Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

有馬温泉

2009年02月19日 | 
 やっぱり日本の冬の旅で不可欠なものは「温泉」である。せっかく三ノ宮まで足を伸ばしたのだから有名な有馬温泉の日帰りの湯でも行ってみようということになり、前日、インターネットの路線検索で行き方を調べた。関東人である(あった)私は、伊豆、箱根、秩父には行くのだが、さすがに関西圏の名高い温泉でも行ったことがない。
 有馬温泉という名前は昔から知っている。たぶんテレビやラジオ、観光ガイドなどで見たり聞いたりしていたからだろう。ただ街から近いということもあり、かなり賑やかで、温泉らしくない都会の雰囲気のもつ温泉なのだろうと勝手に思い込んでいた。しかし、電車で温泉に向かうにつれ、景色は田舎の風景の変わり、終点の有馬温泉駅で降りたのは本当に数えるほど。小雨で寒いし、寂しい雰囲気。なんだかある意味期待を裏切られたようでありながら、嬉しい気分である。
 まず観光案内所で、息子とどの温泉に行くかを決め、日帰り温泉のうち、駅から一番遠く、値段もそこそこ、しかも今、旬な話題沸騰の「かんぽの宿」へ行くことにする。息子は「なんで遠い温泉にいくわけ?」と不満そうだったが、そこが「金の湯」であることが決め手だった。要するに無色透明ではなく、鉄分の多い、黄色く濁った温泉なのである。どうも有馬の湯は、無色透明の炭酸泉と鉄分とナトリウムを含んだ濁り湯の二種類があるらしい。
 息子はお風呂の色を見て「えっ・・・」と絶句。しかも塩分が多いため切り傷にしみて悶絶していたが、まあ、いい経験である。私はといえば、もう極楽、極楽気分で、やっぱり冬の旅は温泉だと実感したのだった。もちろん、風呂に入りながら頭に浮かんだ音楽は、このところ日々練習中のガムランの曲で、シューベルトの《冬の旅》でなかったことはいうまでもない。


ポートタワー

2009年02月18日 | 
 神戸、大阪、京都に共通する観光スポットは何だと思いますか?神戸といえば港町や洋館、大阪はやはり商人の町、粉物の食べ物、ヨシモトかな。京都といえばやはり古都。社寺仏閣でしょう。そう考えてみると、そうそう簡単に三つの街に共通するものは見つからないものです。
 ところが、共通する観光地があるんです。それが「タワー」です。神戸のポートタワー、大阪は通天閣、そして京都は駅前の京都タワー。どの街も高い建物を建てて、そこを観光地としています。ちょっと離れていますが、東京は「東京タワー」ですよね。しかし、以外とそんなタワーにはなかなか上らないもの。ちなみに東京育ちの私は、未だ東京タワーの展望階に行ったことはありません。
 今回、息子と神戸のポートタワーに行ってみました。一人で行くような場所ではないし、息子とだったらいいかなと考えたのです。それに去年4月に通天閣に二人で行って、高いところから見る観光地の景色に味をしめたからなのかもしれません。通天閣は、その建てられている場所そのものが賑やかだし、階上もお土産屋が賑やかでその雰囲気も楽しめました。
 さて、今回体験したポートタワーですが、建てられた場所がちょっと寂しいところだし、平日ということもあってお客はまばら。なんとなく寂しい景色でした。息子に力を入れて説明したことは、展望階から見えた「六甲山」。野球の阪神戦で歌われる《六甲おろし》の説明をしましたが、記憶に残ったかどうか・・・。やはり阪神戦を観戦してからでないと実感できないかな。


まずは行列に並ぶべし

2009年02月17日 | 
 神戸南京街で息子と食事をすることにしたが、店ではなく「立ち食い」「歩き食い」をすることにして、さまざまな露店を物色。肉まんなどのおいしそうな食べ物を一つづつ買っては、閉まっている店のシャッターの前やら、小雨がかからない場所を探して昼食。そろそろお腹もおちついて終盤にかかったかな、と思ったとき、ちょうど南京町の中心の広場横に長い行列が・・・。反射的に私はこの列の最後尾に並んだ。
「あれ、お父さん。列に並ぶの?この店、何を売ってるの?」と息子に聞かれたが、「えーと、何だっけ?とにかくまずは並ぶことだよ。それから調べてみればいい」と答えた。そうである。まずは行列に並ぶべし。
 なんとこの店は饅頭屋。といっても肉まんのことで、大正時代からの歴史がある店らしい。テイクアウトは最低三個で、一つ90円。食べ盛りの息子が二つ、私が一つということで購入することにして結局10分以上並んだ。昔の肉屋さんのようにきちんと包んでくれてテイクアウト。もちろん、そうしたかいあって、南京町の象徴の東屋の中のイスに座り、小ぶりの肉まんを二人でおいしくいただいたのだった。


古くていいもの

2009年02月16日 | 
 古くていいものを発見するのが大好き。息子と二人で神戸元町を歩きながら、そんな品々を探してみる。
 そして商店街で見つけたモノが、この古書店の木製ワゴン。しっかりとした作りで、長年使われて年季がはいっているではないか。神保町のような大型古書店街は別にして、最近では街の古書店がめっきり減ったと思う。大型チェーンの古書店やネット販売が増えたことが原因だろうが、そもそも古書店がそうそう儲かる商売とも思えないので、そんな商売柄、減少しているのかもしれない。
 古書店の店頭のワゴンは、重要なアイテムだと思う。几帳面な古書店主は、安価な店頭ワゴンの本ですらちゃんと目配りをかかさず、定期的に本を交換する。通なお客は、ちゃんとそうしたワゴンの並べ方から、本の内容もチェックしているものだ。少なくてもこの写真の古書店はそんな店であることが予想できる。歴史を感じる重厚な雰囲気のワゴン、その中に几帳面に並べられた文庫や新書。まさに古書店の外見美である。


イカ焼きリベンジ

2009年02月15日 | 
 私たち親子が去年4月の大阪への旅で一つ心残りだったことは、阪神百貨店のイカ焼きが食べられなかったことだった。というのは、あまりにも長蛇の列だったために、時間の関係でとても並んで購入する時間がなかったからである。
 今回、梅田駅に降りてまずまっしぐらに向かった場所は、もちろん阪神百貨店である。阪神タイガーズショップに行くなんていうことは口実であり、一目散に地下一階に向かう。時間は午前11時!まだ並ぶ時間ではあるまい。
 予想は的中し並ぶことなくイカ焼きを二人で、ショップ横の階段で立ち食いすることができたのだった。なんといっても二人でこのイカ焼きを食べようとしてから約10か月の日々が必要だったわけで、「お父さん、おいしいね」と微笑みながら息子に言われた時は感無量だった。今回の大収穫の一つの出来事。

ビルヂング

2009年02月14日 | 
 神戸港の近くの光景。昭和初期に建てられた「ビルヂング」が、両側の近代的な「ビルディング」の間で今もひっそり「保存」されている。私は建築の専門家ではないので詳しいことはわからないが、昭和初期の建物は、何か「丸み」を帯びた暖かさを感じるのだ。そして見た目は確かに「無駄」を装備した美しさがある。
 「美しさ」とは何かという美学的な問題はさておき、美しさと機能性は相反する存在なのだろうかと考えてしまう。確かに一時期、機能性が重視されたことで古い建築物は取り壊され、新しいビルディングへと建て替えられていった。そんなとき、多くの人々はその事実に誰も疑問を持たなかったろう。「美しい」ことよりもむしろ、「機能的」であることの方が建築物にとって意味を持つことだったからだ。
 しかし「美しさ」とは普遍的なものととらえるだけでなく、個々人の解釈やら時代性という要素も含めて考えれば、機能的、美的という両面を比較するのはふさわしくない。古い建物が壊された時、人々の美的感覚の中から、昭和初期の建築物のデザインの様式美はすでに喪失していたかもしれないからだ。
 とすると、なぜ現代社会は昭和初期のビルヂングを「保存」しようとするのか。それは「古い」からなのか、それとも現代社会の人々が再びこれらを「美しい」と感じるようになったからか?あるいは、美しいと感じるのは私だけなのか?


男二人旅

2009年02月10日 | 
 今日から息子と、いわゆる関西へ男二人旅に出る。コンセプトは、軽く(荷物をたくさん持たない)、安く(お金をかけない)、そして楽しむという「軽・安・楽」の旅である。このコンセプトは私の旅が常に掲げているものだが、家族旅行だと徹底してこうはいかないものだ。
 息子はこの旅に適応できるかどうかの試練を体験するわけだが、そんなことよりも今、自分自身が心配なのは、関西の寒さである。このところめっきり寒さに弱くなった私がダウンしたりしたら目もあてられない。
 この後のブログ、乞うご期待である。

キリン

2009年02月09日 | 家・わたくしごと
 キリンを最後に見たのは2003年にアムステルダム動物園に行ったときだったから、昨日、沖縄の動物園で6年ぶりにキリンを見たことになる。
 私にとって動物園の象徴ともいえる動物は、ライオンでもゾウでもカバでもオオアリクイでもなく、なぜかキリンなのである。スラリと伸びた首と美しい模様を見ると、なぜか胸が高鳴るのだ。子どもの頃、よく連れて行ってもらった井の頭公園の動物園にはキリンがいた記憶は全くないし、キリンに関わる幼児体験はないと思うのだが、なぜか優しそうな目をするキリンを見上げるのが好きなのだ。
 キリンを漢字で書くと麒麟となるが、これは本来、中国の伝説上の動物である。麒麟ビールの登録商標はまさに不思議な動物の絵であるが、これこそが麒麟なのだろう。私の記憶だと、その麒麟とキリンが似ていたということらしいのだが、麒麟ビールの絵と動物園のキリンは似ても似つかない。なぜあの首の長い動物がキリンとよばれるのかが今だに理解できないでいるのだ。ちなみにキリンを英名giraffeというのはほとんど日本人に知られていない。私も40歳を過ぎてからオランダの動物園で始めて知ったくらいである。


夢で祖父と会う

2009年02月08日 | 家・わたくしごと
 バリでは火葬儀礼やその後の浄化儀礼を終えた死者が、再び夢の中に現れたとき、それを大声で公言することを控えることが多い。場合によっては、儀礼が不完全だからまだ現世に現れると批判されかねないし、夢を見た自身も儀礼に問題があったのではないかと疑心暗鬼になったりするからである。しかし、だからといって死者に再び会ってしまったことに落胆するわけでなく、喜びの気持ちもまた存在する。私の友人などは、外国人である私には、小さな声で「今日、おじいちゃんが夢に出てきてね・・・」などと嬉しそうに語ってくれることもある。
 昨晩、私は、夢の中で本当に久しぶりに祖父に会った。今でもその様子を現実の出来事のようにはっきりと語ることができる。夢の中で私は、現在、病院で治療中の97歳の祖母と話をしていた。「現在は治療がたいへんだけれど、医者をみかえすために絶対に治して私はアメリカに行くんだ」と豪語している。祖母らしいなんとも頼もしい言葉かと私は喜んでいる。そしてふと隣の部屋を覗いて見ると、祖父が祖父の家の黄土色のソファーに座っているではないか!
 鉄筋でできた彼の家と同じような色の灰色の厚ぼったいカーディガンを羽織り、ニコニコしながら手をひざの上に置いている。晩年の祖父のこの笑顔は、生まれたばかりの私の息子を眺めたときに見せた静かな笑顔に似ている。私は「おじいちゃん、いつ帰ってきたの?」と声を出して、祖父の手を握った。その手は子どもの時に感じた祖父の手で、そのぬくもりをはっきり感じた。私は祖母に「おじいちゃんが帰ってきたよ」と声をかけ、祖父には自分のことをたくさん話しをした。祖父は、嬉しいそうな笑顔を絶やさない。けれど何の言葉も発することはない。
 いつも間にか私は真っ暗な部屋の中の自分の布団の上に座って、涙を流していた。夢の中の不思議な体験だったのだ。祖父が亡くなったのはもうかれこれ十年も昔の話である。しかしなんで夢に出てきたのだろうと考えてしまう。私はバリ人ではないので、儀礼の一部に不備があったなんて考えたりはせず、それでもきっと意味がある出現なのだろうと不思議な気持ちになった。ありきたりの想像に過ぎないが、死者は私を見捨ててはいないし、私は祖父にどこかから「見つめられて」いるのだろう。だからこそ、植物学者だった祖父に笑われないような学者としての人生を私も歩まなくてはいけないんだと自らを戒めた。そしてもう一つ思い出したこと。それは、祖父が亡くなる前に、自分が病床に横たわっているにもかかわらず、私には「無理をしないで、体を大切にするように」と語っていたこと。その通りである。なんだかこのところ、私は首の痛みに怯えながら日々を過ごしているのだから。祖父はそんな私にやさしい無言の笑顔でさまざまなことを語ってくれたのだろう。

寂しいニュース

2009年02月07日 | 家・わたくしごと
 最近のニュースは、不況、派遣切り、倒産などせちがない内容のものばかりである。毎日、毎日そんなニュースばかり聞いていると、日本の国民全体が深い底の見えない闇へと沈んでいくようで悲しい。そして今日も、Yahooのニュースに寂しいニュースを一つ見つける。
 多摩テックが閉園するというニュース。1962年、東京生まれの私にとって、両親に連れていってもらった遊園地はディズニーランドではない。本当に小さい頃は多摩テック、そして小学生くらいからは西武園。特に夏に西武園で見た花火や父と乗ったジェットコースターの記憶は今でも脳裏に焼きついている。
 多摩テックが1960年初頭にHONDAの出資で作られたということを今日になって初めて知る。私がこの遊園地に連れていったもらったのは、まだ開園してから数年しかたっていない頃だったということ。記憶は断片だけだが、それよりも残っている写真の画像の印象の方が鮮明である。多摩テックが消えてしまうことで、なんだか自分の子ども時代がすっかり何者かにさらわれて、どこか遠くに連れ去られてしまうようだ。誰にも持ち去られないようにと、そんな昔の自分を胸の奥深くに抱きしめながら・・・だからだろうか?今日はとても切なく、寂しいのだ。