『保健師ジャーナル』2019.6 Vol.75 No.6
保健所でひきこもり事例と向き合い、実践している精神保健福祉相談員さんの論文。
凄惨な事件が立て続けに起こり、さまざまな議論が飛び交っている今日このごろ。誰にとっての支援なのかをあらためて考えたい。
引用
・私たちは家族からの相談を受けた時、何気なく「様子を見ましょう。何かあれば教えてください」と話してしまうことがあります。ただ、こう話すには、今後に起こる「何か」を分かっており、それを家族に説明できる状態でなければならないと思います。分からず、説明できないのであれば、関わり続ける必要があります。
・「支援」という言葉は都合の良い言葉であり、行っていることが全て良いことのように捉えられ、正当化される怖い言葉だと感じます。「支援」といった場合、そこには根拠がなければいけません。また、「支援」とは困っている人に対して手を差し伸べることであり、家族が、私が、困った人をどうにかすることではありません。
「気にかけていいますよ~」という意味合いをこめて、「何かあったら連絡をください」と電話を切ったり、面接を終了することはよくある。それは誰のための締めの言葉だったのか?とあらためて考える。
面接時間が長時間に及び、そろそろおしまいにしたいときの決まり文句であることもある。相談窓口はいつでもオープンですよという気持ちで終了するときの言葉のときもある。
その場面場面によってこちらの気持ちは違うけれども、受ける人にとっては、その言葉だけなのである。
具体的に、相手にあった言葉を選んで伝えないと、きっと関係はつながらないとしみじみと思わされた。