新米ペアレントの営業日誌・営業中

2005年3月1日に秋田県大仙市にオープンした大曲ユースホステルのペアレント(経営者)が日々の出来事を送ります。

出羽国の成立

2025-02-06 22:33:30 | 秋田古代史

立春寒波で大雪の所もありますが、大曲では多くないものの、今朝は15cmほど新たに積もった感じでしたし、雪を溜めてしまうと後が大変なので、今日は消雪パイプ稼働。それでも落ちるべき屋根の雪はほとんどありませんので気が楽ですし、午後には電気代と地下水の節約のため消雪パイプを止めました。

さて歴史のお勉強は再び東北に。飛鳥時代の東北といえば、太平洋側は仙台の南、日本海側は新潟の南が境界になっており、大化改新(645年)直後の647年に渟足(新潟市沼垂に比定?)柵、648年には磐舟(村上市)柵を造って領地拡大を進め、60年後の708年に出羽(酒田市城輪)柵を造営して、出羽郡を建郡したとのこと。

またこの近くには、場所も年代も分からない都岐沙羅(ときさら)柵というの出羽柵と磐舟柵の間にあったとの説もあり、海沿いを北上して、現・庄内平野南部を出羽郡にして、714年から数年で関東・中部地方などから入植者(柵戸)を1300戸移住させて郡の住民にしたとのこと。当時の1戸は一族もろともで20名ほどとされているようですので、26,000人もの大移動。この後、太平洋側でも同じ政策がとられますが、当時未開の地にいきなり行けと云われて行く方も大変でしょうし、そんな無理が通る時代だったようでビックリです。

712年に最上郡と置賜郡を陸奥国から編入して、出羽国が成立したとのこと。当初の出羽国は現在の山形県全域で、後に秋田県が含まれるようになりますが、それはまだ先の話で、中でも秋田県北はこの時期から300年以上先になります。秋田でも「出羽●●」という言葉を聞きますが、やはり出羽という言葉を多く使っているのは山形県。出羽三山と云えば羽黒山、月山などですし、出羽一之宮は鳥海山にある大物忌神社ですが、これも山形県になります。酒蔵で出羽鶴は大仙市にありますが、多くの出羽●●という酒銘は山形のものが多いようです。

ちなみに秋田は「羽後」とも云われ、山形は「羽前」とも云いますが、これは明治になって付いた名前のようで、今は羽後町があるためなのか、あまり羽後とは使わないようですし、羽前は漢字変換で出てきませんでした。


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