(1)戦争に正義とか道理とか倫理とかはないから、いかなる戦争も正当付けることなどできない。自分たちの野望とか欲望を満たすために勝手な理由を付けて、地域紛争の解決手段のためにどこかで戦争は行われて、無くはならない人間世界の不条理性(unreasonableness)だ。
一撃にして街全体を破壊する原爆も科学生物兵器も銃器も、どれが許されてどれが許されないという名目のものでもない。
戦争手段のあらゆるものが人類を地球を自然を破壊し続ける永遠に許されざる凶器、凶行だ。
(2)1945年8月6日に広島に米国が原爆を投下して67回目の「原爆の日」を迎える。
世界で唯一すべての許されざる兵器の中のひとつの大量破壊兵器の原爆投下による被ばく国日本として、世界に悲惨な許されざる被ばく犠牲情報を発信し続けるとともに、67年間それは世界がいまだに核保有大国の米露核軍縮交渉が進まずにさらにイラン、北朝鮮の核疑惑危機増幅の中で、世界が問題意識を共有し続けなければならない現実を示してもいる。
(3)世界で唯一の被ばく国日本も、これまた唯一の核兵器使用国の米国の核の傘に守られるというパラドックス(paradox)な安全保障体制にある不可解さも同時に認識しなければならない。
日本が毎年被ばくの悲惨さを世界に発信し続けながら、一方国内ではその世界最大の核保有国米国との軍事同盟に安全保障を託す矛盾行動(外交)の中で、世界平和の環境整備に効果的に尽力できない、してこなかった歴史的背景がある。
(4)8月6日を迎えるたびにいまだに被ばくの被害に悩まされる人がいて、広島市が核のない平和な世界実現へのメッセージを広く発信しながら、原爆の日に参列した首相の胸の内、腹の中では官邸に帰ればどうしようもない国際政治力学の現実の中で核兵器が拡散する世界に無力で、地域戦争はどこかで継続されている現実だ。
原爆の日に参列する首相の胸の内、腹の中、本当のところを聞きたいものだ。
(5)核兵器はすでに何回も地球壊滅規模のものが保有されており(推計1万9千個ー報道)、核保有国を含めて一部の非現実主義者以外は、実際に「使用」することなど不可能な非現実的兵器となっている。
使用すれば地域的といえども将来にわたって核汚染し続けて生活地域復活など不可能な現実だし、自らの地球、自然、環境全破壊につながることが誰の目にもあきらかだからだ。
世界はその空想現実を背景として、現実的な政治力学のゲームを楽しんでいるかのようだ。
(6)米国では、先の大戦での原爆投下は戦争終結のためにやむを得なかったと今も60%がこれを支持(アンケート結果)する最大の核保有国だ。そしてそれが日本の軍事同盟国でもある。
8月6、9日(長崎)を迎えるたびに、現実(reality)と非現実(unreality)、仮想(supposition)と空想(daydream)の世界観にむなしさ、怒り、無力を憶えるばかりだ。
それでも8月6、9日の怒りが消える日(核のない平和世界)が来るために、日本には世界で唯一被ばくの痛みを忘れてはならない努力、継続が今は必要だ。
一撃にして街全体を破壊する原爆も科学生物兵器も銃器も、どれが許されてどれが許されないという名目のものでもない。
戦争手段のあらゆるものが人類を地球を自然を破壊し続ける永遠に許されざる凶器、凶行だ。
(2)1945年8月6日に広島に米国が原爆を投下して67回目の「原爆の日」を迎える。
世界で唯一すべての許されざる兵器の中のひとつの大量破壊兵器の原爆投下による被ばく国日本として、世界に悲惨な許されざる被ばく犠牲情報を発信し続けるとともに、67年間それは世界がいまだに核保有大国の米露核軍縮交渉が進まずにさらにイラン、北朝鮮の核疑惑危機増幅の中で、世界が問題意識を共有し続けなければならない現実を示してもいる。
(3)世界で唯一の被ばく国日本も、これまた唯一の核兵器使用国の米国の核の傘に守られるというパラドックス(paradox)な安全保障体制にある不可解さも同時に認識しなければならない。
日本が毎年被ばくの悲惨さを世界に発信し続けながら、一方国内ではその世界最大の核保有国米国との軍事同盟に安全保障を託す矛盾行動(外交)の中で、世界平和の環境整備に効果的に尽力できない、してこなかった歴史的背景がある。
(4)8月6日を迎えるたびにいまだに被ばくの被害に悩まされる人がいて、広島市が核のない平和な世界実現へのメッセージを広く発信しながら、原爆の日に参列した首相の胸の内、腹の中では官邸に帰ればどうしようもない国際政治力学の現実の中で核兵器が拡散する世界に無力で、地域戦争はどこかで継続されている現実だ。
原爆の日に参列する首相の胸の内、腹の中、本当のところを聞きたいものだ。
(5)核兵器はすでに何回も地球壊滅規模のものが保有されており(推計1万9千個ー報道)、核保有国を含めて一部の非現実主義者以外は、実際に「使用」することなど不可能な非現実的兵器となっている。
使用すれば地域的といえども将来にわたって核汚染し続けて生活地域復活など不可能な現実だし、自らの地球、自然、環境全破壊につながることが誰の目にもあきらかだからだ。
世界はその空想現実を背景として、現実的な政治力学のゲームを楽しんでいるかのようだ。
(6)米国では、先の大戦での原爆投下は戦争終結のためにやむを得なかったと今も60%がこれを支持(アンケート結果)する最大の核保有国だ。そしてそれが日本の軍事同盟国でもある。
8月6、9日(長崎)を迎えるたびに、現実(reality)と非現実(unreality)、仮想(supposition)と空想(daydream)の世界観にむなしさ、怒り、無力を憶えるばかりだ。
それでも8月6、9日の怒りが消える日(核のない平和世界)が来るために、日本には世界で唯一被ばくの痛みを忘れてはならない努力、継続が今は必要だ。