どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

あずきがゆばあさんと とら

2024年11月16日 | 絵本(昔話・外国)

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   あずきがゆばあさんと とら/パク・ユンギュ・文 ペク・ヒナ・絵 かみや にじ・訳/偕成社/2022年

 韓国の小学校二年生の国語の教科書にのっているという昔話。特徴的なのは でてくるばあさん、とらなどが人形で、立体感があって、あらためて絵本の奥深さを知ることになりました。

 

 ばあさんの にるあずきがゆは とってもおいしい。それで あずきがゆばあさんとよばれていた。
 ある あたたかな春の日、山の小豆の畑で 草取りをしていると、とてつもなく大きなトラがのそりのそり。ばあさんを食べようとするが、「雪の降る日 おまえも たべものがないとき、おいしいあずきがゆを たべたら わたしを がぶっと くったらいい!」と、なんとかその場を切り抜けた。

 冬至の日、ばあさんは、あずきがゆを にながら 煙突の前で、おいおい泣きはじめた。台所に戻っても まだ 泣いていた。
 そこへ「ぴょんぴょん とことこ」やって来たのが”くり”。わけを聞いた くりは、「あずきがゆを 一ぱい くれたら くわれんように してあげる。」といい、あずきがゆを ぺろっと たいらげると かまどの奥に みをひそめた。
 つぎに”すっぽん”がやってきて、あずきがゆを たいらげると 水がめの なかに どぶんと かくれた。
 まだまだ やってくるわ やってくるわ!。
 「ぬるぬる ぺたぺた」”うんち”
 「ぴょこん ぴょこん かたん ことん」”千枚通し”
 「がたん ごとん どしん どしん」”
 「くるくる するする」「ひょこひょこ かたかた」”石臼”
 「くるくる するする」”むしろ”
 「ひょこひょこ かたかた」”しょいこ”

 日本の「さるかに合戦」に 似ていますが、ばあさんの応援者が日本のものより多い。”うんち”はともかく、”むしろ”と”しょいこ”がでてきて、とらを 川に放り投げる場面が楽しい。しょいこは子どもにはわかりにくいところですが、そこは絵本なので一目瞭然です。
 

 小物の人形にも注目です。


いらっしゃい

2024年11月15日 | せなけいこ

    いらっしゃい/せな けいこ/童心社/2019年

 

 こどものお店屋さん。

 ”いらっしゃい”の掛け声とともに、商品がならび、”まいどあり”と 威勢のいい声が聞こえてくるかのようです。

 八百屋、魚屋さんはハチマキ、洋服屋、おかしやさんが おでむかへ。

 お店屋さんになるのもいいし、野菜や魚などの あてっこも 楽しそう。

 

 いつも利用している図書館、ちょとでかけたとき のぞいた図書館の どちらにも、せなけいこさんと、なかがわりえこさんの企画展示がありました。

 ご冥福をお祈りいたします。


大きな赤いネコ・・スコットランド

2024年11月14日 | 昔話(ヨーロッパ)

   明かりが消えたそのあとで 20の怖いお話/マーガレット・リード・マクドナルド著 佐藤涼子・訳/編書房/2004年

 

 ハローウィーンの夜、行い正しい人々は我が家にとどまるか、教会に祈りに出かけた。だがムラド・マックターガタという漁師は、一年中漁に出かけた。その夜、暗く空は荒れ、稲妻がひらめき雷がとどろいた。けれどマックターガドは網の手入れに余念がなかった。

 ふいに戸口から緑の目の大きな赤いネコがはいってきた。ネコはにやりと笑い、鋭く白い歯をむきだし、シャーッとうなった。そして、大きな赤いネコは座ってムラドをじっとみた。

 するとこんどは、赤い目が燃えている大きな黒いネコがはいってきた。ネコはにやりと笑い、鋭く白い歯をむきだし、シャーッとうなった。そして、大きな黒いネコは座ってムラドをじっとみた。

 ふたたび大きな黒いネコ。四匹目、五匹目・・・。しまいには12匹の大きな黒いネコが小屋の中に座り込んで、赤く燃える目でムラドをじっとみた。

 やがて、大きな赤いネコがたちあがりこう言った。「さあ、わが友よ! この素晴らしき嵐の夜に黙って座り込んでいいものか? 葬送の歌を歌おうではないか」
 そしてネコたちは悲しげな声を長く引いてふるわせた。歌い終えると大きな赤いネコがムラドに向かって言った。「さあ、ムラド! すぐに支払えるかな? われらが今夜おまえのために歌った素晴らしき葬送の歌に?」

 ムラドがまだ死んでもいないのに払えないというと、ネコたちはムラドを食べようとする。ムラドがドアの向こうに目をやると、ネコたちの頭越しに地主のヒツジが目についた。「それ、あれがおまえたちへの支払いだ!」とヒツジを指さすと、ネコはヒツジにとびかかり、あっというまにもどってきた。雨にうたれた丘の上に残ったものは、きれいになめつくされた骨の山。

 また同じことが繰り返され、地主の雌牛を、「おまえたちへの支払いだ!」というと、ネコたちは、雌牛にとびかかった。雨にうたれた丘の上に残ったものは、きれいになめつくされた骨の山。

 三度目に、ムラドは、地主のグレーハウンド犬が支払いだというと、ネコたちは犬をおいかけはじめた。ムラドは助けを求め村へと走った。ところがグレーハウンド犬に追いつけなかったネコがもどってきたので、ムラドは、必死に高い木によじのぼりてっぺんにすがりついた。

 黒いネコが一匹、また一匹 木に登ってくると、ムラドは短刀を引きぬき大きな黒いネコにつきさした。これをみて赤いネコが、ムラドごと木を引き倒そうと、木の根のまわりをかきだしはじめた。それからネコたちは鋭い歯でかじりはじめた。木のてっぺんでムラダが大声で叫んだ。「助けてくれ!」。

 教会でミサ中の司祭が声に気がつくが、補佐役が もういちど助けを求める声をまとうというので、司祭はミサを続けた。二回目の助けの声がきこえると、司祭は聖水のはいった瓶を持ってきて、ネコたちに振りかけた。

 ギャーッ! ギャーッ! ギャーッ!
 ネコたちはみんなからだをびくつかせ地面に倒れた。大きな赤いネコは恐ろしい声をあげ空中に飛びあがり姿を消した。赤いネコは悪魔そのもので、黒いネコは悪魔の手下たちがネコの皮をかぶっていたのだ。

 その後、ムラドはハローウインの夜には二度と漁にでかけなかった。我が家ににとどまるか教会に祈りに出かけた。行い正しいスコットランドの人々がそうするように。

 

 もとの話に参加型の要素を取り入れて、この話にしたとありました。


ペンギンのこまりごと

2024年11月13日 | 絵本(外国)

   ペンギンのこまりごと/ジョリ・ジョン・作 レイン・スミス・絵 岡野佳・訳/化学同人/2021年

 

 くちばしはつめたいし
  まわりは きうるさいし
 ゆきなんか だいっきらいなのに またよるにつもっているし
 うみは しおからいし
 たべるつもりが たべられそうに なっちゃうし
 かおはそっくりだし
 ママ パパから どこの子だい? っていわれるし

 なのに、だれもわかって くれない!

 愚痴りまくるペンギンの声がきこえたか、セイウチが お節介?

 なにもかも いやだとおもって なやむときこそ けっきょく いまのじぶん、いまのばしょが いちばんいいと きがつくもんじゃ

 そうか セイウチのいうことも まちがっていない

 そらも、うみも、ともだち、かぞく ここが ぼくのうち、ぼくは ここにいたい。ペンギンにも いいことがあるかもしれない

 でもやっぱり、くちばしは つめたいし、くらくなるのは はやいし・・・。

 

 どちらが表紙かわからず、タイトルががかかれたほうからよみはじめると、どうやら 落ちの部分。ひっくりかえしてペンギンの顔がならんでいいるほうから読むと、ペンギンらしからぬ不平不満のオンパレード。

 不平不満を内にためこむとストレスがたまる一方。こんなとき声を出すと、救いの手があらわれるのかも。

 

 セイウチのアドバイスで、悩みが解決したかと思うと、「でもやっぱり くちばしは つめたいし くらくなるのは はやいし」と、また はじめに もどる仕組み。わかったようでも 悩みはつきず。ループはつづくので、表紙と裏表紙の判断は、それぞれ自由にどうぞというのも しゃれています。(タイトルのあるほうから読みなさいというのは だれが きめた!)


いたずらのすきな けんちくか

2024年11月12日 | 絵本(日本)

 

   いたずらのすきな けんちくか/原作・安藤忠雄 はたこうしろう・絵/小学館/2020年



 建築家安藤忠雄氏が設計し、大阪市に寄贈した2020年7月オープンの大阪「こども本の森 中之島」が舞台。

 小学生の兄と妹が、安藤さんらしき人に案内され、こども本の森を探検していきます。高ーい高ーい本棚にびっくりし、ふしぎな部屋にゆかいなきもちになったり。おじさんが?建築家の仕事を説明し、「たてものに いたずらをしこむ」というのにとまどったり。こんなふたりに、上海保利大劇院(オペラホール)、半山半島美術館+劇場」(計画案)、ベネッセハウス(ホテル・美術館)、光の教会ほかの建築を紹介していきます。

 雨の日に、傘をさしてあるく家をつくったこともあるという。

 「便利じゃないもの。いっけん むだにおもえるもの。すぐには こたえが わからないもの。そういうものが じつはいちばん おもしろい。」という安藤氏。

 建築家になりたいとおもったが、大学に行くお金と勉強が足りなくて独学で建築家になったという最後のメッセージにもひかれました。何をどう勉強するか、というところから自分で考え、自分で決めて行動する訓練ができたこと。   あれはだめ、これはいい、といったきまりごとをおぼえることよりも、「何をつくろうか」と考える自由な心や、「これがつくりたい」という気持ちの強さのほうが大切というのは、ほかのことにも言えそうです。

 

 気になるのは、本棚の高さ。高すぎて、子どもの手に届かず、手軽にふれることができないこと。HPをみると、5段目から上に陳列してある本は取れないように固定してあり、いちばん下の段に同じ本をまとめて置いてあるというのですが、使い勝手が悪そう。

 同館名誉館長は京都大学IPS細胞研究所の山中伸弥氏です。


あんころもちこぞう・・長野

2024年11月11日 | 昔話(北信越)

      長野のむかし話/長野県国語教育学会編/日本標準/1976年

 

 むかし永平寺山のふもとにおかしなこぞうがおったと。ねんががらねんじゅう、まっぱだかで、ふんどしいっちょうだけ。しごとはちっともせずにぶらぶらしとった。

 あんころもちがすきで、はらがへりゃ、「おっかあ あんころもち」とせがんでいたと。おっかあも、かわいい子どものことだから、毎日作ってくれたと。そのおっかも、年とって死んでしまったが、それでもこぞうは、「あんころもちくいてえな、あんころもちくいてえなあ。」と、村の中を歩いていたと。おっかあが死んでかわいそうにおもった村の衆は、はじめは、それくえ、それくえやと、くれとったが、そんなにやれんと、しぜんにやめてしまったと。

 それでも、「あんころもちくいてえな、あんころもちくいてえなあ。」とまわりあるいて、永平寺山のてっぺんへのぼり、松の木の下で休んでいただ。そのうちうとうとしていると、夢の中におっかあがあらわれ、「おっかあ」と叫んだ。「おっ、わりゃか。まだわりゃ あんころもちくいてえっていってるだけえ。いいか、もう二個だけあんころもちをやるが、それきりだぞ。いまおっかあは天にいる。ふんどしを天に向かって投げろや、その中へえれてやるで。」というと、おっかあは消えた。

 夢見ていたかなと、こぞうが、ふんどしをはずし、くるっとまるめ、天に向かって力いっぺえなげただ。するとふんどしがたれさがってきて、木の枝に、ごそっとひっかった。中には重箱があった。いそいであけると、こってりあんこがついたもちがぎっしりつまっていた。

 ある日、三度の飯よりあんころもちが好きな殿さまが村の見回りにきた。「あんころもちくいてえな、あんころもちくいてえなあ。」というこぞうの声を聞いた殿さまは、家来に命じてあんころもちを探させた。けれども、その日は、どこの家でも作っていなかった。それでも、殿さまは、あんころもちをもってまいれとけらいに命じた。これを知ったこぞうは、おっかさんが二回といったことを思い出し、「あんころもちをさしあげます。」というと、ふんどしいっちょうのこぞうをみて、殿さまも家来も、へんなもんがきた、「ぶれいもの、さちされ」とどなった。

 しかし、こぞうはへいきで、ふんどしを天に向かってほおった。殿さまも家来も、あんまりのことに、口をぽかんとあけて天をみあげていたと。そのうちするすると ふんどしが おちてきた。ふんどしの中から重箱がでてきて、殿さまがたべてみると、これまでたべたことのないうめえあんころもち。よろこんだ殿さまは、こぞうにたんまりほうびをつかわせた。

 こぞうは、そのほうびで、しあわせにくらしたと。これで、おしめえ。


三人兄弟・・グリム

2024年11月10日 | グリム

   グリムのむかしばなしⅡ/ワンダ・ガアグ・編絵 松岡享子・訳/のら書店/2017年

 「英訳のグリムを何冊も読むうちに、その文章が堅苦しく、想像力に欠けると感じ、自分でもっと読みやすい、生き生きした文章に翻訳・再話しよう」と決心した作者の再話」・・松岡さんのあとがき。

 

 ある男が、三人のむすこに、「世の中へ出て行って、めいめいひとつ、心にかなう職をえらんで、その技をしっかり身につける。一年たったら、ここでおちあって、いちばんうまく技を身につけたものが、この家をつぐ。そうやってきめていいかね?」
 むすこたちにもんくはありません。
 いちばん年上のむすこは、鍛冶屋、二番目のむすこは、床屋、三番目のむすこは、りっぱな剣のつかい手になるため、でかけました。

 一年後、すばらしい技を証明するいい手だてがみつかりません。そこへ野原の向こうから、一ぴきのうさぎが走ってきました。床屋は、うさぎが走ってくるあいだに、コップにせっけんをいれ、すばやくかきまわして泡をたてると、うさぎが全速力で目の前をはしりぬけようとした瞬間、そのあごに泡をぬり、ひげをそりあげました。でも、あごのさきには少しだけ毛をのこしてやりました。とんがったあごひげがあればかっこいいですからね。
 空中でぶーんという音がしました。ブヨでした。鍛冶屋は、ブヨがぶんぶんとびまわっているあいだに、手ばやく仕事して、ブヨの足の一本一本に、小さな金の蹄鉄をはめました。その蹄鉄は、それぞれ二十七本のこまかいくぎでとめてありました。なにもかも一瞬のできごとでした。

 父親は、弟と兄のどちらに家をつがせるか、わからなくなりました。こうしているまに、空には黒い雲が広がりぽつぽつとあめがふりだしました。するといちばん末のむすこが、身につけた技を披露します。末のむすこが、あまりにもみごとに、頭の上で剣をふりまわしたので、むすこの頭には、一滴の雨もおちませんでした。雨はだんだんはげしくなりましたが、むすこが目にもとまらぬはやさで、剣をふりまわしたので、一滴の雨もおちません。雨はいよいよはげしく、まるでたるいっぱいの水をぶちまけるいきおいでおちてきました。が、剣は縦横無尽にふりまわされ、まわりは何もかもずぶぬれでしたが、むすこは、屋根の下にでもいるように、少しもぬれていませんでした。

 三人兄弟のだれが家をついでもおかしくない技ばかりですが、うえの二人は、末のむすこが一番だとおもったのでした。末のむすこは、家を自分ひとりのものにしようとはせず、兄さんたちといっしょにわけあいました。

 

 三人兄弟というと、兄弟間の争いがおこるのが昔話のパターンですが、なんとも さっぱりした終わりかたです。

 日本で訳されたもののなかには、この話自体がのっていないものがありました。またブヨの場面は、ワンダ・ガアグ氏のアレンジでした。


おばあちゃんの白い鳥~ガザのものがたり~

2024年11月09日 | 絵本(外国)

   おばあちゃんの白い鳥~ガザのものがたり~/マラク・マタール・作 さくまゆみこ・訳/講談社/2024年

 イスラエル軍の攻撃で、子どもたちが、未来を閉ざされているニュースを目にしたり、聞いたりしていると、なんとしてもこの戦争がおわってほしいと思う日々。

 この絵本は、パレスチナ・ガザ地区で生まれ育ち、2014年のイスラエル軍によるガザ攻撃で、約50日間も家に閉じこもることを余儀なくされたマルク・マタールが、自分をモデルに描いた絵本。そのときに描いた作品はSNSを通じて世界に発信され、外国からも招待状がとどいたというのですが・・・。

 

 マラクは、パレスチナのガザにすむ女の子です。

 毎週金曜日には、マラクたち家族はおばあちゃんの家を訪ね、世界一おいしいマクルーバ(炊き込みごはん)をごちそうになりながら、楽しい時間を過ごしていました。おばあちゃんがかっている白い鳥にえさをやっているとき、マラクの口からこんな言葉がこぼれました。

 「おばあちゃん、わたしたちって、この鳥みたいに、かごの中にとじこめられてるのよね」。おばあちゃんは寂しく笑いながら「だけど、夢の中では、どこへでも飛んで行けるよ」と答え、おみやげにキャンディをくれました。

 つぎの朝、休み時間に校庭で遊び、キャンディをみんなにあげているとき、とつぜん大きな恐ろしい音がひびき、学校の建物もぐらぐらゆれました。

 このあと、マラクの一家は、50日ものあいだ、外に出ることができず、学校へもいけませんでした。

 カバンをあけてみたマラクは、じぶんでかいた絵をみつけました。絵のことなどすっかりわすれていたのに、頭に浮かんだこと、家族のこと、ともだちのこと、とんでいる小鳥のこと、一日中絵を描いていると、恐怖を忘れることができました。ある日、マラクが絵を描いていると、一羽の小鳥が窓からのぞきました。おばあちゃんの白い鳥でした。お母さんが、おばあちゃんに電話をすると、「爆撃で家がやられて、なにもかもなくなってしまったよ。白い鳥もいなくなってしまった。」
 家族で、おばあちゃんのようすをみにいくと、町の建物は爆撃で壊され、にぎやかだった町は、死んでしまったかのようでした。

 やがて、安全に学校へ行ける日がやってきました。マラクはとじこもっていたあいだに描いた絵を、みんなに見せました。先生は、マラクの絵を見て、みんなにみてもらうため、校内で展覧会を企画しました。

 やがて、外国から国際的な展覧会に招待したいという手紙が届きました。しかし、ガザは封鎖され、国境がとじているので、外国に行くことはできませんでした。

 しかしその夜、マラクは夢の中で、白い鳥にのって世界中にとんでいきました。そして、あちことで絵を見せ、思っていること、考えていることを話していました。

 


メロンパンナとひみつのはなぞの

2024年11月08日 | 紙芝居

   メロンパンナとひみつのはなぞの/やなせたか/しフレーベル館/2020年(12画面)

 お姉ちゃんのロールパンナのために、白いお花を育てていたメロンパンナちゃんとチーズ。
 そこへばいきんまんがあらわれて、花をかたっぱしからぬきはじめました。  ばいきんまんは、やめてというメロンパンナを透明なカプセルにとじこめました。カプセルはどんどんころがって川へながれていきました。チーズが助けをよぶと、アンパンマンがとんできました。アンパンマンがとびかかろうとすると、インクが ぴゅーっ。かおがよごれて力が出ません、

 カプセルが ながれていく先には 滝があります。このままでは・・・。

 すると おさるさんたちが やってきて 滝の上に 橋をかけて、カプセルを うけとめてくれました。

 

 子どもたちが大好きというアンパンマン。アンパンマンは、新しいパンで 力がでてくるんですね。
 この紙芝居には、ロールパンナがでてきませんが、ほかの話につながっているようです。


ガチョウ番のむすめ・・グリム

2024年11月07日 | 昔話あれこれ

 グリムの「ガチョウ番のむすめ」は、
 ある国の王女が、おつきの女性とふたりで、遠い国へ嫁ぎにいきます。が、途中でおつきの女性が、王女になりすましたので、王子から花嫁として迎えられ、一方、王女はガチョウ番として雇われます。
 王女は、真実を告げることができませんでしたが、やがて、国王の機転で、真実が明かになり、無事王子と結ばれるというややながめの話。

 

 ところで、あるお話会で、お輿入れの王女と同行する女性を”腰元”として話されていました。

 腰元というのはいかにも日本的。調べてみると、侍女や女官と訳されているものがあり、このほうが一般的ですが、語りやすさ、わかりやすさを考慮しで”腰元”と訳されたのでしょうか。

 グリムの場合は多くの翻訳本があり、文章も比較しやすいで、一つのテキストにこだわらなくてもよさそうです。

 タイトルも、「ガチョウ番の少女」としているものがありましたが、”むすめ”と”少女”も悩ましい表現です。


スヌークスさん一家

2024年11月07日 | 創作(外国)

   スヌークスさん一家(ウイリアムズ・作 松岡享子・訳/おはなしのろうそく2/東京子ども図書館/1973年)

 

 おやおや ろうそくを 吹き消すのも 一苦労のスヌークさん一家の話。

 スヌークさんの奥さんが、たまたま先にベッドに入ったので、ろうそくを消してくれるようスヌークさんにいいました。ところが困ったことに、スヌークさんは、下くちびるを上くちびるにかぶせなければ息がふけないでした。「ふッ・・ふッ!」 なんどもやってみますが、どうしてもだめです。それを見て、奥さんがろうそくを受け取り、ろうそくを吹き消しにかかりました。ところが困ったことに、奥さんは、上くちびるを、下くちびるにかぶせなければ息がふけないでした。ですから奥さんの息は、全部床のほうにいって、ろうそくは消えませんでした。
 そこで奥さんは息子のジョンをよんで、ろうそくをけしてくれるよういいました。困ったことに、ジョンは、口の右のはしからでなければ、息がふけないのです。ジョンの妹アンは、口の左からでなければ息がふけないのです。ですから、ろうそくを消すことができませんでした。

 ちょうどそのとき、下の通りを重々しい足音が、ゆっくりちかずいてきました。おまわりさんでした。おまわりさんにろうそくを消してくれるようたのむと、おまわりさんは、家に入ってきて、たった一吹きでろうそくを消してしまいました。

 おまわりさんが、階段をおりようとすると、階段は暗いので、おくさんが、ろうそくに火をつけ、階段を降り、おまわりさんを玄関まで見送りました。

 ジョンとアンが、じぶんのベッドにもどり、スヌークさんと奥さんもベッドにはいり、ろうそくを消そうとすると・・・・。

 

 どうなったか このあとが気になるところ。
 スヌークさんたち、ろうそくを消すのをあきらめてそのまま眠ったのでしょうか?


ふしぎなお客・・イギリス

2024年11月06日 | 昔話(ヨーロッパ)

     イギリスとアイルランドの昔話石井桃子・編訳福音館文庫2002年

 

 ある夜、女が一人すわって糸つむぎ。つむいでた つむいでた。客がほしいとつむいでた。

 そこへ 大きな 足がふたつ。

 そこへ ほそぅい すね二本やってきて 足にのっかた。

 そこへ、ふとぅい 膝ふたつ やってきて すねに のっかった。

 それから 腿 胴 肩 腕 手 首 おっきい頭。

 ばらばらの 体が 家に入ってきて、

 女が、「なぜおまえは ここにきたんだね?」と たずねると

 「おまえを とって食いに!」

 

 スリラー風に つぎから つぎへと 体の 部分!が やってきて? 聞いている人の興味をかきたてます。昔話では繰り返しが特徴ですが、さすがに 同じパターンが 十回も続くのは?。

 石井訳をさらにながめにしたのが、「夜中にやってきたお客」(明かりが消えたそのあとで 20の怖いお話 マーガレット・リード・マクドナルド著 佐藤涼子・訳)。

 「夜中にやってきたお客」では、「戸を叩く」「お入り」「ギィーッ・・」「なんてこったね」「大きな大きな足が冷たい床の上にたっているなんて」という」フレーズが続いています。


雨の夜のお客・・イラン

2024年11月05日 | 昔話(中近東)

     世界名作おはなし玉手箱/齋藤チヨ/すずき出版/2000年

 

 雨の夜、ひとりぐらしのおばあさんのところへやってきたのはスズメ。おばあさんは、ぬれた羽に小さなタオルをそっとかけてやりました。だれかが戸を叩いて、おばあさんが戸口に出てみると、よたよたメンドリ。それから、カラス、ネコ、犬、雄牛がつぎつぎにやってきました。

 次の朝、おばあさんがゆっくり寝てめをさますと、どうでしょう、動物たちはみんなで、忙しく働いていました。
 スズメとカラスは、サモワールに火をつけて、お湯を沸かしています。犬は裏庭を掃いています。牛はぬれて でこぼこになった屋根をローラーで平らにならし、メンドリは牛の手伝いをしています。おばあさんは小さな家の中で、みんなが忙しく働いているのを見てうれしくなりました。そしてベールをかぶって、みんなのパンを買いに出かけました。おばあさんがおつかいから帰ってくると、みんなはサモワールを囲んで、朝ご飯を食べました。お茶を飲んでいるときまっくろ雄牛がいいました。「夕べ、ぼくたちは、どこへも行き場がなくて、おばあさんの家に泊めてもらったけれど、また、どこかにいかなくちゃならないんだね・・」

 動物たちは、おばあさんのことがとても好きになっていたので、ここをでていくのがさみしくてたまらなくなりました。

 「みんなが、ずっとここにいられたらいいのにね。でも、この家は、みんなで暮らすには小さいから、スズメひとりでも残ったら、あとのみんなは、でていかなくちゃならないんだろうね」と、おばあさんがいうと、牛は「小麦の脱穀をすることができるよ。おばあさんぼくにいておらいたくない?」といいました。おばあさんは牛の気持ちがわかったので、いいました。「家は狭いけれど,一緒に暮らそうか」
 すると、スズメは小さな卵を産むことができるといい、ネコは、ネズミを捕ることができる、カラスは、朝みんなを起こしてあげられる、メンドリは、おおきな卵を産むことができる、犬は泥棒を追っ払うことができるといいました。

 おばあさんは、みんなで力を合わせて、小屋をつくるようにいい、動物たちは小屋をつくり、みんなで幸せに暮らしました。

 

 争いも、だましあいもない世界に、ほっとする話。


商工祭

2024年11月04日 | 日記

昨日は地元の商工祭り。

地元の店の屋台があり、子ども向けのイベントも。

子どもは、木材を切って、テーブルをつくっていましたが、のこぎりをつかう機会もほとんどないようで、悪戦苦闘していました。

滑り台は風船式。これは持ち運びには便利そうでした。

   

屋外舞台での催も。

 

住宅地で子どもの姿はほとんどみられませんが、こんなイベントがあると、おおぜいの子どがいて、一安心!

 


おかお あらうの みーせて

2024年11月04日 | 絵本(日本)

   おかお あらうの みーせてもりと/いずみ・作 きくちちき・絵/講談社/2024年

 

 かえるさん、あらいぐまさん、ねずみさん、ぞうさんに、「おかお あらうの みーせて」というと、みんな ぱっしゃー。

 女の子も ぱしゃー

 できたー!

 幼児のころ、洗顔するというのは、習慣になかった。いつのまにか習慣になってしまった。

 さっぱりすると 気持ちいいという 笑顔が いい。

 水彩画のさっぱり感も いい。

 <おまけ> 水道の蛇口の上と アヒルさんのまえに 黄色いチョウ