甲府昇仙峡にある影絵の森美術館にいきました。
藤城清治の幻想的な影絵のなかに「鶴の恩返し」がありました。雪が降りしきる空を鶴が飛んでいくさまが影絵になっていました。
「鶴の恩返し」を読んでも冬という季節を思い浮かべることはなかったので、新しい発見をしたようで得をした気分。(後で絵本「つるにょうぼう」/矢川澄子再話 赤羽末吉画/福音館書店/をみていたら冬のイメージがはっきり。
鶴には留鳥もあるということですが、やはり「鶴の恩返し」にでてくるのは冬鳥ということでしょう。渡り鳥の方がこの話にぴったりするところ。
ストーリーテリング(ということばをはじめて知りました。これまで先入観にとらわれそうで解説の類の本は読まず、もっぱら本を読んでいた)で語り手が物語にどんなイメージをもつのかが重要な要素の一つとしてあげられていますが、同じ物語でも10人の絵本の書き手がいたら10の絵本ができあがるように、語り手がこれまで蓄積してきた経験も大きな要素になると考えると、同じ物語でも10人の語り手がいたら微妙に違ってくるということが、当然のように思いました。
演劇の場合でも演出家が違うと、同じ脚本であっても解釈のちがいで全く違った舞台になるという経験もあり、物語の受け止め方をもっと考えてみたいと思いました。
しかし、藤城影絵の幻想的な影絵は一つ一つに物語が感じられてイメージを膨らませてくれるものでした。
影絵の森美術館
藤城清治の幻想的な影絵のなかに「鶴の恩返し」がありました。雪が降りしきる空を鶴が飛んでいくさまが影絵になっていました。
「鶴の恩返し」を読んでも冬という季節を思い浮かべることはなかったので、新しい発見をしたようで得をした気分。(後で絵本「つるにょうぼう」/矢川澄子再話 赤羽末吉画/福音館書店/をみていたら冬のイメージがはっきり。
鶴には留鳥もあるということですが、やはり「鶴の恩返し」にでてくるのは冬鳥ということでしょう。渡り鳥の方がこの話にぴったりするところ。
ストーリーテリング(ということばをはじめて知りました。これまで先入観にとらわれそうで解説の類の本は読まず、もっぱら本を読んでいた)で語り手が物語にどんなイメージをもつのかが重要な要素の一つとしてあげられていますが、同じ物語でも10人の絵本の書き手がいたら10の絵本ができあがるように、語り手がこれまで蓄積してきた経験も大きな要素になると考えると、同じ物語でも10人の語り手がいたら微妙に違ってくるということが、当然のように思いました。
演劇の場合でも演出家が違うと、同じ脚本であっても解釈のちがいで全く違った舞台になるという経験もあり、物語の受け止め方をもっと考えてみたいと思いました。
しかし、藤城影絵の幻想的な影絵は一つ一つに物語が感じられてイメージを膨らませてくれるものでした。
影絵の森美術館