先月末から雪は降るには降っています。今回の立春寒波では、北海道の次には新潟や富山で12時間に50cmの大雪とのことですが、ここ大曲では毎日10cm積もるかどうかで、更に昼間の気温がプラスになる日が多く、降った分はとけてくれて、まるで3月の雪のようで助かっています。それでも今日は昼間、秋田道が湯田~北上で通行止めとなったとの話。まだまだ気は抜けません。
さて、歴史のお勉強は奈良時代に桓武天皇が力を入れた2つの政策(遷都と領土拡大)の領土拡大に着手しました。この時に仙台の北に多賀城が造営(724年)されるのですが、その前に南の九州の話を知っておく必要がありそうでした。東北は「蝦夷」と呼ばれていますが、南九州では「隼人」と呼ばれ、古墳時代からヤマト王権に服属しない人たちがいたとのこと。
ただ東北と違ったのは、大宰府の存在のようです。大宰府がいつからどうやってできたのかは、明確になっていないとのことですが、536年に博多に役所(屯倉)を造ったのが最初との説もあるようです。また朝鮮半島への出兵や遣隋使(607年)なども博多から海を渡ったようで、九州の北側は早い時代からヤマト王権に支配されていたようです。更にその昔は、邪馬台国九州説があったり、さらに高千穂と思われる場所でのヤマトタケルの伝説もありますので、ヤマト王権とは古くから何らかのつながりがあったと考えるのが自然です。
このため、700年代前半にはある程度朝廷の支配力が浸透した、と一般的には云われているようですが、こちらも本気で調べてみると、いろいろありそうな感じがしました。それは本題を離れてしまいますし、遠く秋田で九州のお勉強をするのは、無理がありそうです。
時々