どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

地獄から帰ってきたじいさん・・富山

2021年08月09日 | 昔話(北信越)

          富山のむかし話/富山児童文学研究会/日本標準/1978年

 

 これぞ昔話という話。

 下伏のじいさんが亡くなってみんなで葬式をしていると、棺のふたが内からあいて、じいさんが「なんしとんがよ」といったから、みんなびっくり。

 じいさんの話によると、赤鬼、青鬼に閻魔様のところにつれていかれたが、まだ一年早いといわれ、せっかくきたのなら地獄見物をしていけといわれたという。

 じいさんのみた針の山は、針の先を歩くのでなく、かきわけて罪人がのぼるしかけ。血の池地獄は、ええ湯加減にわいていて、罪人どもが弱ってくると養生するという。ただ地獄は泣いてもわめいても音のしないおそろしいところという。

 帰り際、閻魔様がいうには、来年の同じ日に死ぬことになっているが、極楽にいくことになっているという。

 おじいさんは、次の年の同じ日に、「おら、きょう死ぬがだ」といって、親戚を集めて酒を飲ませます。死にそうに見えないおじいさんでしたが、とにかく酒飲めるのならええかと、みんなでごちそう作って、踊るやら歌うやら大騒ぎ。

 ところが、その夕方、片手枕で寝ていたじいさまは、そのまましんでしまっていたという。

 

 いきな閻魔様。じいさんは地獄はどんなところか伝えたかったのかも。


子育てゆうれい・・富山

2021年08月09日 | 昔話(北信越)

          富山のむかし話/富山児童文学研究会/日本標準/1978年

 

 あるところのおくさんが、子どもが生まれる前に死んでしまい、だんなはんは葬式がおわるとおくさんを土に埋めます。

 ところが四十九日もちかくなって、おかゆをもらいにきた者がありました。その人は、亡くなったおくさんそっくり。

 うわさがひろがっておくさんの埋めたところをほりかえしてみると、亡くなったおくさんの腹から子どもが生まれ、口のはしに、おかゆがどろどろについていた。それで、だんなはんは、子どもを連れ帰ったという。

 

 親を思う一念というのはこいうものだと結びます。昔は土葬が当たり前。ちょっと怖い話で、どんな場所で話されたのでしょうか。


じゅうにのかみのおたのすけ・・長野

2021年07月25日 | 昔話(北信越)

      長野のむかし話/長野県国語教育学会編/日本標準/1976年

 

 ずいぶんながいタイトル。誰がつけたかものでしょうか。

 「おたのすけ」というのはいたずらずきのキツネ。

 おかみさんからたのまれたあぶらげを買い込んで山道を歩いていたおやじさんに、お風呂に入るようにいい、おやじさんが気がつくと、そこは肥溜め。

 てんぷらを買い込んで山道をあるいていた爺さまの持っていた提灯にいたずらをして、てんぷらをよこどり。

 山道を歩いていた爺さまに、同じ道をぐるぐる歩くようにしたり。ほかに、道をなくしたりと、いたずら放題。

 「じゅうにのかみ」というのは、なにかわかりません。

 そして、キツネがでてくると、これを懲らしめようとする人がでてくるのが普通ですが、騙されただけでおわります。


鵜飼いものがたり・・山梨

2021年07月23日 | 昔話(北信越)

          山梨のむかし話/山梨国語教育研究会編/日本標準/1975年

 

 一人のお坊さんが、いくつも山をこして、石和の里に着いた。疲れていたし雨も降りそうだから、そのへんの家にいって宿をお願いしたがどこにいっても断られ、わけを聞くと、ひとだまがでたり、ゆうれいがでるという。

 そこで、坊さんは石和川の土手にあるお堂にとまってみることに。お坊さんが横になっていると知らぬ間に、やせこけた年よりがだまってたっていました。

 年よりがいうには、石和川で禁止されている魚をとり、筵にくるまれ川の中へぶっこまれてしまったという。反省はしているが、魂がちっとも言うことを聞かず、晩げになると歩き回るという。

 つぎの朝、夕べと同じ川ばたにおりていった坊さまは、川のなかの小さい石を拾って、そのひとつひとつにお経を一字ずつ書いて、またもとの川に投げ込みました。お経はえらく長いので、そりゃあ時間がかかったと。晩になると年よりの泣き声。何日かそんなことが続き、おしまいの一字をかきおわると、おぼうさんは「なむみょうほうれんげっぎょう。なむみょうほうれんげっぎょう。なむみょうほうれんげっぎょう。」と拝むと、それまで聞こえていた泣き声がぴたったやんでしまったという。

 かがり火であかるくなった川のなかでの鵜飼いの風景もでてきますが、山梨の鵜飼いも調べてみると興味深いものがあります。

 

 おぼうさんがでてくると弘法太師というのが多いのですが、このお坊さんは日蓮上人という。


鼻かぎのぬけ八・・長野

2021年07月20日 | 昔話(北信越)

          長野のむかし話/長野県国語教育学会編/日本標準/1976年

 

 時代がいつかはっきりしないものが昔話ですが、この話は検地がでてきますから豊臣秀吉以降でしょうか。

 舞台は八ヶ岳のふもと。

 みんなからぬけ八とよばれていた八左衛門が、野良仕事をおえて家に帰る途中、一本の竹筒をみつけます。中には紙が入っていて「この竹筒を鼻にあててかぐと、なんでもわかる」と、かいてありました。何の仕掛けもない太いただの竹筒のように見えましたが、神さまのおくりものだからと、家にもってかえりました。

 おっかあが馬鹿にするので、ぬけ八が試してみると、座敷の畳は昼間誰かが寝そべったにおい。おっかあは、ぬけ八といっしょのときには、せっせと働くが、ひとりのときは昼間から寝そべって怠けていたのです。さらにおっかあが戸棚の中にかくしていたあんころもちをみつけてしまいます。それからおっかあは、心がけのいい人になりました。

 それから少したって役人が村の検地にやってきました。庄屋で一休みして、さて仕事にかかろうとすると検地に使う縄が見当たりません。村の人間を全部集め調べますが、縄は見つかりません。役人は、年貢を少なくするために誰かが隠したに違いないと、えらい剣幕で怒鳴り散らします。

 そのとき、ぬけ八が探してみせますと、竹筒を鼻にかぶせてくんくんとあたりをかぎまわりました。そのうち柿の木につながれている牛のまえでいくと、牛の腹のあたりを何回もかぎまわり、「役人さま、はんにんはこの牛でごぜえます」といいます。

 「おれたちをからかっているのか」と、役人はますますおこりました。「役人さま、嘘だと思ったら、牛のかみかえしのとき、しらべてくだせえ」というので、牛のかみかえしのとき口の奥をみると、ぬけ八のいったとおり、ちゃんと検地の縄が、こなごなになっていました。

 「牛がくったなら、しかたがねえ」と、役人は笑って許します。

 

 笑って許す温情のある役人です。


黄金の斧・・山梨

2021年05月19日 | 昔話(北信越)

          日本昔話大成 第六巻/関敬吾/角川書店/1979年

 

 池の水神様が正直度を試す話。

 お爺さんが斧を池に落とし、水神様に拝むと、水神様が白木の三方へ黄金の斧をのせてでてきて、これかと問う。お爺さんは、黄金の斧をみてびっくりし、これは自分の斧ではないといい、水神様に返します。すると水神様は、お爺さんが正直なのに感心し、鉄の斧と、黄金の斧をくれます。

 黄金の斧をもって家に帰ると、こんなにめでたいことはないと、村の人が費用をだしあい、酒肴を買うやら餅をつくやら、大酒盛りして大変にぎやかな水神様のお祭りをします。  爺さまは、黄金の斧を宝物にすることにしました。

 この話を聞いた悪い爺さまが、無理やり自分の斧を池に落とし、水神様がさしだしてくれた黄金の斧を自分のものだというと、水神様は急いで黄金の斧を取り返し、水の中へもぐってしまいます。悪い爺さまが空手ですごすごかえってくると、家ではお婆さんが 今日はおらの爺さまが黄金の斧を持って帰ってくるからと、店から酒肴を買い込むやら餅をつくやらして、お祭りの支度をしてまっていた。

 ところが爺さまが、からっけつで帰ってきたから、店の支払いができず、自分の商売道具の斧までなくしてしまい、山の仕事もできんようになって貧乏になってしまう。

 

 山梨県の話として紹介されているが、このパターンだと、斧だけでなく、鍬や金づち、釣り竿などがでてきもおかしくないので、類話がいくらあってもおかしくない。

 神さまが金銀の斧をもってあらわれたり、落とした斧を淵に落として取りに行くと竜宮の主からもてなされるという話も紹介されています。


くそとみその話・・山梨

2020年08月10日 | 昔話(北信越)

・くそとみその話(山梨県/いまに語りつぐ日本民話集5/監修:野村純一・松谷みよ子/作品社/2002年)

 でかけたついでに味噌を買ってかえる途中、野糞をした市兵衛が、このままおいては惜しいと、蕗の葉っぱに包んで家に帰り、味噌で「ほうとう」でもつくるように女房にいう。

 「珍しく気がきいたこと」と、女房が包みを開けると鼻持ちならないくささ。

 糞だめに投げ込んだ方が味噌だったというおち。昔話、落語、小話には共通部分も多い。

 昔は排せつ物も貴重な肥料の時代。

 小話のような昔話でおちが 楽しめます。ただ、子どもには説明が必要でしょうか。

 

 「くそみそ一緒」というと、価値あるもの、ないものを一緒にするという慣用句。


大晦日の客・・新潟

2019年11月07日 | 昔話(北信越)

      日本昔話記録4/新潟県南蒲原郡昔話集/柳田國男編 岩倉市郎採録/三省堂/2006年

 

 大晦日にたずねてくるのは、借金取りばかりではありません。

1 大晦日に、貧乏な爺さと婆さのところへ、ひとりの汚げな座頭ん坊がやってきて、一夜の宿をたのみます。

 爺さと婆さが「食べるものもないが、それでもよかったらなじょも泊まっていっておくんなさい」といって、三人で四方山話をして寝たといし。

 あくる朝、形ばかりの雑煮もできたので、座頭ん坊を起こしにいくと、何の返事もなかったので、ふとんをまくってみると、座頭ん坊はいつのまにか黄金の牛になっていたてんか。おかげで爺さと婆さは、一晩のうちにたいした長者になることができたと。

 次に出てくるのは、たちのわるい爺さと婆さ。

 翌年の大晦日に、「今夜中に隣の村にいかねばならん」という、座頭ん坊をみつけ無理やり泊まらせることに。朝、雑煮もできたので、座頭坊に「起きてくらっせ」と声をかけると、座頭坊は「ハイハイ」といって、雑煮をいっぱいご馳走になってでていってしまいます。

2 大晦日の晩に、まずしい爺さと婆さのところへ、みすぼらしいお寺さんがきて泊まらせてくれようたのみます。

 ところが、この村の庄屋さんは大変厳しい人で、そういう人は泊めてはならんといっていました。それでも気の毒に思った爺さと婆さは、こっそり泊めてやります。

 翌日、お寺さんは、二つの丸薬をだし「一つはいますぐ二人で分けて飲んでおくんなさい。残りの一つはだれかくれという者があったら、そのものにやんなさい」といって、でていきました。

 爺さと婆さが、丸薬を飲むと不思議なことに二人はたちまち二十ぐらいの昔に若返ります。庄屋のところへ年始の挨拶にいったところ、庄屋はたまげて、残りの丸薬をわけてくれるようたのみます。庄屋は親子四人で分けて飲んだところ・・・・。

 

 この話では、大晦日は”年夜の晩”と表現しています。またお寺さんは”お坊さん”。地方によって表現のしかたも様々です。


能登の文六・・石川

2019年02月23日 | 昔話(北信越)

       いまに語りつぐ日本民話集11/笑い話・世間話/野村純一・松谷みよ子・監修/作品社/2002年


 この民話集には語り手の方のお名前があります。

 大変みじかい昔話ばかりで、たいてい二分ぐらいでおさまりそうなもの。

 囲炉裏やこたつで話されたものの原点は、こうした内容ではなかったかと思います。

 「能登の文六」も、力自慢で相撲とるのが大好きな文六が、天狗様に相撲を取ろうといわれますが、いつも文六が勝ちになります。というのも、文六はいつも毎朝、神様や仏様さまにご飯をあげていたのです。

 ところが、その日に限って、なにもあげないで、天狗様と相撲をとると、負けただけではなく、木の股に裂かれてつるされてしまいます。

 だからどこにおっても、神様や仏様は大事にせにゃいかんというおしえ。


じさばさとおっさま・・長野

2018年03月04日 | 昔話(北信越)

      じさばさとおっさま/今に語りつぐ日本民話集 笑い話・世間話➀ふしぎなめぐりあわせ/監修 野村純一・松谷みよ子/作品社/2002年


 土地言葉がそのままなので、頭をひねるところが多い。「おっさま」というのは和尚さん。

 芥川龍之介の「仙人」に似ています。

 信心深いじさとばさま、毎日毎日お寺にお参りに行くが、何ももっていかない。
 和尚さん、「後生は届かねぜ」といいます。後生というのは、何かお供えものをもってこいという意味のよう。

 すると、じさばさは石臼の心?をもっていきます。

 こんなものをもってきて!と和尚さんは怒り心頭。

 翌日、池の花梨の木に、じさばさをぼらせ、お経を読んだら手を放せ。そうすれば極楽にいくからとお経をあげはじめます。そして鉦がゴーンとなったとき二人が手を放すと、五色の雲がきて、じさばさを天につれていってしまいます。

 和尚も極楽に行こうと小僧にお経をよませ、、木の上で手を放しますが・・・・。

 小僧さんのお経「ニョーニョーニョーニョーニョー、ゴーン」と繰り返しがありますが、どんなリズムでしょうか。


矢村の弥助・・・長野

2017年05月11日 | 昔話(北信越)

         日本の昔話/柳田国男/新潮文庫/1983年


 信州の話。

 矢村にすむ弥助という男が、ある年の暮に正月の買い物に行って、わなにかかった山鳥を逃がしてやります。

 すると若い娘がたずねてきて、雪に降られて難儀をしているので春になるまでおいてくださいと弥助の家で、おばあさんの代わりに家の用をしてくれるようになり、やがて弥助と結婚することに。

 「鶴の恩返し」にみられる出だし。

 それから、何年か後、、三人仲良く暮らしているうちに、有明山に悪い鬼が現れ、弥助は田村将軍のおともをしてそれを退治しに行くことになります。

 出発の前に、弥助の女房は「有明山の鬼は魏死鬼といって、ただの矢では倒すことができない。十三の節ある山鳥の尾羽をつかうように話し、私はずっとむかしの年の暮れにあなたに助けていただいた山鳥ですと言い残し、何処かへ飛んでいってしまいます。

 その羽根のおかげで、有明山の鬼が退治され、日本アルプスが明るい山になり、弥助もその手柄で莫大な褒美ををもらい、永く信州の山奥に名をとどめることに。

 安曇野ではよく知られた話のようで、鬼は別に八面大王ともよばれているようである。

 この話では悪者扱いであるが、全国統一を目指す大和朝廷が、東北に侵略するにあたり、信濃の国を足がかりに 沢山の貢物や無理難題を押し付け、住民を苦しめていたので、そんな住民を見るに見かねて安曇野の里に住んでいた八面大王が立ち上がり、坂上田村麻呂の率いる軍と戦ったという説もあるという。 


 検索したら、長野県安曇野市穂高有明矢村という地名があったので、ここでの伝説のようです。


むかでの酒買い・・石川

2016年09月18日 | 昔話(北信越)

      子どもに贈る昔ばなし14/再話・昔ばなし大学再話研究会 小澤俊夫・編・監修/小澤昔ばなし研究所


 副題に、幼い子のための昔ばなしとあります。

 したがって、それほど長い話ではないのですが、最後のオチがきいています。


 かえるとへびとむかでがお寺参りをして、話をしているうちに、寄り合いをしようということになりました。ごはんだけではさびしいので、お酒を一杯ということになって誰かが酒屋にいって酒をかってくることになりました。

 かえるは「わしは、ひとあしひとあしとびあがらないと帰ってこられない。ぴょんぴょんはねているうちに、酒瓶をおとして割るかもしれない。せっかく買ってきた酒をこぼしてしまうかもしれないので、行けない」とことわります。

 へびは「わしはまっすぐな道でもあっちこっちに曲がり、こっちに曲がりまっすぐ行くことができない。にょろにょろしないといけないから、時間が倍かかる。日が暮れてしまって、寄り合いどころではなくなるから、かんべんしてくれ」とことわります。

 そこで、こんどはむかでのばんなのですが、かえるとへびがいくらまっても、むかでは帰ってきません。

 だいぶたってから、「どっこいしょ」という声がしたので、かえるとへびは玄関にでてみます。
 ところが、一升瓶はからっぽです。
 なぜかというと・・・・。

 むかでは、百本の足にぞうりをはくのに、時間をとられ、これからでかけるところだったのです。

 むかでが、ぞうりをはくかどうかは問題ではありません。このあたりが昔ばなしでしょうか。


赤いイチゴと黒いイチゴ・・長野・伊那市

2016年08月26日 | 昔話(北信越)

         信州むかし語り6 食べものの話/しなのき書房/寺島俊治/2012年初版


 巻末に参考文献がのせられています。再話でしょうか。

 お千代とお花の姉妹。

 お千代にとって、今の母は継母。

 おっかさんは自分のうんだお花だけをかわいがり、お千代は働きずめで、食べるものも粗末なものばかり。

 雪の降る日のこと、お花は赤いイチゴを食べたいといいだします。

 継母は、赤いイチゴをとってくるようお千代にいいつけます。

 冬のさなかですから、赤いイチゴがみつかるわけはありません。

 「12のつきのおくりもの」では、ここで12月の精があらわれるのですが・・・。

 でてくるのは亡くなったおっかさんいにたおじいさん。

 赤いイチゴをとってくると、こんどは、黒いイチゴです。

 またおじいさんがあらわれて、お千代は、黒いイチゴを籠につみとります。

 黒イチゴを食べた継母とお花は、お腹が痛み出し顔も黒ぐろとしてしまい、死んでしまいます。

 昔話のよくあるパターンですが、ややものたりません。せっかくですから土地言葉を生かしてほしいとおもいました。               


小便酒・・長野

2016年07月27日 | 昔話(北信越)

    信州むかし語り4 ゆかいな話/羽生田敏/しなのき書房/2011年初版


 藤田浩子さんの「橋役人」と似ています。

 橋役人というのはなじみがないのですが、長野版は関所がでてきます。

 関所の役人のなかには、なんとかかんとかけちをつけては、物やお金をせしめる者が。

 一人の若者が、財布の底をたたいて、おっとうのみやげに酒を買ってくるが、役人から手形のことで、けちをつけられ、なかなか関所を通れない。しかたなく酒を役人にやってとおることができます。

 怒りがおさまらない若者が、再度酒をもって関所をとおろうとして、またこの酒を役人にさしだします。

 じつは、今度の酒は、小便をいれたもの。役人はいっきに飲み込みますが・・・・。           
 藤田さんの「橋役人」は、語ったことがありますが、どうにもリアル?すぎて、女性には、あまり評判がよくありませんでした。
 小便を飲み込むというのは、あまりうけないようです。


福の神・・長野

2016年07月19日 | 昔話(北信越)

         信州むかし語り4 ゆかいな話/羽生田敏/しなのき書房/2011年初版

 須坂の里のよめとばさま。
 ご多分にもれず、なかが悪い。

 正月のこと、よめさまの叫び声。新雪の上には、ほやほやのみごとなうんちが。
 よめが縁起でもないというのに、ばあさまがいうことには

 「運をおいて行ってくれたと思えば、腹も立ちめいに・・。子どもでもしたんだわ」

 よめが目を吊り上げて、「こんなでっけえもの、子どもがするわけがない」というのに、ばさまは「じゃ、犬かもしんねえな」

 するとよめさま「犬が紙で尻をふくかねえ」とはきすてるようにいう。
 うんちのわきには、くちゃくちゃになった紙がちらばっています。

 ばさまがあきれ顔になると、今度はよめさまがわらっていいます。

 「これはめでてい。わしらの家に福(拭く)の神(紙)までおいていってくれたか、お正月そうそうめでていことだわ」


 同音異義が生かされている笑い話で、読む分にはスーとはいってくるのですが、聞く場合はどうでしょうか。

 これがきっかけで、二人が仲直り、笑い声がたえることがなかったといいます。