どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

なわとびしましょ

2015年02月15日 | 長谷川善史
なわとびしましょ  

        なわとびしましょ/長谷川 義史/復刊ドットコム/2014年

 

 子どもを膝の上にのせて、一緒に絵本を読んであげたら、そのぬくもりはこころのどこかにのこって、その子の宝物になります。
 忙しくても、そんな時間をもちたいもの。

 母親が4歳の子と1月歳の子をころしたというニュース。どんな事情があったかはしれませんが、こんな時間はもてたのでしょうか。

 なわとびにはいるのが、おじいちゃん、おばあさん、魚屋、うどんやさん・・・・。
 にやっと笑うのが、ろくろっくびのおくびさん、宇宙人。
 ろくろっくびがしゅるしゅるとのびていて、みんな気勢を上げている様子がたまらない絵本です。

 なわとびを見ている雲、しらんぷり、おどろき、わらい、ばんざい、やれやれと雲の表情をみているだけで楽しくなります。

 おまけに、とびかたのコツまでのっています。       


シバ犬のチャイ

2015年01月24日 | 長谷川善史
シバ犬のチャイ  

       シバ犬のチャイ/文:あおき ひろえ 絵:長谷川 義史/BL出版/2013年初版

 

 シバ犬のチャイはキリリと男前。

 「おいら、豆シバのチャイってんだ」の決め台詞がタイミングよくでてきますが、誰も、キミのこと忘れてないよと答えたくなります。

 シバ犬のチャイが犬語でつぶやいています。
  わるガキ兄弟がうるさくて、昼寝もできやしないよ
  近所の人がよしよしするんだけど、相手をするのも楽じゃないよ

 チャイが犬語でつぶやいているとは別に、絵の方ではパパが一生懸命料理をつくっています。

 チャイがおとなりのマルチーズに恋をしますが・・・・

 最後の一枚の絵に余韻があります。

 ご夫婦で絵本をつくれるというのはいいですね。

 長谷川家を舞台にしているようですが、ストーブがあり、無垢木材の床、広いリビングに耐震構造の柱がどーんと鎮座しているのが目につきました。

 それにしても、長谷川さん、犬語がわかっているんですね。            


はいチーズ

2014年06月25日 | 長谷川善史
はいチーズ  

         はいチーズ/長谷川義史/絵本館/2013年初版

5歳のよしふみくん
近所に住んでいるふじいのよっちゃんがいつもたべている にくやのチーズが食べたくて食べたくてしかたありません

なんとかおかあちゃんにたのんで、食べてはみたものの
ま、まずい!

よしふみくん、おかあちゃんにみつからないように、そおっとすててしまいます
すると、おかあちゃんがいうことには
「あれもうたべたん。そんなにおいしかったん。ほなら、またあしたもこうたるわ」


これだけの内容ですが、軽快な関西弁で、空き地?で遊ぶこどもたちがでてきたりして、どこかなつかしい光景がひろがります。

主人公の名前が、よしふみくんとありますから、作者の原風景が感じられ、いつもの、長谷川さんの味が楽しめます。

 食べたくて食べたくてようやく食べたものの、まずいという落差が笑いをさそいます。


まわるおすし

2014年06月15日 | 長谷川善史
まわるおすし  

       まわるおすし/長谷川義史/ブロンズ新社/2012年初版

 

お父さんの給料日は月一度の回転ずしの日。

野球の監督のようなお父さん。

店に入る前に“ファイト”とゲキが飛びます。

食べるときはお父さんのブロックサイン。
ひじに手をやると、ねらっていけのサイン。
お父さんが鼻に手をやったら、黒いお皿をとってもいいぞのサイン。
お父さんがガリをつまんだら、ちょっと休め。

お父さんがお茶をのむと、これでおしまいのサイン。
高いお皿をとるときは
「ここからクライマックスにもっていくぞ」
「クリエイテブしろよ」
「エンジョイしてるか」
「クリスタルでいけよ」
となんとも楽しいゲキが。

  回転寿司をこんなに楽しい絵本にしてくれる長谷川さん。

  お父さんの存在感がたしかで、父と子どもたちの絆が実感されます。

 表紙をめくると魚のつく漢字がたくさんのっているのも、にくいところです。


ようちえんいやや

2013年12月26日 | 長谷川善史
ようちえんいやや  

        ようちえんいやや/長谷川義史/童心社/2012年初版

 

 顔、顔、顔

 長谷川義史さんのいつもの特徴がある顔の絵がいっぱい。

 「もりのきえん」に通っている
 たけしくん、まなちゃん、つばさくん、ののほちゃん
 しゅうまくん、いくみちゃん、れいくん、みさちゃん
 ゆうきくん、めぐみちゃん、こうしろうくん・・・・
 ・・・・
 みーんな ようちえんにいくのがいややとないています。

なぜって?
おかあちゃんと 一日いっしょに いたいだけだって・・・
最後のページは,幼稚園で笑顔のみんな


「いや」というにが色々あってほほえましい。
 たけしくんは、園長先生にあいさつするのがいや
 まなちゃんは、いちごが好きなのに、ももぐみだからいや
 いくみちゃんは、下駄箱が一番下やからいや
  等々

 子どものきもちが伝わってきます。
 お母さんと一日一緒すごして、また元気に幼稚園でみんなと遊ぶというみんな。
 いやと言っていたのはなんだったんでしょう。                      


てんごくのおとうちゃん

2013年11月08日 | 長谷川善史
てんごくのおとうちゃん  

       てんごくのおとうちゃん/長谷川義史/講談社/2008年初版

 

 「はいけい、てんごくの おとうちゃん、げんきに していますか?ぼくは、おねえちゃん、おかあさんとさんにんでげんきにやっています。」で始まります。

 ぼくは、ときどきおとうさんとのキャチボール、かってもらったウクレレ壊してしまったこと、一度だけ頭をどづかれたこと、ひこうきショーのことなど、おとうさんとの思い出をおもいかえします。

 おとうちゃんがなくなっていろんなひとに「かわいそうに」といわれるたびに、おとうちゃんのほうがかわいそうなんとちがうやろかって思うぼく。
 万引きをしそうになって、でも地獄に落とされたらおとうちゃんにあえなくなるから思いとどまるぼく。

 父の死をテーマにしていますが、”ぼく”が父にあてたラブレターとして読んでみました。

 作者がおかあさんをテーマにした「おかあちゃんがつくったる」を読んでいたので、読んだときにすぐに作者のおとうさんのことだと思いました。私も小学一年生の時、父親をなくしましたが、蒸気機関車の運転をしていた父親に、何かのときに運転室に乗せてもらったことが強烈に印象にのこっています。
 それ以外、あまり父親の記憶が薄いのですが、写真で見るとやさしそうな父親でした。

 「おとうちゃんのほうがかわいそうなんとちがうやろかって思う」というのは、成長する子どもの姿をみることなく逝ってしまった父親の気持ちそのものです。

 この絵本でおとうさんがなくなった理由についてはふれられていませんが、病気や交通事故で突然おそってくるかもしれない死もあることをどこかで意識しておくことも必要に思います。
 セピア色のページで、車にのったおとうちゃんが「ぼく、だいじょうぶかっ?」と問いかける場面は、死んでもぼくのこと見ていてくれるという思いがあふれているようです。

 相変わらず大きな顔の絵と駄菓子屋さんをはじめとした昭和の面影を残す家や町並み。

 床屋のおばあさんが顔を90度曲げて散髪するさまが何とも言えない味をかもしだしています。                   


ぼくがラーメン たべてるとき

2013年07月23日 | 長谷川善史


      ぼくがラーメン たべてるとき/長谷川義史/教育画劇/2007初版


 題名からは想像できない内容が待っている絵本。普段絵本を読む機会が少ない大人の方にも読んでもらいたい絵本です。

 「ぼく」がラーメンをたべているときのお隣でのできごとから、隣のまち、隣の国、そして隣の隣の国へと、どんどん世界が広がって、どこかの国で男の子が倒れているところが。
 
 倒れている男の子のそばを風がふいていますが、風の音が聞こえず沈黙が支配しているよう。倒れている男の子のところで風がふき、同じ風のもとで日常生活をおくっている人の姿が。

 いまこの時間、世界のどこかで飢餓や地雷、爆弾でなくなる子どもたちの姿と重なります。
 
 裏表紙に倒れた男の子が立ち上がっている姿がえがかれています。ある人は「希望」と、ある人は「願望」と、とらえています。

 想像力は自然につくものではなく、普段の努力を重ねた結果として生まれものでしょう。

ぼくがラーメンたべているとき
となりで ミケが あくびした
となりで ミケが あくびしたとき・・・
となりの みっちゃんが チャンネル かえた
となりの みっちゃんが チャンネル かえたとき・・・
となりの となりの たいちゃんが ボタンを おした
となりの となりの たいちゃんが ボタンを おしたとき・・・
その となりのゆうちゃんが バイオリンを ひいた
その となりのゆうちゃんが バイオリンを ひいたとき・・・
・・・
・・・
・・・
となりの くにの おとこのこが じてんしゃを こいだ
となりの くにの おとこのこが じてんしゃを こいだとき・・・
その となりの くにの おんなのこが あかちゃんを おんぶした
その となりの くにの おんなのこが あかちゃんを おんぶしたとき・・・
・・・
・・・
・・・
その また やまの むこうの くにで おとこのこが たおれていた
かぜがふいている
かぜがふいている そのとき
かぜが ふいていた
              


おかあちゃんがつくったる

2013年06月30日 | 長谷川善史
おかあちゃんが つくったる  

       おかあちゃんがつくったる/長谷川義史/講談社/2012年初版

 

 「おかあちゃんがつくったる」の主人公は小学三年生の「よしふみ」君。作者の名前もよしふみ。

 はじめは作者の遊びごころかと思ったが、この本が作者の自伝的要素があるということで納得。一年生の時お父さんが亡くなって、そのとき親戚があつまって、なまえがよくない。「よしお」にしようというので、お母さんと姉からは「よしお」と呼ばれている「よしふみ」君。

 母さんはミシン仕事で、よしひこ君とおねえちゃんを育てている。何でも作ってしまう母さん。ジーパンが欲しいといわれた母さんは、多分買うお金もないことから、よしひこ君のためにジーパンをつくる。

 しかしよしひこ君は「ジーパンのようで ジーパンでない ベンベン」とみんなに笑われてしまう。あせかきのよしひこ君のために作った体操服も「たいそうふくのようで たいそうふくでない べんべん」とみんなに笑われる。

 あるひ友だちがもっていたかばんがかっこよく、母さんがミシンでつくってくれたかばんには「よしお」という刺繍が(ハートマークがはいった素敵なかばん)。事情をしらないともだちからは「よしふみのようで よしふみでない べんべん」とわらわれる。

 ある日、父親参観日のお知らせを見たお母さん。「母さんがいったるわ」というが、よしひこ君は「はずかしいから いい」。母さんがどうしてもゆずらないから「なんでもつくれるのならおとうちゃんをつくってえな」と言ってしまうよしひこ君。

 当日、せびろを着た母さんが教室のうしろに。

 母さんの存在感が抜群でほろりとする。

 絵本はそれぞれ特色のある絵が多くあるが、長谷川さんの絵は、頭と体の大きさがほぼ同じで記憶に残る強烈な印象があった。

 絵本作家といえば「いわさきちひろ」ぐらいしか知らなかったが、同じ作家の絵本を続けて読む楽しさも感じさせてくれた。
 
 今では保護者参観日というなまえで、父親だけの授業参観日というのはあまりないようであるが、少し前まではたしかにそういう名前での参観日の記憶も残っている。現在の感覚では、父親参観日に母親がいってもおかしくないが、同じく母子家庭で育った私にはなんとなくよしひこ君の思いが共有できる。
 
 裏表紙には、遠足にいってひろげたおいしそうなお弁当とびっくりしてのぞきこむ友だちの姿が。なんだかんだといってもよしひこ君にとっては自慢の母さんだったのかも。


おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃん

2012年12月01日 | 長谷川善史


   おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃん/長谷川義史/BL出版/2000年初版


 長いタイトルが示すように5歳の子が自分のルーツをたどっていきます。

 石器時代から最後は猿まで。ほぼ2頭身の子とネコの組み合わせがかわいらしい。

 時代をさかのぼるに、”ひい””ひい””ひい”が続くので読み聞かせは大変で多分途中で息切れしそう。

 書いたのなら数えられるだろうと数え始めましたが、500回を超えるところでギブアップでした。
 
 世界では20%の人が栄養が十分ではなく、1%の人が死にそうで、17%の人はきれいで安全な水を飲めないという(「世界がもし100人の村だったら」/池田香代子再話 C.ダグラス・スミス対訳/マガジンハウス)。

 世界中の子どもたちが絵本を楽しめる状況になってほしいと思いますが、それは、われわれ大人の責任。