハウスと、わが国は飛躍的に豊かになっていくのでした。