どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

山うば・・福井

2023年01月04日 | 昔話(北信越)

           福井のむかし話/福井のむかし話研究会編/日本標準/1977年

 

 昔話のお坊さんは、主人公を盛り立ててくれる存在ですが、お坊さんが主役の話。

 

 用事ででかけた坊さんが、日が暮れ一夜の宿をもとめた山の中の家。

 はじめはうんといわなかったが、なんとか頼み込んで泊めてもらうことに。その家のおばばは、「約束を守るなら」と、泊めてもらうことができたが、奥の座敷はのぞかないようにいって、奥の座敷へ。

 真夜中になって、奥の座敷からポキン、ガリガリ、ポキン、ガリガリと変な音がするので、我慢できず奥の座敷をのぞきこんだお坊さんは、おばばが髪の毛を振り乱し、耳までさけたようま口で、人間の手や足を食べているのをみて、一目散に逃げだします。しかし、逃げ出すとき、戸のしきいにつまづいて、ガタンと音を出したので、人食いばばあに見つかってしまいます。逃げる坊さんが、もう少しでつかまえられそうになり、「ナミアブダブツ、ナミアブダブツ、ナミアブダブツ・・・」と、となえると、ふしぎなことに、人食いばばあの姿が消えてしまっていた。

 坊さんが、仏さんのお力で、助かることができたという。


おおとしの客・・福井

2022年12月31日 | 昔話(北信越)

          福井のむかし話/福井のむかし話研究会編/日本標準/1977年

 

 庄屋さんが村を歩いていて、今にも息を引き取りそうな病人を見つけ、だれか世話をしてくれる家をさがしますが、あしたは正月。どこにもひきうけてくれる家がなく、庄屋は米五升を出すからと、貧乏で難儀をしている家に頼みます。

 正月の支度もままならないその家では、土間にわらをしいて、病人をねかせ、その上にコモを着せて休ませた。かつぎこまれた病人のことを思えば、たとえ貧乏で難儀していても、けっこうなことだと思わなばならないと納得した夫婦。

 正月の朝、もう病人が息をひきとってしまったかと思いながらそばにいってみると、かぶせてあったコモが、むくんとかさが高くなっているので、ゆうべのうちに死んでしまったかもしれないと、コモをあげてみると、千両箱がいくつも積み重なっていた。

 庄屋さんのところにいくと、いきなり、「病人は死んだか!」と早合点し、「死んだやろうなあ。正月三が日はそうしきだせんから、三日たつまで、死んだ人をあずかっておいてくれ。米をもう一俵だすから、それでそこそこのそうしきをやってくれんか」という。

 かくさずに、今朝からのことをゆっくり話した夫婦が、「お米も金もいりません。」というと、庄屋はなんと正直なことかと感心しました。

 金持ちになったこの家では、毎年暮れの大みそかの夜は、土間にわらをしいて、コモを頭からかぶり、ねぞめをするようになったとさ。

 

 情けは人の為ならずです。

 

 物価高、新型コロナ、戦争、軍事費増強といいことのなかった今年。来年こそはウクライナの子どもに笑顔がもどりますように!   2022年の暮れに


しゅとめとよめさん・・福井

2022年12月28日 | 昔話(北信越)

          福井のむかし話/福井のむかし話研究会編/日本標準/1977年

 

・よめのちえ

 息子のよめさんをいじめてやろうと考えていたしゅうとめ。

 ある日、ご飯のおかずに、魚の頭を出すと、よめさんはにこにこ笑って「お頭さまをくださるなんて、ご先祖さまにもうしわけないわの」と、うまそうに骨までなめた。

 これは失敗したと、しゅうとめが、つぎに魚のしっぽを よめさんにやると、またにこにこ笑って「尾さま(王様)を、くださるなんて、ご先祖さまにもうしわけないわの」と、よめさんは、うまそうにたべた。

 しゅうとめが、これではどうだと、魚のまんなかの身のところを出すと、よめさんは、すこしも笑わず、ウンともスンともいわず、しぶしぶ、まずそうに食べた。しゅうとめさんは、これはうまくいったわいと、それからは、ずうーっと、魚のまんなかをだしたので、よめさんは、うまーい身ばかし、くうことができたと。

 

・よめとしゅうとのちえくらべ

 無理難題で、よめをこまらせようと、「風を紙にのせてもってこい」というと、よめさんは、すぐにうちわを一本持って、いじわるいしゅうとの前へさしだす。

 「こんどは、火を紙につつんでもってこい。」と、しゅうとがいうと、よめさんは、ろうそくに火をともしたちょうちんを持って、しゅうとにさしだした。

 「灰で、なわのうてもってこい」といいつけると、よめさんは、わらでなわをのうて、それを火で燃やしましたという。

 このしゅうとは、よめさんにかなわないと思い、自分が悪かったとあやまり、よめさんをだいじにして、なかよくなったとさ。

 

 大家族のなかで苦労してきたよめさんの知恵がいきている話。


サルとお経・・新潟

2022年10月29日 | 昔話(北信越)

          新潟のむかし話/新潟県小学校図書館協議会編/日本標準/1976年

 

 徳のあるおぼうさんと、サルのしっとりとした話。こんな昔話もあります。

 

 お坊さんひとりの古い由緒の寺に、いつのころからか2ひきのサルがやってきて、お坊さんの読む経を、熱心に聞いているようになった。雨の日も風の日も休まず100日あまり。

 不思議に思ったお坊さんがわけを聞くと、経を書いてくれというような身振り。お坊さんが「望み通り経を書いてしんぜよう」というと、五、六日すぎたある日、何百びきものサルが、木の皮を寺の前に置いていきました。

 お坊さんは木の皮をすいて紙を作り、よい日を選んで経を書きはじめた。経を書きはじめると、サルは、前にもまして、熱心にお寺にやってくるようになり、さらに山イモやカキ、ナシなどの実をたくさん持ってきて、寺の前においていく。

 坊さんが第五巻まで書き終わったときのこと、どうしたことか、毎日、休まずにかよっていたサルのすがたがみえなくなった。何日もすがたが見えないのを心配したお坊さんが、あちこちを探したところ、土のなかに頭をさしこんで、うずくまって死んでいる二ひきのサルを見つけました。サルを丁寧にほおむり、経を読み、サルの後生を弔った坊さんは、まだ書き終わらない経を、寺の柱を削ってあなをほり、その中に、大切におさめました。

 それから四十年後、都から新しく国司(いまの県知事)がやってきて、まだ書き終わっていないお経がないか尋ねます。坊さんたちがだれも答えられずにいると、八十をすぎた立派な坊さんが出てきて、サルの話を、国司に話します。そしてこれまで書き上げたお経を国司に差し出しました。国司夫婦は、お経を書き終えていただくため、人間としてこの世に生まれてきた、そのサルは、夫婦の前身だという。これからも、このお経をさいごまで書き続けるよう、お坊さんに頼みます。

 お坊さんは心に感じ、国司の願いをきき、経の書き写しを熱心にはじめます。そして出来上がった経を完成させ、国司にさしあげます。そのご、坊さんはりっぱな生き方をし、国司も越後の国司として、しあわせな一生をおくります。


猿供養寺の人柱・・新潟

2022年10月26日 | 昔話(北信越)

       新潟のむかし話/新潟県小学校図書館協議会編/日本標準/1976年

 

 猿供養寺の村は、毎年毎年、春先の雪解けのころや、雨がいっぱい降る秋の終わりごろになると、きまったように地面が動いて、田畑がこわれたり、家がくずれたりしていた。

 この年も春先の地すべりがはじまり、村の人たちは、いままで動いたことがない松の木屋敷で、地面が止まるまでおいのりをはじめた。三日もいのり続けても地面の動きは止まらず、だんだんひどくなって、どろ土に巻き込まれる家も出てきた。村じゅうで、おしよせる土を取りのぞく仕事が四日も続き、地すべりがはじまってから八日目に、地の神さまに、生きたまんまの人をうずめて、おまいりするしかないと、相談がまとまりました。

 わかい娘や年寄りが名乗りをあげますが、さてだれにするかで少しもきまらない。そこにやってきた旅のぼうさんが、地すべりがはじまってからのことを聞くと、「わしが人柱になろう。わしにその役目をさせてくれんか。なかのよい村のしゅうをだれひとりなくしてもいけねえ。わしは、仏につかえる身じゃ。こんなよい人たちのお役に立てれば本望じゃ。」といいます。

 つぎの朝、ぼうさんは身を清め、白い着物を着て最後のお経をとなえます。それから、ほってある穴にはいります。村の人は、涙ながらにかたくかたく土をかぶせました。

 それから何日もしないうちに、大地の動きはすっかり止まりました。

 

 1937年松の木屋敷から瓶が発見されました。このなかに、おいのりしている人のすがたがあり、調べてもらうと、ハ百年も前の旅のおぼうさんだろうという。村の伝説が本当らしいという後日談は興味深い。ただ人柱が本当にあったとすると複雑な気持ちです。


三つの山・・新潟

2022年08月03日 | 昔話(北信越)

          新潟のむかし話/新潟県小学校図書館協議会編/日本標準/1976年

 

 山を三つこえていったところに、たからの原っぱがあるというので、何人もその山をめざしていた。

 山の登り口にいる白いひげのおじいさんが、山への登り方を知っていて、山を越えるとき、後ろをふりむいてはいけないという。もし後ろをふりむくと、石ころになって谷底へおちてしまう。

 ひとりの若者が、一つ目の山の頂上近くまで来ると、すごい火がもえていて、「火事だ!」と叫んで、後ろを振り向くと、石ころになって谷底へ転げ落ちてしまいます。

 ほかの若者が、一つ目の山を越え、二つ目の山をのぼろうとすると、一面に針がうわむきしていて、歩こうにも歩けない。道を間違えたのかもしれないと、あともどりしようとしたら、石ころになって谷底へ。

 つぎの若者は、三つ目の山の頂上へ行くと、大きなトラがでてきて、この若者も石ころになって谷底へ。

 つぎの若者が、「トラに のみこまれてもええわ」と、前へ出ると、そのとたん、何もいなくなって、広い原らっぱつくと、そこには、たからものではなく、見たこともないきれいな花が咲いていました。

 若者は「ああ、これがたからの山なんだなあ」と、心から喜び、そこにすむことに。おじいさんにお礼をいおうと思ってかえると、あの白いひげのおじいさんは、どこをさがしてもいなかったと。

 

 繰り返しが三回というのが、昔話のパターンですが、ここでは四回です。


はぐすけ・・石川

2022年06月20日 | 昔話(北信越)

      石川のむかし話/石川県児童文化協会編/日本標準/1977年

 

 ちょっと楽しい貧乏神の話。

 昔、萩谷に はぐすけという若いしゅうがおった。昼も夜も よう働いていたが いつまでも貧乏で、たんぼでも、ろくなもんができない。

 これは貧乏神のせいだと、在所から逃げ出すことにし、がんじょうな草鞋を、貧乏神にみつからないよう、こっそりつくったとい。

 まだ外が暗がりのとき外に出ようとすると、なぜか草鞋が片方しかみつからない。いくら探して見つからず、このままだと夜が明けてしまうと、片方の草鞋をはいて、家を出た。上方に行こうと、道を急ぎ、川を渡っていると、向かい側から来た旅のもんが「また、おかしなもんに出おうた。さっきも片方の草鞋をはいたもんにでおうたが、また、ひとりでおうた」といって、わろうたとい、

 これをきいた はぐすけは、草鞋を片方はいて、先きを越していったのは、貧乏神にちがいないと、はいていた草鞋をすてて、在所にもどってきたとい。

 帰ってみると、小屋の前に でっかい牛みたいなもんが、ねまっている。はぐすけは、貧乏神が先回りしたにちがいないと、鍬を、ねまっている牛めがけてたたきつけた。ガッチッと手ごたえがあって、よくみると、それは大判小判のつまったふくろやったとい。

 いっぺんに長者になった はぐすけは、みんなから大事にされるもんやから、有頂天になってみんなにふるまいをしたとい。

 はぐすけは、倉をいくつも建て、毎日が極楽暮らし。それでも毎日、道楽していたら、食うもんは何食べてもうまくないし、若いじぶんに食べた時の味がわすれられない。このままだと、おらも在所のもんも、だめになってしまうと案じていた。

 そのうち、はぐすけは、毎晩夜になると、かめに大判小判をつけて山へでかけるようになった。ふしぎにおもった村人のひとりが、こっそりあとをつけるが、山の中で、姿を見失ってしまう。

 はぐすけは、昼間は寝て、夜になるとうごきまわるので、ミミズクみたいになって、しまいには あんばいが悪くなって死んでしまう。在所のもんが、はぐすけに 銭の隠し場所を聞くが、結局どこを掘り返しても、出てこなかったという。

 どんな食べものより、汗水働いて食べるものの方がおいしいという境地には、なかなかなれません。


イモほり藤五郎・・石川

2022年06月16日 | 昔話(北信越)

           石川のむかし話/石川県児童文化協会編/日本標準/1977年

 

 むかし、わらぶきの貧乏な家に住んでいた藤五郎ところへ、嫁入り行列がやってきて、よめごに してほしいという。

 何が何だかわからない藤五郎に、後からきた白髪の爺さんが、「わたしゃ大和の国初瀬村の方信というもの。長い間こどもにめぐまれなかったもんで、毎日毎晩初瀬の観音に願をかけ、さずかったのが和子と、もうします。すくすくのびて、今年17。ある晩、観音さまが、まくらもとにたたれて、加賀の国、山科という里に藤五郎という若者がいる。家は貧しいが、気だてはやさしく、むことして不足のない男や。いそいで出かけるがよいぞ」という。

 それならばと、よめさんに もらうことにした藤五郎。

 藤五郎は、村のもんを呼んで、よめさんをひきあわせ、よめさんのもってきた着物や帯を、お祝いじゃというて、みんなにわけてやったと。

 年もあけて、正月も終わりのころ、初瀬の長者から、お年玉というて、重たい袋がおくられてきた。なんやと思うて開けてみたら金のつぶが数えきれないほどはいっていた。これをみた藤五郎は、「ありがたいとは思うが、わしにゃ用のないもんや」というて、うらのたんぼにまきちらした。

 おどろいたよめさんが、「金といえば大切な宝物。すてんでいいものを・・」というと、「金なんか、わしゃ自然薯を掘りに行くと、自然薯についてでてくるわい。」といった藤五郎は、翌日、イモほりにでかけた。

 イモづるを見つけて、くわサクリ打ち込み、ポンとほりかえすと、ぴかぴか光る金のつぶ。またくわを打ち込むと、ちょうどうめておいたかのように、大粒小粒がでてきた。藤五郎は山イモを川であらうと、川底に金のつぶが ぴかぴかひかっていた。藤五郎は、この金のつぶも、村人にわけてやったと。

 藤五郎が、山イモをあらったところを、「金洗い沢」と、いつのまにか よばれるようになったという。

 

 世の中、世界の各地に別荘をもち、自家用飛行機でとびまわる超富豪がいる。しかしいくら金があってもそれがかなずしも幸せにはつながらない。一生使いきれない金なら、しかるべきところへ寄付して社会貢献をしてもらいたいもの。


カッパのなべ太郎・・石川

2022年06月10日 | 昔話(北信越)

     石川のむかし話/石川県児童文化協会編/日本標準/1977年

 

 タイトルに「カッパ」とあるので、カッパが登場するというには容易に想像できますが、話の進行でカッパというのがわかるのがいいのか、はじめからカッパというのがわかったほうがいいのか悩ましいところ。

 

 むかし鍋谷という村に、へんな若者がすみついたんやと。このわかいもんは、なにをやらせてもすばしこく、ようでけるので、村の者は”なべ太郎”とかわいがるようになったんやと。

 「なべ太郎や、風呂の水をくんどいてくれや」というと、薪をわっていたなべ太郎は、「はあい」と元気よくこたえた。ところがいつまでたっても薪をわっている音が聞こえるので、不思議に思って、風呂板をまくってみると、風呂には水が入っていて、焚口からは赤い火が見えていた。

 なべ太郎に、米つきを頼めば、みるみるうちに白い米ができあがり、馬屋のこやし運びを頼めば、まばたきしているうちに、新しいワラにとりかえて、すずしい顔。

 正月のこと在所御講(おぼうさんをよんで説教を聞く村の集まり)のごちそうづくりを、な頼むと、二つ返事で引き受けたなべ太郎。ところが在所御講の日になっても、ごちそうをつくっている気配がない。それでも在所御講がおわって、ごちそうをまっていると、キノコのかすづけ、ヤマブキの塩漬け、ワラビのクルミあえ、ゼンマイのうまに、からし菜の味噌づけと、数えきれないほどのごちそう。村の人がよろこんで、並べた料理を食べ、家に帰った。

 次の日の朝、村じゅうがおおさわぎ。長い冬のために貯えていたキノコのかすづけや、からし菜のミソづけがなどが、すっかりからになってしもうとったんじゃ。なべ太郎のごちそうは、村の人のものだったと知ったが、自分らも食べたからと、おこるにおこられず、みんなで大笑い。

 また、かんかんでりの暑い日、村に人たちと炭売りにでかけたとき、なべ太郎は六俵もの俵をかついでも、汗もかかずどんどんあるいていった。町に着くと、町ではちょうどイワシのとれる時期で、浜いっぱいにほしたイワシの匂いがあふれていた。急にうごけなくなったまご太郎は、その場にへなへなと座り込んでしまう。村人は、先に町の中へどんどん歩いていったので、まご太郎は、ひとりに。

 ひとりになったまご太郎は、目の前にずらりとほしてあるイワシに手が伸びたかと思うと、またたくまに、みんなたいらげてしまう。これを見つけた若い漁師たちが、なべ太郎をさんざんなぐりつけると、みるみるうちに身の丈三メートルもあるカッパになって、「われこそは、鍋谷川のふちに住んどるカッパの主じゃぞい」といったかとおもうと、その場から消えてしもうた。

 そのごのなべ太郎は、だれも姿を見んようになったんじゃと。

 

 冬の保存食、おいしそうなキノコのかすづけ、ヤマブキの塩漬け、ワラビのクルミあえ、ゼンマイのうまに、からし菜の味噌がでてきて、暮らしの風景が想像できる地域ならではの昔話。 


能登の又次・・石川

2022年03月31日 | 昔話(北信越)

           石川のむかし話/石川県児童文化協会編/日本標準/1977年

 

 能登では、嘘の上手な人を「千の浦の能登の又次か」というのですが、嘘にまつわる話が又次をとおして語られていたのでしょうか。クスリと笑えます。

<その1>

 あるとき、船頭が又次に、「卯(東)の方角に向けて、かじをとっとれや」というて、かじをとらせたが、船頭が甲板に上がってみると、とんでもないとこを走っているので、「又次や、わりゃ、どこむけてかじとっとるがい」ときくと、又次が言うには「うのほうにむけて行けちゅうさけ、おらウの飛んでるところにむけて、走らしとるわいね」という。船頭が海を見ると、なるほどやまほどのウが とんどったそうな。

<その2>

 海がひどく荒れた日のこと、浜へでっかいクジラがあがったというので、村のものが包丁や切れもんさげて、浜に出ると、海が荒れているだけ。ふれまわった又次も、包丁持って真剣な顔をしているので、みんな苦笑いするだけ。

<その3>

 薬屋に仕えていた又次が、だんなから薬を買ってくるようにいわれるが、又次は浜でひるねして、クスリやったか、ヤスリかわからんようになった。

 ヤスリを買ってもどると、だんなは目玉ひんむいておこる。しかし、又次の言い訳。「クスリもヤスリも、考えてみりゃそうかわらんぞね。ヤスリとクスリでは八(ヤ)と九(ク)のちがい。なんのひとすりのちがいだけで、ヤスリもクスリも親類みたいもんや」

<その4>

 小倉屋のだんなが、又次をこらしめてやろうと、腰をぬかすほどの嘘はこけんやろと持ちかけます。

 又次は、いっときたってから、外から飛び込んできて、「おら、めずらしいもん見てきた。ツルガタケ山にツルのすをみてきた。」というので、旦那も見たくなり、案内するよう又次にいいます。又次と旦那が山に登ると、又次はでっかい木によじのぼって、火事がみえるといい、小倉屋にも火がまわったと叫びます。小手をかざし、ほんとうらしくいうので、旦那はびっくりして、腰がぬけてすわってしまいます。又次が旦那を背負って、小倉屋に帰っても、もちろん火事ではありませんでした。「約束した腰をぬかす嘘」はこれでした。


こがねのつぼ・・石川

2022年03月26日 | 昔話(北信越)

      石川のむかし話/石川県児童文化協会編/日本標準/1977年

 

 羽咋のある村に、村の誰も知らないうちに、庄助という若者が、地蔵さんのそばに小屋をたててすんどったい。

 酒もたばこも道楽もせんいいあんさ。うわさがひろがって、うちのむすめをよめにもろうてくれんかいという話が、あっちの村、こっちの村からきたが、庄助はすべてことわってしまう。

 庄助は、毎日よく働き、人の倍も稼ぎ、おまけに無駄遣いはすこしもしない。毎晩遅く帰ってくると、その日に稼いだ銭を、縁の下の土に埋めてあった壺のなかに、チャリンチャリンとおさめていた。

 庄助の楽しみは、お金をかぞえることだけ。

 壺の半分ほど銭がたまったとき、庄助は壺のことが気が気でならん。仕事をしながらも壺のことが気になって、壺の中を、なんどもなんども確かめていた。

 ある夜、庄助は「もしだれかきて、この壺をあけたら、かならずカエルにばけてくだされ。おねがいでごぜえますぞ。ぜにさま、ぜにさま」と、頭を床にこすりつけて、なんべんもたのんだとい。

 つぎの晩、いつものように壺のなかをみると、ちいさなカエルが、一匹、二匹、三匹と、壺からはいだしてきては、小屋じゅうにとびまわったとい。

 庄助が「ぜにさま。おらじゃ、おらじゃ。おらがふたをあけたときには、カエルにならんでもいいがやわけ。はよう壺のなかに帰ってくだされ。」と、手を合わせてたのんだけれど、カエルは、壺に帰るどころか、だんだん大きくなった。

 庄助がなんどもなんども、なきなきたのみ、涙がひとつぶ壺のなかにおちたとたん、でっかいカエルが、みるみるうちに小さくなり、しまいに、もとのピカピカした銭になったというこっちゃ。

 

 「かえるになったぼたもち」に にていますが、一人しかでてきません。銭は、なければ困りますが、使い方も重要です。庄助はためることが目的で、使い道はどうでもよかったようです。

 口能登の昔話で、カエルはギャットと表現されています。


身代わり地蔵・・新潟

2022年03月11日 | 昔話(北信越)

        新潟のむかし話/新潟県小学校図書館協議会編/日本標準/1976年

 

 内郷村上山田にいた源兵衛という男。家の人や村の人がいそがしげに仕事をしているときでも酒を飲んで遊び歩き、おとっつあんやおっかさんが、米や野菜を売ったお金までもちだしては、丁半につかう始末。

 村の者は、人並みのことをしない源兵衛のことを鬼源兵衛とよんで、悪口をいっていた。

 村の近くにお地蔵さまがあって、村の者は、願い事をかなえてもらうために、よくお参りにでかけていたが、まじめで、正直もののおっかさんも、源兵衛が一日でもはやく、まじめな男になってくれることをいのっていた。

 ある日、また源兵衛が遊びにいくために、こっそり家を出てお地蔵さんのところにいくと、おっかさんがでてきて帰るようにいうと、源兵衛は、こしにさしていた刀を抜いて、おっかさんを切り倒し、それでもおっかさんを、そのままにして遊びにいってしまいます。

 翌日、源兵衛が何くわない顔をして、うちに帰ってくると、きりすてはずのおっかさんが、一生懸命働いていて、「これ、せがれや。夜露はからだに毒だから、気いきつけれや」と、いつものようにやさしくむかえてくれました。

 源兵衛は、しばらくの間、ぼんやりして、言葉も出ませんでした。気をとりもどした源兵衛が地蔵のところにいくと、そこにはお地蔵さまがころがっています。お地蔵さまを見た源兵衛は、じぶんのおこないがわるかったことに、はじめてめざめ、それからは、まじめな人間になって、仕事もいっしょうけんめいにするようになった。

 それから、村の者も鬼源兵衛といわなくなり、この地蔵さまは「身代わり地蔵」といわれ、うやまわれているという。

 

 昔も今も、親が子を思う気持ちはかわりません。一方、ギャンブルは、人をダメにするとわかりながら、なかなか やめられないという現実もありあす。


こじき長者の恩返し・・富山

2022年02月09日 | 昔話(北信越)

          富山のむかし話/富山県児童文学研究会編/日本標準/1978年

 

 善意の人がでてきて、ほっこりする話です。

 

 ぽかぽかした春の日、二人連れのこじきのひとりがシラミとり、もうひとりは気持ちよさそうにねむっていたとき。

 シラミとりをしていたこじきの目の前で、ねむっていた男の鼻から一匹のハチがでてきて、花の蜜をすうと、しばらくして、また男の鼻の中へはいっていきました。

 やがて、目を覚ましたこじきが「ああ、いい夢を見た。こがね山へいって、ごちそうになったゆめをな。」というと、もうひとかせぎしようと、どこかへ いってしまいます。

 シラミをとっていたこじきも、どこかへいこうとしますが、もうひとりの男が言ったことが気になって、ハチのとんでいったところへいって土をほりかえしてみると、大判小判がいっぱいはいった瓶が出てきました。

 喜んだ男は、その金で立派な屋敷を建て、長者暮らしをはじめますが、もうひとりの こじきのおかげだとおもって、「こじきに、ほどこしをするものなり」という立て札を門の前にあげます。これを伝え聞いたこじきが、われもわれもとやってきます。

 長者は、あの男をまっていましたが、二年たったある日に、とうとう、その男がやってきました。長者は裏口からはいるよういい、きたない着物を脱がせ、新しい着物を着せて床屋に行かせます。

 夕食のごちそうの前で、その男が、どうして親切にしてくれるのか長者に聞きます。

 長者がわけをはなし、いつまでも、ゆっくりするようにいうと、そのこじきは、でっかいなみだをこぼして喜びます。さらに長者は新しい家もたててやり、いつまでも兄弟のように暮らすことに。

 

 シラミとりといっても、いまの子には通用しないかもしれません。


おならの話・・富山

2021年08月15日 | 昔話(北信越)

          富山のむかし話/富山県児童文学研究会編/日本標準/1978年

 

 くさい話もカラットしているのが昔話でしょうか。

・おならの話

 シバりに行ったおじいちゃんが、弁当を食べようとすると、スズメがあらかた食べてしまって、中にはふんのようなものが。それでももったいなからと、きたないものをよけて食べ、仕事をしようとすると、ビーヒョロヒョロビーと、おならがでた。

 家に帰っておばあちゃんに聞かせると、「こりゃめずらしいひや。おじいちゃん売りにいってくりゃどうじゃ」といわれ、「ひーいらんけ、ひーいらんけ」と売り歩いていると、むこうから殿さま。

 ビーヒョロヒョロビーをきいた殿さまは、めずらしいひきかせてくれたからと、お金をたくさん褒美にもろうてかえってきます。

 これをきいたとなりのおじいちゃんも、おなじようにしますが、めずらしいひはでません。それでも売りにいって、殿さまの前でやってみると、でたのは、なかみだったと。

 

 「鳥飲爺」と同じパターンですが、めずらしい鳴き声ではなく、おならというのは、話者の遊び心でしょうか。

 

・へえこき名人

 思うときに、思うたとおりの音でへをこくという若者が、泥棒に手足をぐるぐるまきにされ、さるぐつわもされてしまいます。泥棒どもは米やら大事にしているものどんどん持ちだしはじめます。

 どうでもいいわいと、ちゅう気持ちになった若者でしたが、ふっと じまんのへを使う手を思いつきます。

 はじめは、「パカパカパカパカ」と、遠くから馬が走ってくる音

 つぎに「ヒヒーン、ブルブルブル」と、馬のいななく音

 「ドウドウドウッ、オーラオーラ」と、家の前あたりで、ぴたりと馬がとまる音

 「だあれもおらんがか。お役人さまの見まわりじゃ。おい、そこにおるのはだれじゃ。」

 あわてた泥棒は運んだものをほっぽりだして、逃げていってしもうた。

 

 思った音でおならするというのは、だれもできない名人芸です。


えんま様も苦労が絶えない‥富山

2021年08月13日 | 昔話(北信越)

          富山のむかし話/富山県児童文学研究会編/日本標準/1978年

 

・鬼をおがんだおばあさん

 仏さまをおがまずに、鬼ばかっりおがんでいたふうがわりなおばあさん。

 寿命には勝てず、閻魔様の前でお裁きを受け、かまゆでにされることに。鬼たちが、おばあさんがさんざんおがんでくれたので、一番ぬるい釜に入れると、ちょうどよい湯加減。

 閻魔様が、かまゆでがだめなら針山地獄へ追いやれと、でっかい声でさけぶと、こんども鬼たちが、こっそりおばあさんのまえの針をぬいてやったので、おばあさんは、ちっとも血を流さずに山のてっぺんまで登ります。おばあさんが「ああ、いいながめだ。こんな見晴らしのいいところに、いつまでも住んでいたい」といったので、閻魔様もたまげてしまって「お前は、地獄にふさわしくないばばあだ。鬼ども、極楽へまわしてやれ。」と、いったとさ。

・えんま様になった八左

 蓑谷の八左という祭文がたり(山伏のようにしゃく杖をつき、ほら貝をふき流しながら、世の中のできごとを歌うように話して歩いた人)が、閻魔様の前で祭文がたりを商売にしていたとこたえると、閻魔様は聞かせてみろといいます。

 八左は「お願いとあらば語りもうそう。でも閻魔様、祭文は高座から語るもの。もし、下座から語ればばちがあたる。」というと、祭文語りを聞きたくてたまらない閻魔様は、八左に高座をゆずります。

 高座に座った祭文がたりは、鬼たちに命令して閻魔様を地獄の底においやります。

 八左が閻魔様になると、自分の在所の蓑谷のもんが地獄に落ちてくると、恩返しのために極楽へおくっていると。