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「赦し」「癒やし」により平等社会への道筋をつけたマンデラ氏

2013-12-07 | 雑記

マンデラ氏 世界が追悼

南ア各地で半旗、15日国葬

1995年7月宮中晩さん会で天皇陛下と乾杯したマンデラ氏
 アパルトヘイト(人種隔離政策)を撤廃に導き、ノーベル平和賞を受賞した南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領が95歳で死去してから一夜明けた6日、南アでは各地で半旗が掲げられ、国内は追悼ムードの包まれた。

マンデラ氏は27年余りの獄中生活を経て、

アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃という偉業を成し遂げられた南アフリカの元大統領です。

白人を嫌うのではなく、差別をする政策を糾弾し続けた人物です。

しかし、今なお南アには人種間の所得格差などが根強い状態だといいます。

残念なことですが、このような問題は、世界各国で今なお残っている人間社会の汚い面だと思います・・・


今朝は、マンデラ氏の人生を解説した記事を紹介してみようと思います。

~以下、12月7日読売新聞朝刊より抜粋~

闘士 忍耐 和解の人生
 「声を大にして世界に言える。『ついに自由だ』と」

 1994年5月2日。南アフリカ初の全人種参加選挙後、ネルソン・マンデラ氏がヨハネスブルク市内で大観衆を前に勝利宣言した。その声は地鳴りのような歓声にかき消された。

 その前日、本紙などのインタビューに応じた時の印象も忘れ難い。苦難の歴史を振り返り、時折、闇の底を見つめるかのような表情になりながらも、背筋を伸ばしていた。当時75歳。「日本からの若い方よ」と語りかけてきた独特の声。周囲を和ませるユーモア。握手すると、鉄のような拳だった。少数白人政党も取り込んだ新政府を樹立し、みんなで権力を分け持つ考えを静かに語ってくれた。

 その歩の第一章は「解放の闘士」だ。有力部族の族長の血筋を引き、青空のもと、白人の入植前の時代について話を聞かされた。ボクサーでもあった青年は、アフリカ最古の政党。アフリカ民族会議(ANC)に入り、非白人弁護士として初の法律相談所を開いた。全てが人種差別の上に成り立つグロテスクな社会で闘いに目覚めるのは必然だった。

 ボイコットやストライキで抵抗し続けたが、ANCが非合法化されると地下に潜行し、武装組織「民族の(やり)」を組織した。白人政権から見れば「テロリスト」だ。国家反逆罪で終身刑を言い渡され、思想犯が送られるロベン島で囚人番号「466-64」となった。

 第二章は「忍耐の人」。27年余りの獄中生活で、毅然とした態度を崩さない囚人の人となりは国際的に知られるようになり、次第に白人政権にとって無二の交渉相手となっていった。89年、政権を握ったデクラーク氏は国際的な経済制裁による難局の打開を図り、アパルトヘイト体制に終止符を打つ決意を固めた。そのパートナーはマンデラ氏以外になかった。「白人支配者に極刑を」と息巻く黒人過激派を抑え、ANCの武装解除を果たし、94年選挙にこぎ着けたのはマンデラ氏の統率力によるものだった。

 第三章は「和解の指導者」だ。単なる植民地支配でなく、究極の差別体制と闘ったANCは途上国ではまれな「非民族主義」「自由主義」に収れんしていく。早くも60年代半ば、アフリカ黒人の民族主義という狭い考えを乗り越え、自由と民主主義を追求する覚悟を示していたマンデラ氏が中心となっていった。獄中生活での思索が磨きをかけ、普遍的価値にまで高められた。

 具現化したのがマンデラ政権下で98年まで開かれた真実和解委員会だ。人権侵害を調査する機関だが、国家犯罪を暴き、裁くだけでなく、「(ゆる)し」「癒やし」により人種融和と和解を目指す試みで、「虹の国」の礎石となった。多くの紛争国のモデルにもなった。

 マンデラ氏の人生に途中から影響を与えたのは非暴力抵抗運動で知られたインド独立の父、マハトマ・ガンジーだ。ガンジーの思想を米国で受け継いだのはマーチン・ルーサー・キング牧師。2人はいずれも凶弾に倒れた。だが、マンデラ氏は平等社会への道筋を付けた後、国父として天寿を全うした。最終章まで見届けられたことも全人類にとっての遺産となった。

(元ヨハネスブルク特派員 勝田誠)

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