院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

マニュアル主義批判

2014-09-27 22:49:10 | 文化

東京消防庁のHPより引用。)

  医療事故や災害などで不手際があったとき、それを糾弾する言葉として「マニュアルさえ用意されていなかった」という言い方があります。私は常々、この言葉に違和感をいだいてきました。

  いろんな想定外の事象が起こりうる仕事に必要なのはマニュアルではなくて、心得、手引き、ガイドラインの類でしょう。上の「消防のマニュアル」はわずか8ページしかありません。やはり上の冊子は「心得」くらいにとどめておいたほうがよいでしょう。

マニュアル主義がもっとも力を発揮するのは、コンピュータやスペースシャトルの製造や保守のような機械技術においてです。これらの分野は、まったくマニュアルどおりにやらないと機械が動きません。そして、大勢の人の分担作業になりますから、細部まで統一されている必要があります。

 医療の世界では、「マニュアルさえ用意されていなかった」という批判を免れるためだけに、およそ実行不可能な文書が用意されています。臨床現場では、こうした文書はまったく役に立ちません。現場は想定外の連続なのですから、機械の製造や修理をイメージしたマニュアルを作れと言われても困るのです。

  きのうに引き続いて狩猟採集民族を考えると、彼らは足跡、物音、匂いなどを五感を総動員して感知し獲物を仕留めます。その感覚の鋭さは先進国人には理解不能だといわれています。こうした「技」はマニュアル化できません。「技」は親から子へ、年長者から年少者へと引き継がれますが、実地による継承しかできず、文字にして残してもナンセンスです。

 農耕文化の場合は、どのくらいの広さの畑にはどれだけの種が必要で、それをいつ植えて、いつ収穫するかといった計画性が必要です。マニュアルとは優れて農耕民族的な産物だとは言えないでしょうか?

 医者の技術に限らずどんな技術も、言語化(マニュアル化)できる部分と絶対にできない部分とがあります。たとえば自転車の乗り方を教えるのに、どんなに文書や図解や動画を駆使しても、それだけでは不可能であると言えばご理解いただけるでしょうか?