(1)昨年7月にノルウェー首都近郊の小島にひとり重火器で武装して乗り込み、労働党政治集会に参加していた若者ほか69人を殺害した男性がテロと殺人罪に問われて、最高刑の禁錮21年の判決を受けた。
男性は全体主義愛国思想を信奉して労働党に敵対心を持って犯行に及び、当時の精神状態が責任能力を問えるのかが裁判焦点ともなっていたが、精神鑑定の結果、責任能力があると認定されての同判決だった。
今回の判決では、禁錮10年で仮釈放の権利も与えられており、刑期開始から10年で社会に復帰する可能性もある(報道)。
(2)世界的な死刑廃止論が主流の中で、ノルウェーの最高刑が禁錮21年(労働義務のない拘束服役)という法律制度の事情の中での刑事責任論だ。
世界的にも死刑制度を有する数少ない国のひとつの日本の法律制度の習性の中で生きるわれわれにとっては、69名もの何の因果関係もない若い生命を奪った極めて卑劣な犯罪行為に対する量刑としては、同国最高刑といえども禁錮刑という「犯罪比較軽い」印象を受けるものだ。
(3)多分に人間、人格、人権に対する尊厳(dignity)、存在意義、価値観、更生観の歴史、文化、社会の違い、あるいは宗教観(religionism)の違いが根本理念にあると感じざるを得ない。そもそも、人が人を裁く不条理性と宗教観に根差した善良性との比較優位性が働いているように思う。
つまり、性善説、性悪説による人間の守られるべき本来的な尊厳性、可能性を最大限尊重しようという社会的なパラダイム(paradigm)が法律理念に働いている。
(4)日本でも世界的な死刑廃止論の中で、死刑制度の是非について検証される機会が多くなっている。
人間の人格、人権否定から見れば、日本での最高刑の死刑よりも一生自由を拘束されて終える無期懲役刑の方が余程苛酷な刑罰理念であると言える。
ノルウェーのような法律理念(legalism)をいきなり日本社会に適応できる歴史、文化、法律理念、社会通念は日本にはないが、死刑制度の廃止は人が人を裁く不条理の中で検証、見直しされていい法律論だ。
男性は全体主義愛国思想を信奉して労働党に敵対心を持って犯行に及び、当時の精神状態が責任能力を問えるのかが裁判焦点ともなっていたが、精神鑑定の結果、責任能力があると認定されての同判決だった。
今回の判決では、禁錮10年で仮釈放の権利も与えられており、刑期開始から10年で社会に復帰する可能性もある(報道)。
(2)世界的な死刑廃止論が主流の中で、ノルウェーの最高刑が禁錮21年(労働義務のない拘束服役)という法律制度の事情の中での刑事責任論だ。
世界的にも死刑制度を有する数少ない国のひとつの日本の法律制度の習性の中で生きるわれわれにとっては、69名もの何の因果関係もない若い生命を奪った極めて卑劣な犯罪行為に対する量刑としては、同国最高刑といえども禁錮刑という「犯罪比較軽い」印象を受けるものだ。
(3)多分に人間、人格、人権に対する尊厳(dignity)、存在意義、価値観、更生観の歴史、文化、社会の違い、あるいは宗教観(religionism)の違いが根本理念にあると感じざるを得ない。そもそも、人が人を裁く不条理性と宗教観に根差した善良性との比較優位性が働いているように思う。
つまり、性善説、性悪説による人間の守られるべき本来的な尊厳性、可能性を最大限尊重しようという社会的なパラダイム(paradigm)が法律理念に働いている。
(4)日本でも世界的な死刑廃止論の中で、死刑制度の是非について検証される機会が多くなっている。
人間の人格、人権否定から見れば、日本での最高刑の死刑よりも一生自由を拘束されて終える無期懲役刑の方が余程苛酷な刑罰理念であると言える。
ノルウェーのような法律理念(legalism)をいきなり日本社会に適応できる歴史、文化、法律理念、社会通念は日本にはないが、死刑制度の廃止は人が人を裁く不条理の中で検証、見直しされていい法律論だ。