社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

「悲しみ」について精神分析する 香山リカ氏 講演

2013-12-01 17:02:21 | 医学
神戸芸術工科大学での講演会を聴講。
市民向けのものであったため、悲嘆(グリーフ)の基礎知識を中心に紹介していた。

引用
・フロイト、ボウルビィによって、「悲しみを乗り越えるプロセス」の研究が始まった。
・フロイト…悲しみとは「対象喪失」である。悲しみは「悲哀の仕事」と呼ばれる心理的過程を経て乗り越えられていく
・キューブラー・ロスは、フロイトなどの理論をもとに、「死に往くひと」をターゲットに研究を進めた
 ⇒「人間は最後まで人格的成長を成し遂げることができる」
・フランクル(ナチスの強制収容所での体験をもとに)…人生は、生きる意味を問うのではなく、問われているのである。

香山氏によるまとめ
⇒・悲しみの感情は複雑、怒り、あきらめだけではなく、「おかしさ」「なつかしみ」も含まれる
 ・語られない悲しみにも寄り添う「共感力」は必要
 ・あいまいさも必要。すべてを語ったり解き明かしたりする必要はない
 ・乗り越えられない悲しみもある


悲嘆の中にあっても「なつかしみ」「おかしみ」はあるという論に、ハッとさせられた。
ふとした時に、故人を思い出して「クスっ」と微笑んだり、みんなで思い出話をして笑い合ったりということもある。
笑うからといって悲しくないということでは、決してない。
人間は複雑ないきものだと、つくづく思った。


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「在宅緩和ケア地域連携クリニカルパスの作成と導入」 小林孝一郎、村上真由美ら

2013-11-28 21:23:12 | 医学
『Palliative Care Research 2013;8(2)』

入院から在宅に退院する際の連携をより円滑にするために、誰にとっても使いやすいパスの開発し、そしてその試用後の調査を報告。
疾病に限定されたクリニカルパス、病院から病院へのパスはすでに存在しているが、在宅緩和ケアに特化したものは開発途上にある。
それゆえに、本研究は先駆的であり、学ぶべき点が多い。

引用
・パスは10項目から成る…①緩和ケアパス・運用方法、②プロフィール・わたしが大切にしたいこと、③患者医療情報、④医師の役割分担、⑤地域医療者の役割、⑥在宅療養生活の注意点、⑦説明・同意書、⑧わたしの療養記録、⑨自由記入欄、⑩病院の各部署・担当者のご案内

・(調査報告から)家族から「つらいときには見る気持ちになれないと言われた」

・現在運用中のがんパスは、がん診療連携拠点病院と一般病院や診療所に外来通院している患者を対象とした循環型パスであるのに対して、緩和ケアパスは、在宅での終末期ケアや栄養管理、看取りなどを支援する支援型パスである。

・在宅緩和ケアでは、「医療モデル」より「生活モデル」に重点が置かれる。


試用段階であるため、まだまだ改良の段階ではあると思うが、試用後のアンケートは医師、看護師が中心であり、ソーシャルワーカーやケアマネ、宗教家は含まれていなかった。
また肝心の患者及び家族も含まれていないため、評価の側面としては不十分ではないか?と感じた。

「生活モデル」であると明記しているのであれば、医療者のみではなく広く多職種の声を聞くべきであろう。
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「改訂 死別 残された人たちを支えるために」C.M.パークス著 桑原治雄、三野喜央訳

2013-07-08 13:09:41 | 医学
著者は精神科医であり、ボウルヴイの弟子でもある。
自身がおこなった調査結果をもとに、死別を体験したことで生じる様々な症状について、具体的に紹介している。

引用
・悲嘆とは、死別の後に始まり徐々に消えゆくといった一連のまとまった症状群でもない。互いに混じり合い置き換わる臨床像の連続体なのである。
・悲嘆に加えて、死別体験に対する反応全般の決定につねに関わっている二つの要因がある。それはスティグマと愛情剥奪である。
・愛情剥奪とはかけがえのない人との対人関係が存在しなくなることを意味し、その人の死自体とは全く違うものである。
・悲嘆の苦痛発作は、死別体験のあと、数時間から数日後に始まり、通常は、その苦痛のピークに5日から2週間までに到達する。
・悲嘆の心痛の間に、生活は通常通り行われているように見えるだろうが、実際にはそう感じられない。食欲や通常の仕事への興味はひどく渇望してしまい、日常生活は意欲ではなく習慣で行われる。


孫引きされることの多い本書は、死別によって苦しんでいる人に対する援助について、とても丁寧に解説されている。

死別後に、一見普通に生活をしている人も、それは意欲ではなく習慣で行われているという部分には、とても納得させられた。
と同時に、習慣をこなすことによって、新しい生活へのリズムの再構築を進めることにもつながるであろうと感じた。

死別―遺された人たちを支えるために
クリエーター情報なし
メディカ出版
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Ⅱ.緩和医療として提供する内容 在宅医療・レスパイトケア 前田浩利(2012)

2012-11-26 15:12:10 | 医学
『小児科診療』2012年・7号

在宅療養支援診療所の医師が、自身の臨床経験及び調査結果を踏まえ、小児在宅緩和ケアを充実させるため課題を提起。

引用
・2007年に日本小児科学会倫理委員会が実施した調査結果より
⇒在宅療養をしている超重症児のうち、訪問診療を受けている子どもはわずか7%、訪問看護を受けている子どもは18%、ヘルパーを利用しているのは12%にすぎない。

・医療ケアが日常的に必要な子どもを在宅で支えるための諸要素
⇒1.医療的支援:訪問診療、訪問看護、訪問リハビリ
 2.生活支援・介護支援:ホームヘルパーなどの介護
 3.家族のためのレスパイトケア:短期入所施設、デイサービス施設などの整備
 4.上記を適宜にコーディネートするケアコーディネーターの育成と制度化


救急医療が進歩し、成人のみならず、乳幼児の生存率も向上している。生命を重んじることに異論はないが、その先のケアについては、まだまだ未整備でおろそかであると感じる。

上記の諸要素は、子どもに限らない。しかし少なくとも高齢者に対しては、一定の数と質が保証されつつつある。ここが大きな違いであろう。
キュアからケアへ…これは私が学生時代であった15年前に、障がい者や高齢者に向けていわれていた言葉である。時を遅くして、ようやく病気や障がいを持ち子どもたちとその家族にも、その考えが向けられているのだと感じた。

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「ターミナル期における入浴と湯灌」平田済、佐伯あゆみ、中島真澄、坂元晃子

2012-09-04 09:26:55 | 医学
『臨床看護』2006年4月号

緩和ケア病棟で実施されているターミナル期の入浴と湯灌についての実践報告と、事例からの効果の分析を報告している。
湯灌については、委託先の葬祭業者が行なっている。

引用
・看取りが近くなった場合、以下のような説明をしている(一部のみ引用)。
 ⇒最期に着る服:準備をしておくことについて、本人の好みと本人らしさ
  湯灌:湯灌の内容、無料サービス、夜間は行わず翌朝まで待つこと

・湯灌とは
 ⇒湯灌の儀式には、生まれたとき産湯につかるのと同じように、来世で新たに生まれ変わって欲しいという願いが込められている。現世の苦しみ・汚れを清め、故人が新たに旅立ちをするという意味がある。

・湯灌を導入した効果
 ⇒家族ケアにつながる効果が期待される


湯灌は、家族が死を受け入れることにつながる…という事例報告があった。
死後、葬儀の手配等に追われ、訳が分からずに火葬場に着いていたというのではなく、身体を洗いながら故人と対話することは確かに効果があると思った。
しかし、湯灌は時間も手間もかかる。ゆえに、まだまだ一般的には行われていない。グリーフケアの一環であるという意味で、その方法に位置づけていくことが現実的であると考える。

臨牀看護 2006年 04月号
クリエーター情報なし
へるす出版
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「地域診療所医師の在宅緩和ケアに関する意識調査」 秋山美紀、的場元弘、武林亨ら (2009)

2011-11-12 21:54:15 | 医学
「Palliative Care Research 2009;4 (2)」

 緩和ケア資源が十分でないと考えられる山形県鶴岡地区の診療所医師を対象とした、郵送調査及びインタビュー調査。
知識がない、知識として学習はしたけど実践はない等、医師への教育のあり方等が明らかになっている。
おそらくこの地域だけではないであろう、開業医の苦悩を把握することができると感じた。

引用
・がん患者の精神的サポート、家族の精神的サポートに関して(今後行うことは)「不可能」と回答した施設が半数以上あった。
・在宅での看取りについて、現在「行なっていない」と回答した施設のうち、今後も「不可能」と回答した施設は80%であった。
・(インタビュー調査の回答から)地域の患者家族は、病院の手術をした先生を上にみて、地域の開業医を低くみる…患者・家族との信頼関係をつくるのが難しい
・(インタビュー調査の回答から)困るのは、無くなる直前に家族が動揺して病院に入れたがること。こちらは最期まで診たくても、家族が病院に入れたがることがものすごく多い


地域性の問題なのか、退院調整の問題なのか…。病院と診療所の役割が「分担」ではなく「分断」されている印象を受けた。
開業医は医師と看護師の体制で看取りを支援することが多い。それゆえに、診療行為以外のケアには手が行きにくいのが現状であり、それが明らかになっている。
全国どこにいても、同じ水準で在宅緩和ケアを受けられるようにするには、相当の時間を掛け、その地域に合った方法を見つけ出し根付かせねばならないだろう。
どのくらいかかるんだろうか…。

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「筋萎縮性側索硬化症のホスピスにおける終末期ケア」 加藤修一、小沢英輔、島田宗洋ら

2011-11-10 15:15:36 | 医学
「Palliative Care Research 2010;5(2)」

 都内の緩和ケア病棟での症例報告。
医学系雑誌であるため、薬剤の効果的な使用が苦痛緩和に有効であるという報告が多い。しかしがん患者のみならず、ALSを始めとした神経看病患者にも、ホスピスケアが必要であると実感させられる。

引用
・緩和ケア病棟入院料3,780点は悪性腫瘍とAIDS以外は算定できないので、一般病棟特別入院基本料+難病患者等入院診療加算1,140点を算定した。
・患者が訴える「不眠」の症状緩和に対して…薬剤の効果的な使用以外に、概して就寝前に看護師が話をすることが、睡眠導入に役立った。これは、言葉や非言語でその日1日の喜びや苦しみを共有するためであろう。
・ホスピス・緩和ケア病棟がALSの終末期ケアに役に立つ要因は、①在宅生活と同じように療養ではなく尊厳のある生活を重視している点、②看護介護量が多い疾患だが看護師が多く配置され、他の多職種スタッフが協働している点、③苦痛症状の緩和に積極的でオピオイドの使用に慣れている点、であろう。


 いつも感じていることだが、「ホスピスケア=がん患者のみへのケア」ではない。
どんな疾患であれ、苦痛を抱え、喪失感を持っている。どの職種も、目の前にいる患者さん/利用者さんに、ホスピスケアの理念を持ってケアを提供できるようになれば、本当の意味で「安心して生活ができる社会」になるのだと思う。
 米国のホスピスに見学に行った際、チャプレンの方は「就寝前に、患者さんのそばにただ座っていることがある」と言っていた。話をする訳でもなく、手を握るのでもなく、ただ傍らに座っているだけだという。「そばにいる」ことがケアなのである。この、一見「何もしていない」と考えられがちなケアを、日本の土壌でどのように浸透させていくか。それはとても難しいけれど、とても必要なケアなんだと痛感した。
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「重い障害を生きるということ」谷清

2011-11-01 15:30:19 | 医学
重症心身障害児施設に長年従事してきた医師による書。
後半は、重度の障害を抱えたひとたちの支援に奮闘した小林提樹、草野熊吉、糸賀一雄についても紹介している。
特に後半部分は、先駆者たちの働きについて、教科書で「点」として覚えていたことが「線」となってつながり、障害者福祉の発展について再考できた。

引用
・医療処置でも介護でも、「する人」が「される人」に一方的におこなうということではなく、「する人」「される人」が協力しあって、関係しあって成り立っていくものであろう。
・(医療が)「健康管理」の名目で生活を制限し、その結果「健康増進」が妨げられている。


障害の重いひとたちは、「理解する」ということは困難であっても、「感じている」。-本書ではそのようなメッセージが根本にある印象を受けた。

理解しているからウンヌンではなく、人の感情は「快」か「不快」。それをできる限り「快」にしていくことが専門的なケアであると、あらためて考えさせられた。
筆者も説いているが、「生きているのが辛くないのか」と「生」の存在そのものに着眼するのではなく、より快適に「生」を育めるサポートが必要なのである。


重い障害を生きるということ (岩波新書)
クリエーター情報なし
岩波書店
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「在宅療養支援診療所と訪問看護ステーションにおけるデスカンファレンスの意味づけ」大友宣(2010)

2011-10-19 10:40:12 | 医学
『2010年度 在宅医療助成 勇美記念財団 最終報告』

 在宅療養支援診療所及び、訪問看護ステーションにおけるにデスカンファレンスの意味を明らかにするため、半構造化インタビューを実施。
4つのカテゴリーが抽出され、さらに効果的なデスカンファレンスの運用にむけ、課題を提示している。

引用
・デスカンファレンスの意味づけ
⇒「癒しの場としての在宅デスカンファレンス」「学びの場としてのデスカンファレンス」「弔問の役割の再確認」「顔の見える関係の構築」

・《学び》が重視されるデスカンファレンスでは《癒し》がなされにくく、《癒し》が重視されるデスカンファレンスでは《学び》がされにくい。

・弔問を積極的に行い、それを在宅デスカンファレンスとリンクさせることは在宅医療・在宅ケアの強みを生かす上で重要な要素である。

・サマリーの準備は症例を振り返る機会にもなっているが、在宅デスカンファレンスを行う上での大きな負担ともなっている。在宅デスカンファレンスをより普及させるためにはこの負担をなるべく軽減させる形で行なっていくことが必要である。


 病棟で行われるデスカンファレンスは、すでに顔が見える同士で共通のカルテを有していることが多いため、準備に時間がかかりにくく、一方で在宅ではそれがネックとなっているという。
在宅緩和ケアは、病棟と比較し、ケア提供者側の「負担」が多いのは物理的に当然のことであるが、それをうまく克服し、「連携」という力に変えていこう…そういうメッセージが込められていると感じた。

 在宅での看取りが推進されていくなかで、少しづつではあるが、ケア提供者側の「ケア」にも注目が集まりつつある。昨年研修を受けた米国のホスピスでは、チャプレンがケア提供者のメンタルケアを担っていた。また、年に5回までは無料でカウンセリングを受けることができるという。
 在宅ホスピス緩和ケアの普及には、ハード面ならず、ソフト面の充実⇒提供者側の支援も大切であると感じる。
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「緩和ケアにおけるナラティブ医療倫理」宮坂道夫 『緩和ケア』Vol.21 No.3 MAY 2011

2011-06-07 09:56:41 | 医学
「緩和ケアを拓くナラティブ」という特集の一論文。
ナラティブは、その人の物語を聞き、その人らしさに寄り添う…という意味だったのでは?と思い、
緩和ケアと組み合わせることに違和感があった。
この論文を読んで、少しだけ違和感を取り除くことができた。

引用
ナラティブ医療倫理とは?
⇒・臨床実践の中で倫理的問題をどうやって見出し、対処すべきなのかという方法論の1つである。
 ・1980年代後半に、シャロンによって提唱された。それまでの自律尊重、無危害、恩恵、正義などの倫理原則によって、
  倫理問題の論点を整理する方法である原則主義を批判しながら登場した。
 ・医療従事者と患者との関係を、対立的・契約的なものではなく、対話的・ケア的なものとして捉え直そうとする。つまり、
  医療従事者が「外部」から突きつけてきた「契約」のような医療倫理を、個々の医療従事者の「内面」から発する「対話
  へのコミットメント」に転換しようとしてきたといってようかもしれない。



 「いまさら」感、「とってつけた」感が払拭された訳ではないが、これからの理想的な医師:患者の関係をよりクリアに説明しようとする一方法だと解釈すれば、、こういう理解もあるのかもしれない。
 しかし、医師と患者の「契約」のもとの関係は、在宅医療ではそれほど強固に感じられないように思う。医療サービスの提供の場が医師、患者のどちらの土俵にあるのか…によるのかもしれない。
 

緩和ケア 2011年 05月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
青海社
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