いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

戦争ジャーナリズム。 war journalism

2012-08-28 19:43:44 | 日記
 (1)せめて国連は「報道の安全」、戦場ジャーナリストを守れと書いたが、地域紛争、内戦戦場では多くのジャーナリスト、報道カメラマンが犠牲になっていく。
 戦場の異常性は、報道なしに世界に今起きていること、今後どう動くのかを認識、対処させる起爆とはならない。無駄で無益な紛争、戦争の犠牲を阻止することなど出来ない。

 毎日、新聞に目を通すたびに地域紛争、戦争で犠牲(war victims)になる毎日の人々の数に無念とやり切れなさを憶える。
 日本でも毎年3万人を超える自殺行為者を輩出して、自動車事故の犠牲者も後をたたない「現実(actuality)」がある。

 ともに人間ひとりの生命の尊厳は変わらないのに、理不尽な紛争、戦争犠牲者となると外国であろうと一種悲惨で深刻なやり切れない思いが強く募(つの)る。

 (2)現実に国内問題としても効果的な打つ手も打たないでいて、普通手の届かない国外の紛争、戦争に対するやり切れない思いに動かされるのは不可思議な精神作用だ。
 政府と反政府組織が全面対決して市街戦をくり広げるシリア内戦は、米国、欧州とロシア、中国の安保理事国対立構図を内戦に持ち込んで、双方引くに引けない泥沼の局地戦争化だ。

 フリージャーナリストとしてシリア内戦の現地報道にかかわってきた日本人女性ジャーナリストが取材中に戦争行為、銃撃戦に巻き込まれて死亡した。その使命感には頭の下がる思いだが、その意思、決意の成就(じょうじゅ)には無念とパラドックス(paradox)に不思議な満足感もあるのではないのか。

 (3)人間ひとりの生命の尊厳は、一見平和な日本では厳しい現実感を持って捉えられるが、その地の内戦では毎日のように数十倍、数百倍の生命が奪われている現実を見ると、ここでセンチメンタル(sentimental)にけっして立ち止まることなど出来ない、悲惨な戦争に対する憎悪感でしかない。

 (4)シリア内戦での日本人女性フリージャーナリストの犠牲を世界のメディアはその特異性をトピックス(topics)として強調するが、毎日、新聞を見るたびに報道される現地内戦犠牲者のおびただしい数を目にするものにとっては、すでに心には戦争行為に対する憎悪感がいっぱいなのだ。それも危険と対価の戦争ジャーナリズム(war journalism)の偉大さでもある。

 むしろそんなトピックス手法などには違和感も覚えるほどすでに異常事態なのだ。ただし日本人女性ジャーナリストの犠牲は、国連戦争停止監視団の撤退に対してその使命感も目的感、成就感もない無責任体制だけを強調してみせた。

 (5)女性ジャーナリストひとりの犠牲がシリア内戦に影響を及ぼすほどの力があればそれはそれで救われるが、彼女が世界に発信しようとした毎日のおびただしい現地犠牲者の無念さはいかばかりなのだろうかと、新聞を見るたびに自問自答している。

 (6)日本は、米軍基地を国内に抱えて本来の安保体制とは無縁の、世界の紛争、戦争とは無縁ではなくなっている「現実(actuality)」をはっきり認識すべきだ。
 

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