てんごくのおとうちゃん/長谷川義史/講談社/2008年初版
「はいけい、てんごくの おとうちゃん、げんきに していますか?ぼくは、おねえちゃん、おかあさんとさんにんでげんきにやっています。」で始まります。
ぼくは、ときどきおとうさんとのキャチボール、かってもらったウクレレ壊してしまったこと、一度だけ頭をどづかれたこと、ひこうきショーのことなど、おとうさんとの思い出をおもいかえします。
おとうちゃんがなくなっていろんなひとに「かわいそうに」といわれるたびに、おとうちゃんのほうがかわいそうなんとちがうやろかって思うぼく。
万引きをしそうになって、でも地獄に落とされたらおとうちゃんにあえなくなるから思いとどまるぼく。
父の死をテーマにしていますが、”ぼく”が父にあてたラブレターとして読んでみました。
作者がおかあさんをテーマにした「おかあちゃんがつくったる」を読んでいたので、読んだときにすぐに作者のおとうさんのことだと思いました。私も小学一年生の時、父親をなくしましたが、蒸気機関車の運転をしていた父親に、何かのときに運転室に乗せてもらったことが強烈に印象にのこっています。
それ以外、あまり父親の記憶が薄いのですが、写真で見るとやさしそうな父親でした。
「おとうちゃんのほうがかわいそうなんとちがうやろかって思う」というのは、成長する子どもの姿をみることなく逝ってしまった父親の気持ちそのものです。
この絵本でおとうさんがなくなった理由についてはふれられていませんが、病気や交通事故で突然おそってくるかもしれない死もあることをどこかで意識しておくことも必要に思います。
セピア色のページで、車にのったおとうちゃんが「ぼく、だいじょうぶかっ?」と問いかける場面は、死んでもぼくのこと見ていてくれるという思いがあふれているようです。
相変わらず大きな顔の絵と駄菓子屋さんをはじめとした昭和の面影を残す家や町並み。
床屋のおばあさんが顔を90度曲げて散髪するさまが何とも言えない味をかもしだしています。