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もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

凧という命

2015年05月09日 | 浜松・静岡
 浜松まつりの間、一度だけ友人たちと凧場を見学に行く。ちょうど風が出てきて上がり始めたころで、次の予定のために後ろ髪をひかれるような思いでバスに乗らねばならなかったのが少々残念だった。それでもたくさんの凧が空を泳ぐ風景をしばし目にすることができた。ただ、今年はそんな凧を去年のように能天気に眺めることができなかった。
 浜松まつりのことを調べているゼミの学生が、こんなことを教えてくれた。
「初凧のひもが切れるとその子供は早死にするとか、水の中に落ちたらその子はいつか溺死するとか信じられていたんです。」
 まるで凧は、初子の魂そのものであり、その子の家族は、凧をあげる人々にその命を預けているわけではないか!
 今、そんなことを本気で信じている人がどれだけいるかわからないし、もちろん揚げている人々だってそんなことすら知らないだろう。知ったところで「迷信」と一笑にふされるかもしれない。
 しかし凧場にいくと、なぜ人々があれだけ真剣に凧をあげ、そして紐の切れた凧を、大の大人たちが、何かに憑りつかれたように、もうすごい形相で全速力で凧を追うのかわかった気がする。「なぜか」を知らなくとも行為そのものは今に伝承されている。いや、待てよ。もしかしたら、「かれら」は、そんなことはとっくに知っているのかもしれないのだ。ただ絶対に口に出さないだけかもしれぬ。