社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

「在宅ホスピスの広がり1-神経難病の在宅ホスピス-」ニノ坂保喜

2011-05-03 09:30:44 | 医学
医師である筆者が、臨床から得た知見をもとに、在宅ホスピスについての現状を報告。事例の紹介もあり、その在り方をイメージしやすい報告となっている。

引用→
・(神経難病のような)長い時間をかけて、徐々に病状が進行する場合も、いや逆に徐々に時間をかけて進行するからこそ、緩和ケアが必要なのではないか。
・在宅ホスピスの良いところの1つは、疾患を制限されないこと。がん患者ばかりでなく、神経難病の方、老衰や認知症の方も同じようにホスピスケアを受けるべきだと考えるし、さらには、重度の心身障害を持つ子どもたちへのケアも、常にホスピスケアとして考えるべきである。

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筆者の意見に、全く同感である。日本は医療保険制度ありきの医療サービスの提供であるがゆえに、対象者が限定されてしまう。新しい取り組みを定着させるためには、やむを得ないであろう。しかしホスピス・緩和ケアのもともとの思想も、違った解釈で浸透している印象も受ける。今一度、考え直す時期かもしれないと考えた。

緩和ケア 2011年 03月号 [雑誌]
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青海社
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「がん患者家族のサポート」明智龍男 『こころの科学』No.155-1-2011

2011-01-22 10:14:16 | 医学
がんに罹患した患者の家族に対する支援の現状と課題を提起。家族の視点からみた「がん」と共に生きることについて、分かりやすく述べられている。

引用
・家族は当然のように患者ケアの「一提供者」や「一協力者」としてみなされることもまれではなく、医療の現場では、家族の経験しているこころの問題まで扱われることは少ないのが現状である。家族はケアギバーの役割を担いながら、実に大きな役割変化に対処しているのである。

・家族は医療スタッフから、患者さんの心身の両面をケアするにあたっての協力者と当然のように認識されることが多い。多くの家族は、医療者からの無言の要請に全力で答えようとして、自分のつらい気持ちをこころの奥底にしまいこんで、できるだけの笑顔で、可能な限り元気な姿で患者さん自身を見舞い、身の回りの世話をしているのである。

・わが国におけるがんの患者さんの家族への援助については、その医療における実践もきわめて乏しいのが現状である。これは、わが国のがん医療における大きな課題の一つである。

・家族が経験するストレスやその援助法については、残念ながらほとんど目が向けられていないのが現状である。


 上記の指摘はもっともであり、今後の大きな課題と言えるであろう。
現状では、認定資格を有する看護師やソーシャルワーカーが、家族の存在を気に掛けながら「可能な範囲で援助をする」ことで精一杯であろう。まして、初期のがん患者や家族関係(家族の理解に能力など)に問題がないとみなされた患者・家族への援助は、どうしてもニの次になってしまうのが現状であろう。
 私の父も初期の腎臓がんがみつかりオペを受けたが、病棟看護師、主治医との関わりのみで、本人が「言いにくい」と感じた訴えについては、家族が医療者との仲介者となって、伝えていた記憶がある。それを「当たり前」だと感じていたし、それ以上を期待することは「考えもしない」ことであった。
 しかしがん患者は減少することはなく、低年齢化しているのが現状である。多くの家族に、「当たり前」に援助を提供できることが期待される。ここにソーシャルワーカーの存在があると痛感している。


こころの科学155号 特別企画=家族を支援する
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日本評論社
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「自死遺族支援」赤坂博 高橋千鶴子 酒井明夫 『こころの科学』No.155/1-2011

2011-01-19 20:48:35 | 医学
筆者が取り組んでいる「いわて自死遺族支援モデル事業」についての紹介と、自死を中心とした遺族支援の現状と課題について述べている。「いわて~」の取り組みについては具体的な紹介となっているため、「この部分であれば、他の機関(事業所)でも活用できるかも」という箇所も見受けられた。

引用
「いわて自死遺族支援モデル事業」…かかわる時期は、第三次救急医療施設への搬送や警察署や発見現場での検案という自死発生直後であり、(中略)。精神科医・保健師・臨床心理士というスタッフのいずれかが家族に直接お会いするほか、検案医・警察官から本事業についての情報提供を行う。同意が得られれば、手紙を送った後、四十九日以降に電話で連絡をとり、ニーズの把握やアセスメントを行い、必要があれば継続的な面接や精神科受診、その他の社会資源の紹介などを行っている。相談窓口を開設し、家族からの直接の相談も受け付ける。

「自死遺族」がさらされる危機的状況としては、死そのものから受ける衝撃という一次的ストレスがあり、葬儀、社会的な手続き、生活スタイルの変化、二次被害、悲嘆反応、家族間の問題、といった死別にともなう変化や影響である二次的なストレスがある。

これまで「専門家」がかかわる危機介入という文脈では「こころのケア」について取り上げられることが多かったが、衣食住、職業、家事、コミュニティ活動、学業、経済状態など、日常生活そのものに関する支援の重要性も指摘されるようになった。



 第三次救急という「スピード」を求められるであろう医療の現場においても、家族の呼吸を感じ、その思いを汲み取ろうとしている姿勢に、驚きと安堵を感じた。本書で紹介されていたリーフレットは、家族が読んでも分かりやすい言葉で、かつ具体的に書かれており、このリーフレットの内容だけでも、様々な機関で導入できるのでないかと感じた。しかし取り組みには「人材」も必要。情報提供をしただけではなく、十二分にサポートできるシステムが必須である。
 専門家の育成…どの領域においても、これは永遠の課題なのだと感じた。


こころの科学155号 特別企画=家族を支援する
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「認知症の緩和ケアに必要な基本知識-進行期認知症患者の苦痛について-」平川仁尚(2010)

2011-01-04 17:22:18 | 医学
『緩和ケア』Vol.20 No.6 Nov.2010

認知症患者の抱える苦痛に対する緩和ケアの在り方について述べている。基本的な情報が集約されており、読みやすい。

引用
認知症患者の苦痛
①身体的苦痛⇒痛みをはじめとする苦痛症状、日常生活自立度の低下
 終末期認知症患者の特徴…認知機能の低下により、痛みに対して寛容である点、痛みをケア提供者に伝えることが困難である点

②精神心理的苦痛⇒不安、うつ、孤独感、恐れなど。またBPSD(behavioral and phychological symptoms of dementia)と呼ばれる認知症に特有の心理的苦痛がある。
 *BPSD…認知症に伴う徘徊、妄想、苛立ち、攻撃的行動、不潔行為、異食などの行動・心理症状

③社会的苦痛⇒家族関係・人間関係の悪化、金銭的問題

④スピリチュアルペイン⇒自分や周囲の人間が誰なのか分からなくなり、スピリチュアリティは大きく損なわれる。(中略)BPSDにより「こんな人とは思わなかった」という家族や周囲の嘆きがある。BPSDによりその人らしさは損なわれ、名誉も大きく傷つけられる。

終末期認知症患者の苦痛の評価…「名古屋式高齢者苦痛可視化スケール」が有効。スピリチュアルペインの評価は、「センター方式」と呼ばれる「その人らしさ」を評価するビジュアルシートがあり、これを応用することができる。


「緩和ケア=がん終末期患者」ではなく、ひろく様々な疾患、ひとへの活用が叫ばれている。本論文もそのひとつである。
社会的苦痛とスピリチュアルペインについては、患者本人のみならず、家族をも対象とした解説となっているが、まだまだ掘り下げられるであろうと感じられる範疇にとどまっているのが残念である。


緩和ケア 2010年 11月号 [雑誌]
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「緩和医療 痛みの理解から心のケアまで」小川節郎ら(2010)東京大学出版会

2010-12-08 15:30:21 | 医学
 主に「がん」を対象とした「痛み」痛みについて概説している。執筆者は全員医師であるため、特に身体的な痛みの緩和、使われている薬の説明については詳しい。

引用
スピリチュアルな苦痛の表現(参考文献からの引用「恒藤暁、岡本禎晃 『臨床緩和医薬学』p16-21、日本緩和医療薬学会編」(2008))
①不公平感「なぜ私が?」
②軽価値観「家族や他人の負担になりたくない」
③絶望感「そんなことをしても意味がない」
④罪責感「ばちが当たった」
⑤孤独感「誰も私のことを本当には分かってくれない」
⑥脆弱感「私はだめな人間である」
⑦遺棄感「神様も救ってくれない」
⑧刑罰感「正しく人生を送ってきたのに」
⑨困惑感「もし神様がいるのならば、なぜ苦しみが存在するのか」
⑩無意味感「私の人生は無駄だった」

がん患者のストレス-6つのD(参考文献からの引用「筒井末春・監修『がん患者の心身医療』p.16-17、新興医学出版社(1999))
①死(Death)
②家族や医療者への依存(Dependency)
③人生目標の中断(Disability)
④人間関係の途絶(Disruption)
⑤容姿の変貌(Disfigurement)
⑥疼痛などによる不快感(Discomfort)


症状の出現によって様々な痛みが生じるのは、がん患者に限らない。それは本書でも指摘しているように、諸外国では当たり前の認識となっている
日本では現時点で、問題が浮上し、その解決として理論を組み立て、さらに実践で立証する…この焦点が「がん」に定まっているのだと思う。他の疾患、そして疾患や年齢を問わず、痛みを感じている多くの人たちに、きちんとケアが行き届くように、粘り強くそして早急に、取り組んでいかねばならないと痛感する。
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「これからの地域医療を担う在宅療養支援病院」武藤正樹(2010)

2010-11-29 10:55:00 | 医学
『地域連携入退院支援』Vol.3 No.5

2010年4月の診療報酬改定において、施設要件が緩和された「在宅療養支援病院」に焦点をあて、その実態と課題、今後の展望について提起している。

引用
・在宅療養支援病院は、在宅療養支援診療所の病院版であり、2008年の診療報酬改定で新設された。
・200床未満の病院で要件をクリアし、地方厚生局に届け出ることで在宅療養支援病院となる。
・2010年8月現在では、全国で329、東京都でも11にとどまっている。


在宅医療の推進、在宅療養支援診療所の機能向上には、後方支援病院が不可欠である。その役割を期待され、在宅療養支援病院が新設されたが、この数も頭打ちになっているのが現状である。

さらに本論では、日本慢性期医療生協協会の会長が掲げる在宅療養支援病院のあるべき姿10カ条が紹介されている。
ここに、「地域包括支援センターを併設し、介護予防だけではなく地域の介護連携センター機能を持つこと」があったが、これには違和感を感じた。地域の介護連携センター機能については、今もすでに求められている役割であり、少ない人員で、行政や民間を巻き込んだ「連携」に奮闘しているセンターが多くあるだろう。そして地域包括支援センターはすでに「介護予防」だけではなく、広く地域住民の「見えないニーズ発掘」にも着手している。
在宅療養支援病院の要件に、「連携調整を担当する者を配置している」というものがある。すでにこの要件が存在しているのだから、この機能を強化させることが先決であると考える。
コメント (2)
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「緩和ケアに関連した2010年度診療報酬改定について-在宅の視点から」吉田大介

2010-10-14 08:37:49 | 医学
『緩和ケア』Vol.20 NO.5 SEP. 2010

徳島で在宅医療を実践している医師による解説。
診療報酬の内容と、今後の課題を在宅医の立場から提起している。

引用
・2008年4月の改訂において、退院時共同指導料が新設された。(中略)筆者としてはこのメンバーに医療ソーシャルワーカーが含まれていないことに不満を覚える。
・今回介護支援連携指導料が明記され、その中に社会福祉士が成員として明記されたことは意義深い。

がん診断時に身体的苦痛をとるという面では緩和ケア医の出番がなくとも、心のつらさのうち、①療養環境、②家族との関係、③仕事などの社会的役割、④経済的問題、などが社会的痛みとして患者を苛み始めることは間違いなく、それゆえ早期から緩和ケアを必要となる。そういった状況に対処し、適切な援助を与えられる職種としてMSWが最適であり、かつ重要ではないだろうか。


緩和ケアの対象者は、余命告知を受けている「終末期患者」にとどまらないという理解は、すでに現場での浸透しつつあると感じる。筆者が指摘されているソーシャルワーカーの必要性、他職種からに認めてもらえることに嬉しさを感じる。
病院から在宅へと移行し、生活をしながら闘病をすることは、とてもしんどく、楽しいことばかりではない。その時に、ソーシャルワーカーが尽力できることは、多くあると確信している。



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「在宅ケアからみた死生観-死と向き合う場としての在宅ー」前野宏

2010-10-03 20:24:51 | 医学
『緩和ケア』Vol.20 No.5 SEP.2010

在宅緩和ケア専門のクリニックに勤務している医師の論文。
自身の経験を踏まえ、在宅で死を迎える患者、家族の死との向き合い方や医療従事者の姿勢について述べている。

学術論文ではなく、実践報告という印象が強く、広く多くの人が理解できる内容になっていると思われる。

引用
・ギリシャ語で「時間」を表す言葉が2つある。それは「クロノス」と「カイロス」である。「クロノス」は一般的な時間を意味する。「カイロス」は人間の内的な時間、長さではなく、意味を持った時という意味である。
⇒上記を踏まえ、近代医療は治癒しない状況であっても長く生きるために治療をし続ける…「クロノス」。一方で、病気が治らないのであれば、延命治療よりも「今」という時を大切にする…「カイロス」。


本論文では、いくつかの事例を紹介し、「患者が死と向き合い、死の準備をするのに自宅に勝る場はないであろう」と述べている。気持ちの整理、思い出の品の整理、お金の整理などなど、そういった作業は死と向き合うことを後押しし、そして伴走もするだろう。そういった意味で、筆者の見解にはとても共感できた。
しかし家族にとっても、「患者の死と向き合うためには、在宅という場はふさわしい」という見解には、素直に共感することができない。それは症状が安定せず、患者本人の精神状態の変動が著しい場合、家族にとっては、患者亡きあと「思い出したくない空間」にもなりえる。それは、疼痛管理や介護体制を十分に整備することで、起こらない事態かもしれない。しかしやはり未だに、「急に退院しろと言われた」「何がなんだかよくわからないまま、日々を消化している」と思う患者・家族はいるであろう。

在宅は「居心地のよい場所」であることは間違いない。しかし万人にとってそうなのか、少し斜めの角度からも「在宅緩和ケア」を眺めることも必要だと考える。


緩和ケア 2010年 09月号 [雑誌]

青海社

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「在宅緩和医療のパス」下妻晃二郎・斎藤信也(2007)

2010-09-27 20:31:06 | 医学
在宅緩和医療におけるパスについて、欧米と日本における開発状況、利用状況について概説している。それを踏まえ、在宅緩和医療のパスに盛り込まれると望ましい項目を紹介している。
在宅緩和医療に関する基礎情報については紹介されているが、クリティカルパスについての詳細の説明はない。そのため、クリティカルパスの知識を整理した上で読むと、より分かりやすいと思われる。

引用
・医療の質の評価に必要な3要素(Donabedianのモデルを紹介)*Donabedian⇒レバノン出身の医学博士。
「構造(ストラクチャー)」「過程(プロセス)」「結果・成果(アウトカム」

・在宅緩和医療に求められる最終的なアウトカムは、患者の症状緩和やQOLなどの健康アウトカムの改善、スピリチュアリティへの配慮であると考えられる。


昨今は、地域連携クリティカルパスの開発が積極的に行われており、介護との連携を試みている医療機関や自治体もある。
パスによって医療機関同士の連携がスムーズになったことは、どの論文を読んでもメリットとしてあげられている。連携の一手段としてパスが存在するのであれば、それはもっと包括的な内容に作りあげられていくべきであろう。
そんな理解を助けてくれる論文である。


緩和医療学 vol.9no.2(2007.4)

先端医学社

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「遺族外来からみえてきたもの」大西秀樹(2010)

2010-09-08 12:11:55 | 医学
『死別の悲しみから立ち直るために』平山正実/編著 聖学院大学出版会

埼玉医科大学において、「遺族外来」を担当している医師による論文。
「遺族外来」で出会った遺された家族を通して、喪の作業とはどのようなものか?等を紹介している。

引用
・がん患者家族の10~30%に何らかの精神医学的な疾患が認められ、抑うつの程度は患者と同等ないしそれ以上である。
・遺族は死別後にストレスを受け、心身に影響を及ぼすことから介入が必要であるが、このような場面で行われる介入はPostvention(後治療)という概念で表される。後治療は「つらい出来事の後になされる適切な援助」を意味し、シュナイドマンによりはじめて導入された(p.20)。
・社会も医学も「生」の側面を中心にして命をみているのが現状なのだろう。多くの場合、社会は成長を求め、われわれはそれに応えようとする。愛する人を失った遺族すら、その成長に応えようとし、つらい思いを必死で耐えようとする。そのような人にまで十分な援助が行き届くほどに、まだ社会は発展していない(p.37)。


「死別」は特別なことではなく、当たり前のことではあるが、その当たり前が「なんでもないもの」と解釈されているのが、現在の大方の傾向であると感じる。
悲しみを抱え、いつもと同じように振舞おうともがいている遺族に対して、社会ができること、医学ができることは何か。その根本を垣間見たように思う。



死別の悲しみから立ち直るために (臨床死生学研究叢書 2)

聖学院大学出版会

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