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なんでも見える鏡/フィツォフスキ再話 内田莉莎子訳 スズキコージ画/福音館書店/1985年
副題に「ジプシ-の昔話」とあって手にとってみました。
けちんぼうでろくに食事もたべられなく、むちでたたく主人のもとから旅に出た若者の物語。
旅のなかで若者は、砂にうちあげられていた銀色の魚をすくい、キツネにねらわれていたワシの子どもを助け、さらに、半分人間で半分が大きなアリが、ハチに刺されて苦しんでいるところから、ほっぺたのハチの針をぬいてあげます。
このことが伏線となって主人公が王女さまと結婚するのを助けることに。
ロシアの「マーシャと白い鳥」でも、弟を救いだすマーシャが弟を探しにいって、つれもどす前段で、ミルクの小川、リンゴの木、ペチカの願いにこたえるのが伏線となっています。
話の前段で三度の繰り返しがあって、後段で三度応えるというのは、他の話にもよくみられます。一度では印象が薄いが、そうかといって四度以上だと煩くなります。
若者は、やがて美しい王女のいる国につき、「王女からかくれてみつからなかったものが、王女の夫になれる」というお触れに挑戦します。
王女は「なんでも見える鏡」をもっていますが、最後には王女の心を映し出す役割もあります。
画では、巨大な銀色の魚や半分人間で半分アリというイメージが伝わってきます。
ところで、「ジプシー」は差別用語、放送禁止用語と見做され、「ロマ」と言い換えられる傾向にあるという。ジプシーは、一般にはヨーロッパで生活している移動型民族を指す民族名で、転じて、様々な地域や団体を渡り歩く者を比喩する言葉ともなっているという。
民族的には家族単位での移動生活を旨としており、ジプシーも放浪者を指す語としてしばしば用いられてきました。ロマの場合、独特の外見的特徴を持つ閉鎖的な小集団で移動しており、かつ、定住者との接触機会も多かったことから、しばしば差別や迫害の対象となってきたといいます。
言語学の進歩によって彼らの言語であるロマニー語が分析された結果、ジプシーはインド北西部が発祥の地であり、6世紀頃から移動を開始し、14世紀頃にはヨーロッパに到達して、その後全欧州的に広がったとされているようである。
だとすると、昔話にヨーロッパからアジアまで似たような話があるというのは、ジプシーが各地を放浪して伝播者となったと考えることもできそうだ。
おなじ福音館文庫の「太陽の木の枝」にイラストがあり大分印象が違っていました。(2014.7.25)