どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ラブリー オールド ライオン

2025年01月17日 | 絵本(外国)

  ラブリー オールド ライオン/ジュリア・ジャーマン・作 スーザン・バーレイ・絵 こだま ともこ・訳/フレーベル館/2015年

 

 レニーのおじいさんの王さまライオンは、レニーの名前も思い出せなくなり、朝と夜の区別がつかなくなり、すごろくやサッカーの遊び方も忘れてしまったようでした。

 カバおじさんが、「王さまラインは すっかり 年をとって、からだのあちこちが くたびれてきたんだよ。あたまのなかも おんなじさ。だから、わすれんぼうに なったんだ」と、みんなに はなしてくれました。

 じゃあ、「たすけてあげなくちゃ」と、レニーは おじいちゃんがむかしあそんだビー玉をみんなに 見せました。王さまライオンは、ビー玉で遊んだこと、ワニぼうずを からかったこと、水遊びしたことを思い出しました。それから おじいちゃんの ともだちは しょっちゅう たずねてきてくれました。
 おじいちゃんは まえより げんきになりましたが、くたびれた あたまのなかを なおすことはできません。ますます わすれんぼうになって、どんどん いろんなことが わからなくなりました。

・・・・

 やがて、王さまになったレニーも、おじいちゃんの年に近づいてゆき、ちょっぴり わすれんぼうになりました。 

 

 子どもに認知症の話をするのは、むずかしそうですが、「忘れん坊になっても、いつだって そばに いてあげるよ」って、いってあげる存在になるよう 話したいもの。


糸をつむいで 世界をつないで

2025年01月16日 | 絵本(外国)
   糸をつむいで 世界をつないで/ケイティ・ハウズ・文 ディナラ・ミルタリポヴァ・絵/中村怜奈・訳/ほるぷ出版/2024年
 
 中国の絹糸作り、エジプトの亜麻布(ミイラづくりにも使用)にはじまって、イベリア半島の絨毯とその織り方、西アフリカのフラニの人たちの機織り、ウズベキスタンの花嫁衣装、ペルーの持ち運びできる織り機、アメリカ カナダのセイリッシュの人たちの布など織物の歴史をたどります。
 
 そして、
 布には 世界が 織りこまれてる
 はた織りの音が 歌うのは
 手から手へと わたわるわざ
 人のつながり そのぬくもり
 これまでもそして これからも
 世界じゅうでつづく 人びとのくらし
 きっと わたしたちもひとり ひとりがみんな・・
 
 と歌います。
 
 人や花鳥、四角や丸などの幾何学模様の織物の多彩さに うっとり。
 
 手作りの織物は、時間と手間暇かけてじっくり織られるだけに、大量生産とは、まったくちがう味わい。
 三年以上もの時間をかけて、絵を描いたといいますが、世界にはもっともっと多くの織物がありそうです。
 このさきも存続できるでしょうか。
 
 絵をかかれたディナラ・ミルタリポヴァさんは、ウズベキスタン生まれで、家族でアメリカに移住されたとありました。

空飛ぶ木馬・・インド

2025年01月15日 | 昔話(アジア)

      北インドの昔語り/坂田貞二・編訳/平河出版社/1981年

 

 三つの話がつながっていくあまり見ない構成です。

 王子と商人の息子、木工の息子、金細工師の息子の仲良しの四人が、家を追われ森の中で見つけたのはレンガほどの大きさの金塊。誰かに盗られたら大変と、四人が交代で不審番をすることになった。四人のうち三人は、突然、金塊が魔物になり、食べてしまった。金塊をもって逃げたのではないかと疑ったが、金塊はそのまま。

 四晩目に不審番するはずだった木工の息子(カーティー)が、三晩目の商人の息子が食べられる様子を見て、逃げ出すと、女の衣装をつけた魔物が追いすがってきて、「冷たい人ね。あたしひとりをおいてどこへいっちゃうの。いっしょにつれていって」という声。走り続けて、道端の木にのぼると、女の姿をした魔物は木のまわりをぐるぐるまわりながら、泣いたりわめいたり。(あーら、魔物は木に登れないんだ!)
 そこへ、花嫁を迎えに行く王さまの行列が通りかかり、カーティーから事情を聴くと魔物を捕まえてしまった。(王さまは、大人数の行列だから幾日も人間を食っていられると魔物をだました知恵の働く人)。

 さて魔物から解放されたカーティーが、おなかをすかせて歩いていくと。道端に粟を見つけました。おそらく家畜のえさの食べ残しだとおもったカーティーは、それを拾うと、器用な手先で米のように作りかえました。そして町の木工の寄合所(同業者の)にすわっていた老カーティーに、作りかえた米でご飯を炊いて食べさせてくるよう頼みました。

 老カーティーが、米を炊くように一人娘にいうと、娘は、なかなか賢く、それが米でないことを見破り、<すごい腕をもった人がいるものだわ。粟をお米みたいに作りかえるなんて、並大抵のことではないわ>と感心しました。娘はすぐに、木を切り刻んで胡麻をつくり、それを預かってきた布につつんで、<御飯ができました>と、父親に渡しました。若いカーティーは、包みのなかをみて<わたしよりはるかに腕のよい人がいる!>と不思議に思って父親に尋ねました。そしていっしょに家にいくと、娘は、「あなたが、さきに細工をしたから、そのお返しです。粟でご飯を炊けというから、木の胡麻をさしあげたのです。これでおあいこです」と答え、食事がすむと、カーティーと結婚すると父親にいいました。

 結婚したものの、カーティーはなにひとつ仕事をしないで、ただ食べては寝るだけ。暮らしが立ち行かなくなり、妻からしりをたたかれ、カーティーがつくったのは寝台。金貨十万枚で売ろうとしますが、誰も買いません。都合がいいことに、この国は、朝から晩まで市においても売れない品は、王さまが買い取ってくれることになっていました。

 王さまから、特別の寝台かと問われ、「幾日かお使いになれば、それだけの値打ちがあることがかならずわかります」とカーティー。「もし値打ちがないとしたら、おまえを油しぼりの機械にかけてすりつぶすぞ」と、王さまは念を押し、寝台を使うことにしました。
 (ここからは、寝台の脚が代わりばんこに散歩に出かける楽しい場面)

 真夜中になると、寝台の脚の一本が、散歩に出かけ! 宮殿の壁に穴をあけて忍び込もうとしていた七人の盗賊を倒した。二本目の脚は、王さまが朝起きて靴をはこうとすると毒蛇が噛んで王さまが死ぬことをなげいていた老婆の話を、ほかの脚にはなしました。三本目の脚は、盗賊をたたいて倒したことを、四本目の脚は、盗賊の後をついていき、隠し場所をみてきたことを、ほかの脚にはなしました。

 王さまは、寝台の脚の話を一部始終書き取っていて、話が本当だったことを知ると、カーティーに国の半分を与えました。カーティーは妻も呼びよせて宮殿に暮らすようになりました。

 ここから別の国の王子が主役。王子とカーティーはなかよくなり、カーティーは王子のために機械仕掛けの木馬をつくって、狩りをすすめ、三つの方角へいくのはよいが、四つ目の方角にはいかないよう忠告します。

 ダメと言われて、いくのがお話しの世界。四つの目の方角を進んでいくと、ある国につきました。宿屋に泊まっていたが、夜になっても明かりがつかず。食事も出てきません。

 宿のおかみさんの言うことには、「この国には王女さまがひとりいるのですが、その王女が宮殿に戻られてはじめて、町中の明かりを灯すことになっている。それから日が暮れないとご飯を食べられません。王女さまが宮殿に戻って食事をしたあとでないと、町の者は食べてはいけないのです」

 この王女はどんな人物か見てみたいと思った王子は、木馬にのって、なんどか宮殿にしのびこむ展開。

 

 外国の昔話には長いものがありますが、これはさすがに長すぎるでしょうか。 


ゆきの よあけ

2025年01月14日 | 絵本(日本)

   ゆきの よあけ/いまむら あしこ・文 あべ弘士・絵/童心社/2012年

 

 凍りつく寒さの しずまりかえった夜の森に、のうさぎの子が ひとりぼっちで雪の巣穴にうずくまっていました。

 かあさんとは、恐ろしいキツネに襲われて逃げた夏のあの日から、ずっと離れたまま。そのときからのうさぎの子は、ひとりで生きてきました。

 冬、のうさぎは、雪の巣穴で、寒さを逃れ、いつでも 逃げられるように 毛づくろいも覚えました。

 ひっそりとしずまりかえった夜の雪の森に、かすかな音がしました。いたちが のねずみを 追いかける音。そして、ひそかに 雪を踏みしめ、忍び寄る足あと。キツネのにおい。木の上からは、フクロウがのうさぎの子を 狙っていました。

 のうさぎの子は、死に物狂いで 雪をけります。けってけって、けりあげます。息の続くかぎり、雪をけり まえへまえへと、とびだしていきました。足を止めた そのときが、命の終わりなのです。
 のうさぎの子が、キツネやフクロウの追跡から必死で逃げ、雪山のてっぺんにたどりついたとき、キツネは ふもとで荒い息をはき、たちつくしていました。

 夜が明けると、遠くの山々が 茜色に染まり、みるまに、まばゆい 金色にかがやきます。雪は、しだいにしだいに、白さを取り戻し、朝のひかりに きらめきます。

 雪の森が、目を覚まし、森じゅうの鳥が、さえずりはじめます。のうさぎの子は体中に力が みなぎってきます。うしろ足で思いっきり強く雪をたたきます。とん!とん! それは生きる喜びのばくはつです!

 のうさぎの子と、キツネ、フクロウとの緊迫した戦いがつづき、やがて夜が明け、生きのびた喜び。さいごにほっとしましたが、夜になればまた戦いが続きます。のうさぎの鼓動がつたわり、躍動しています。

 青を基調とした あべさんの絵に 魅了されましたが、キツネだけには はて? 首をかしげました。


西山寺の仁王・・静岡

2025年01月13日 | 昔話(中部)

      静岡のむかし話/静岡県むかし話研究会編/日本標準/1978年

 

 力自慢が、中国で力比べをしようとでかけるが、あまりに相手が悪く逃げ帰るというのは、各地方にあるが、ふたりででかけるのははじめて。

 西山寺の門前に、海の水を一口飲んでしまった仁王と、富士山をひとまたぎにしたという仁王がいた。ふたりの仁王は、じぶんより力の強い者はいるはずがないと、自慢して威張ってばかり。

 あまりうるさいので、村の人が、中国に、ドウモコウモという世の中で一番強い人がいるというと、ふたりの仁王は、海を越え、山を越え、あちこち聞いて ドウモコウモの家に。

 あまりの力持ちにおそれをなした仁王たちが寺に帰ると、ドウモコウモがおいかけてきた。おどろいた仁王たちは、あわてて観音さまに助けをもとめた。観音さまは、仁王たちをかわいそうに思い、寺の池のふちにあるサルスベリにのぼり、なるべく枝の先のほうにつかまるようにと教えました。

 ドウモコウモが、仁王たちをさがしていると、池の中で仁王たちが笑っています。ドウモコウモは、「こんどこそにがさないぞ」と、池の中の仁王たちめがけて、とびかかりました。そのとき、観音さまが、すかさず池にふたをしてしまいました。仁王のかげだったと築いたドウモコウモでしたが、やがて池の底に沈んでしまいました。

 あぶないところを救われた仁王たちは、それから力自慢をしていばることもなく、観音さまの門番をつとめるようになりました。


星の子ども

2025年01月12日 | グリム(絵本)

   星の子ども/グリム・原作 バーナデット・ワッツ・絵/富山房/2024年

 

 グリムの「星の銀貨」をバーナデット・ワッツが絵本にしたものですが、とても短くシンプルです。グリムは、主人公を「女の子」としていますが、絵本では、マチルデという名前がついています。

 少女マチルデはみなしご、夜の寝どころもありません。あるのは、身に着けている服と 親切な人からもらったパンがひときれだけ。

 それなのに、お腹をすかせたおじいさんに パンをまるごとさしだし、ほっぺたも耳も、しもやけであかくはれた男の子に、帽子を、うすっぺらなシャツをきているだけの男の子にコートを、ジャガイモの袋を首からかぶっただけ女の子に服を、小さな女の子に、最後の肌着をさしだします。

 自分が大変な状況にあるのに、もっと困った人がいると手を差し伸べずにいられない少女。ここまでくると宗教的な感じがしますが、最後は星が銀貨に、霧はやわらかな麻のドレスと、レースの肩掛け、羽毛のように温かいくつになるという 昔話でならではの終わり方をします。

 

 絵が素敵で、悲壮感がないのも少女の気持ちをあらわしているようです。森の中で、うさぎやリス、ハリネズミ、フクロウにかこまれている少女の顔はしあわせそうです。


あばかれた悪だくみ・・インド

2025年01月11日 | 昔話(アジア)

     北インドの昔語り/坂田貞二・編訳/平河出版社/1981年

 

 ひどく貧しいバラモンが、妻に尻を叩かれ、王さまのところへ行ってお布施をもらうおうとしました。妻の言うには、途中で見たことをうまくまとめて王さまに話せばいいというものでした。

 途中の道端に水たまりがあって、水牛が水たまりにごしごし体をこすりつけ、からだについた水をあちこち跳ね飛ばしていました。まわりに水をかければ涼しくなるからです。お城につくと、バラモンが、「ごしごしやって水をはねかえすは、なにが狙いかよくわかる。」と王さまに話すと、王さまは、その文句を書きとめ、金貨二枚をバラモンに、あげました。

 さて、王さまには七人の王妃がいましたが、なかの一人は、床屋とただならぬなかになっていました。この王妃は、床屋に、「髪の手入れをするとき、かみそりで王さまの首を掻き切ってしまうよう」そそのかしました。

 つぎの日、髪と髭の手入れをする時間になり、床屋が剃刀をよくきれるように、水をかけてごしごしと砥石にかけはじめました。それを待つ間、王さまはそばの手控えをごらんになっていました。そこにバラモンのいった文句が書いてあったので、王さまは声を出してお読みになりました。

 「ごしごしやって水をはねかえすは、なにが狙いかよくわかる。」
 それを聞くと、床屋は、王さまが、なにもかも知っているのだと思い、「王さまの首を剃刀で掻き切れば、王妃様たちも国もみんな私のものになる」という王妃のたくらみを白状しました。

 王さまは、「命が助かったのはあのバラモンのおかげだ。あの文句を聞かなかったら、命も国もなくなっていた」と、もういちどバラモンを招いてもっと礼をすることにしました。


おらは おおきな オランウータン

2025年01月10日 | 絵本(日本)

  おらは おおきな オランウータン/たけがみ たえ・作絵 久世濃子・監修/あかね書房/2024年

 

 おらは ほっぺたがでっぱったオス。でぱったほっぺは、だれでもなれるわけではないんだ。このあたりで いちばん つよい オスだけだ。

 メスにモテモテになるのはいいけれど、おらのような 大きなオランウータンにあったら、うおー うおう うおう とおくまで ひびきわたる 声で おどろかす。

 ねむるのも、たべるのも、トイレも、ぜんぶ 高い木の上。森には おらたちの たべものがすくないんだ。わかばや、木の皮で しのいでいるが、みんながおなじ木にあつまってきたら あっというまに なくなってしまう。ほどよい距離を たもってくらす。これが たいせつなのよ。

 90キロの おらが 木の上から おちたら どうなる? いっぽいっぽ いのちがけ。

 ひとりぼっちで いきているが さみしくないんだぜ。

 

 ボルネオのオランウータンのモノローグでその生活ぶりが 描かれているのですが 木の上から落ちそうになって、枝につかまる手の質感に目を奪われました。さいごに、「おらたちが この もりで あんしんして くらしていられるように おうえん よろしくね。」というメッセージで しめられています。


お日さまとお月さま・・朝鮮

2025年01月09日 | 昔話(東南アジア)

   アジアの昔話6/ユネスコ・アジア文化センター・編 松岡享子・訳/福音館書店/1981年

 日本やグリムの昔話の要素がつまった昔話。タイトルからはちょっと想像できません。

 たったひとりで、子どもたちを育てていたお母さんが、留守中、知らない人がきても戸を開けないようにと言い残して、金持ちの家の手伝いにでかけました。仕事をおえ、やさしい金持ちのおくさんがくれた大きなお餅九つをもって大急ぎで家に向かいました。

 最初の丘にさしかかったとき、トラがあらわれ、お母さんを食べようとしました。子どもたちのことを考え食べないように懇願しますが、トラは、いうことをきかず、餅を一つよこすようにいいました。お母さんは餅を一つ投げ、トラがそれを食べているうちに、逃げ出しますが、二番目の丘にさしかかったとき、また目の前にトラがあらわれたので、二つ目の餅をなげてやりました。これだけではおわりませんでした。三つ、四つ・・九個目で餅がすっかりなくなると、十番目の丘に、トラがまたあらわれてお母さんを食べてしまいます。

 これでも満足できないトラは、こんどは留守番をしている子どものところへ出かけました。兄と妹は、声や手をださせ、母親でないことが分かったので戸をあけませんでした。しかし着ている着物ををみるようにいわれ、戸をあけてしまった兄妹。着物の裾から ながいトラのしっぽを見て井戸のわきに生えている高い木にのぼって枝にかくれました。ところが井戸の中の水に、子どもの影を見つけ、トラは木の上にのぼろうとします。
 足の裏に油を塗ってのぼったという兄のことばをまにうけたトラは、足の爪に油をぬってのぼりますが、なんどやってもツルツルおちてしまいます。妹はこの様子を見ておかしくなり、「斧で、木にだんだんをつけたら、すぐのぼってこられのに。」と、いってしまいます。

 トラが斧をつかんでのぼってくると、兄妹は上へ上へ。木のてっぺんに来ると、天の神さまに、丈夫な綱をおろしてくださいとお願いすると、すぐに真新しい綱がおりてきました。トラも天の神さまにお願いすると、おりてきたのは、古い、くさった綱でしたから、途中でぶっつりきれて、トラは地上へまっさかさま。地面にからだをうちつけて、血を流して死んでしまいました。

 子どもたちが天につくと、神さまは、男の子を太陽に、妹は月になるようにいいます。一日たつと、妹は、みんながじぶんのことをじっと見るので、恥ずかしいといいだしました。やさしい兄は、妹が太陽になるようにして、じろじろ見られないようにします。そして、今でも女の子はお日さま、男の子はお月さまでいます。

 トラが血を流してたおれた場所には、ひろいコウリャン畑ができました。コウリャンの穂のさきが、まっかなのは、そのときのトラの血がついたからだといわれています。

 

 朝鮮半島は、二つの国に分断していますが、松岡さんはあえて、朝鮮の昔話としたのでしょうか。


りこうな子ども・・インドネシア

2025年01月08日 | 昔話(東南アジア)

  アジアの昔話6/ユネスコ・アジア文化センター・編 松岡享子・訳/福音館書店/1981年

 

 人さらいにつれさられた男の子が、腹が痛くて痛くて動けないと人さらいに訴え、おんぶされて森の中を歩いていきました。男の子は、お話ししてくれたら腹が痛いのが忘れられるからと頼みました。人さらいが話したのは

 ・わしのでかい木は、世界中の木という木を全部合わせたより まだでかい

 ・ばかでかい斧があり、一方のはしは、東のおてんとうさまののぼるところ、もう一方は西のおひさまがしずむところ

 ・ばかでかい水牛がいて、世界中全部合わせたより大きい。こいつがピックとでも動こうもんなら、地面はガタガタ、大揺れさ。地震ってのは、このことよ

 ・ながいシュロがあった。七つの島と、七つの海をぐるっと ひとまきにできるぐらいの長さ

 ・大きな家があって、その家の屋根の上から卵を落としたら、途中でそれがえってヒヨコになって、それがまた地面につく頃には、メンドリになってしまう

 

 お腹が少し良くなったといって、こんどは、男の子が話しはじめました。それは、大きな大きな太鼓の話でした。

 「もしそれをたたいたら、世界中の人間じゃなくて、天にいる神さまの耳にも、音が聞こえたんだよ。」
 人さらいが、そんな太鼓をつくれるほどの木はないだろうというと、人さらいがいう木を使ったと、かえします。どうやって木を切り倒すかとわれると、人さらいのいう斧を使ったといいます。
 皮はでかい水牛、皮をはるシュロ、置く場所は、大きな家につるしたと、かえした男の子。

 

 人さらいが、急に話をかえ、「おまえには兄弟がいるのか?」ときくと、男の子はこたえました。

 「ぼくの兄さんには弟がふたりいるし、弟には兄さんがふたりいるんだ。ってことは、ぼくたちは何人兄弟で、ぼくが何人目か、わかる?」

 この問いに、人さらいはこたえることができませんでした。人さらいは、知恵にかけてはこの子の方がうわてだとさとりました。この子をつれていっては、どんな難題をふきかけられるかもしれない、こんな子は、親のところにかえすにかぎると思った人さらいは、おおいそぎで、今来た道をもどって、この子を家まで連れて帰りました。

 

 ほら話がおおい昔話ですが、ほら話にほら話でかえすという楽しさがあります。


えほんよんで どこへいきたい?

2025年01月07日 | 絵本(日本)

   えほんよんで どこへいきたい?/服部千春・作 こしがわ かおり/岩崎書店/2024年

 

 モモはおかあさんのおひざで絵本を読んでもらうのが大すき。おかあさんが「さあ、きょうは、どこへいきたい?」というと、絵本の時間。

 「くもに はしごでのぼる」「つきで おひるね」「まじょのおうちで るすばん」「おしろの ぶとうかい」・・えほんのなかのだれにもなれるのです。

 「ひざじゃなくて となりにおすわりでもいいかしら」と、おかあさんがいったのは、おなかがおおきくなって モモが のるにはせまくなってきたから。


 おとうさんが よんでくれるようになりましたが、おかあさんほどではありません。

 モモは、「じぶんでよんでみる」「あかちゃんがうまれたら、わたしが えほんをよんであげる」と、ぬいぐるみのクマに、「どこへいきたい?」ときくと、えほんをよみはじめました。

 そして、あかちゃんが うまれると・・・。

 

 絵本を読むきっかけが、「どこへいきたい?」というのは、魔法の言葉?

 やさしい絵と、絵の中の人物のセリフの手書き文字が、うまくマッチしています。

 自分で絵本が読めるようになっても、おかあさんが よんでくれるのは また別のたのしさでしょう。
 おとうさん、絵本を読むのがじょうずじゃないと モモに いってしまいますが、絵本を読むのは、上手、下手は 関係ありません。

大雪は災害?

2025年01月06日 | 日記

 青森の雪の映像を見ると、あらためて雪国で生活することの大変さが伝わってくる。

 朝は、玄関から道路に出るには雪を除去しないと、出られないし、道路に出ても左右雪だらけ。清掃車の通行や郵便配達にも支障がでていそう。そのほか、樹木の倒木も。電線の切断などもありそうだが・・。

 積もり積もった雪の捨て場所の確保もままならないようだ。

 屋根の雪下ろしで、亡くなる人も出ているが、かといって雪下ろしをやめるわけにもいかない。高齢化がすすむ市町村で、人手は確保できているのだろうか。

 

 当地では、40日ぶりの雨。


だいだらぼっち・・静岡

2025年01月06日 | 昔話(中部)

      静岡のむかし話/静岡県むかし話研究会編/日本標準/1978年

 巨人伝説は、地域の成り立ちと結びついているので、その土地のようすががわかっていないとあまり興味がないかもしれませんが・・。

 だいだらぼっちのすむ秋葉山が、富士山より低いというので、富士山より高い山を一晩で作ろうという話。近江(滋賀)から土運びしてのどが渇き、遠州灘に両足をつっこみ、水を飲もうと左手を海岸近くについて、身をかがめると、左手が砂浜にめりこみ、人間の左手のような湖ができたと。これが浜名湖という。にぎりめしをひとくちパクつくと、ガチッと小石が歯にあたり、その小石をはきだすと、それが浜名湖に落ちて、小さな島に。それが、つぶて島という。

 一晩中汗水かいても。おれんちの秋葉山が低いと、おこっただいだらぼっちが、こもをほうりなげると、こぼれた土が山に。それが館山寺の大草山という。まだ腹の虫がおさまらないだいだらぼっちが、ついでに、もう片方のこもを右足でけりあげ、こぼれた土を、「このやろう、このやろう。」とじだんだふんで悔しがった。あまりにふみ続けたものだから、広い広い原っぱに。それが三方原台地。

 このだいだらぼっちは、あぐらをかくと、四キロ四方が足の下にめりこみ、立つと、頭は雲の上につきでるほどの大男。


おはなしは どこからきたの? 南アフリカのむかしばなし

2025年01月05日 | 絵本(昔話・外国)

   おはなしは どこからきたの?/さくま ゆみこ・文 保立葉菜・絵/BL出版/2024年

 

 子どもたちから”おはなし”をせがまれたマンザンダバは、”おはなし”を探しに出かけます。 ノウサギは、「100だって、1000だってはなせるよ。だけど、ちょっと今はいそがしいんでね」、子どもを背中にのせたヒヒは、「おはなしだって?食べられないものを、ほしがるなんて人間は、かわっているねえ。あたしはそれほどひまじゃないよ」、フクロウは、「せっかくいい気持でねむっていたのに、起こすんじゃないよ」と、相手にされません。

 ゾウに聞くと、ウミワシなら、知っていそうだよといわれ、ウミワシのところへいくと、ウミガメをつれてきて、おはなしがみつかりそうなところへつれていってくれました。

 つれていかれたのは海底の精霊の民がくらすりっぱな宮殿でした。宮殿の王と王妃から、「陸の上がどんなふうなのか、目で見えるように、おしえてもらいたい」といわれ、マンザンダバは、じぶんの家族や、家や村のようす、動物や鳥を 木に彫って、つぎの満月の夜、宮殿へ向かいました。王と王妃はとてもよろこび、感心しました。それから、うつくしい貝殻をだしてきて、「おはなしがほしいときは、この貝がらを耳にあてなさい。そうすれば、おはなしがつぎつぎにきこえてくるでしょう」といいました。

 マンザンダバは、貝がらから聞こえてきたおはなしを、子どもたちだけでなく、村びとたちにも、毎晩かたってきかせました。

 貝がらからからは、たくさんのおはなしがきこえてきました。そのおはなしが、村から村へ、町から町へ伝わっていき、世界中にひろがっていきました。



 南アフリカのズールーの人びとに伝わるむかしばなしといいます。

 木版画の多色刷りという絵は、華やかですが、派手さはありません。


象とフクロウ・・ネパール

2025年01月04日 | 昔話(アジア)

      アジアの昔話6/松岡享子・訳/福音館書店/1981年

 

 象が食べ物を探して森の中へ入っていくと、とつぜん鬼どもがおおぜい集まっているところへでてしまいました。鬼の王は、ちょうど象を一頭たいらげた夢からさめたばかりでした。そこへ象があらわれたので、夢がほんとうになったにちがいないと、すぐに象を食べようとしました。

 象が、最後のたのみとして、殺される前に、親しいともに相談させてほしいというと、鬼どもはよかろうといいました。みちみち象は会うひとごとにたずねました。「夢の中で何かを食べたら、さめたあともそれを食べなければならないなんて、そんなことが道理にあっているでしょうか?」。するとだれもかれも、それは道理にあっているといいます。やっと仲の良いフクロウのところへたどりつき相談すると、フクロウもいっしょに行こうといってくれました。

 フクロウは鬼どものところへつくと、ふかいねむりからさめたふりをして「ああ、今、驚くべき夢を見た。鬼の女王と結婚した夢だ。されば、すぐにも女王と結婚しなければならぬ。して、女王はどこにいる?」

 すると鬼どもは、おこって、声高にさけびました。「ばかばかしい。夢を見たからといって、わしらの女王と貴様を結婚させるわけにはゆかぬわ。」

 するとすかさずフクロウはいいました。「わたしの夢がほんとうにならぬというなら、夢を見たからといって、あなたがたの王が象を食べるというのは、どういうことですかな。あくまでわたしに親友を食うといわれるなら、わたしも、どうあっても、あなたがたの女王と結婚しますぞ。」

 鬼どもはあきれかえって、なんといっていいやらわかりませんでした。そこで象とフクロウは、無事家にかえりました。

 

 象とフクロウ、鬼の組み合わせが微妙です。