どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

五百びくに・・岡山

2022年09月03日 | 昔話(中国・四国)

          岡山のむかし話/岡山県小学校国語教育研究会編/日本標準/1976年

 

 わしが、村から村へ薬を売り歩いていたときのことじゃ。山ん中で道がわからくなったときにであった二十七、八に見える女の人に泊めてもらうことになってなあ。案内されるままにその家にあがり、アワのかゆをたべさせてもらいながら、身の上話をきかしてもろうた。こんな話であった。

 

 わたしゃあ、四国のある漁師の家に生まれ、二十二になったとき、同じ村の漁師のところへおよめにいいったんです。かわいい子どもも生まれ、なにごともなく暮らしておった。二十七のときじゃったか、二十八になっとったのかもしれないのですが、大病にとりつかれ、なんぼうたっても、なおりません。ある日、夫がいままで見たこともない不思議な貝を見つけて帰り、その貝をわたしに食べさせてくれたんです。すると、そのあと、さすがの難病も、薄紙をはがすように日一日とようなってきて、あたりまえの暮らしができるようになって、子どももまた、何人か生まれたんですけれど、みょうなことに何年たっても、わたしゃあ年取らずに、いつまでたっても二十七、八の姿のままなんですらあ。

 夫は年とって死んでしまい、子どもも大きくなって六十、七十になっても、わたしゃあ、いつまでたっても若い姿のままでした。とうとう近所近在のものから「化け物」とうわさされ、その土地にいたたまれんようになって、家出をして知らない土地に住みついたんです。

 そこでえんあってある人と家をもって、何人かの子どもにもめぐまれたんですが、前と同じように、ちっとも年をとらず、若いときのままでした。そして夫と子どもは前と同じように年よりになって、つぎつぎに死んでしもうたんですらあ。またそこを逃げ出し、見知らぬ土地へ行って、四へんも五へんも、同じようなことがあったんですらあ。

 この山の中へ住んでからも、どのくらい長い年月がすぎたかわからんです。わたしが産んだ子どもは何百人いるんやら、孫までいれれば何千人いるんやらわからんほどです。わたしゃあ今この山で、ひとりぼっちなんですらあ。

 ところで、こんな身の上話を長々と聞いて、あんたはこわくなりさったか。顔色が変わって、ふるえておりんさる。けれども あんたをどうこうしようというんじゃありません。広い世の中には、こんなさだめをせおうて生き続け、死ぬことができない、かわいそうな者もいることをしってくださり、せめて、わたしの身を憐れんでくださりゃ、心がやすらぐというものです。

 

 わしが、その家をあとにし、山の下にむかってあるいているとき、一夜を過ごした山の方を見たんじゃが、霧につつまれた山また山がかさなっていて、どっちの山だったか わからんかったんじゃ。夢かうつろか幻だったんじゃろうか。