今朝も少し雪が積もりましたので、朝に消雪パイプ稼働開始で、昼には稼働停止。日中雪が止む時間があり、南側奥の駐車場にここ数日の降雪でそこそこ雪が残る場所が出来てしまいましたので、手作業で雪寄せ30分。このところ籠って歴史のお勉強ばかりで運動不足だったので、たっぷりの汗をかきました。
屋根の雪もまだ大したことはないのですが、今度の週末は横手かまくら祭りや六郷タケウチなどでお客様が来ることもあり、その前後は大雪が降っても雪下ろしが出来なくなるので、やるなら週前半か週明けになります。できるならサボりたい方向ですので、今回は先送りで今週はパスかなと。今やれば大した量ではないので楽ですが、あとにすると量が増える可能性もありますが、暖かくなってやらなくともよくなるかもと、今回は楽観的に考えましょう。
さて、先日からの多賀城築造を含むこの時期は、律令政府が蝦夷討伐を強烈に行った時代で、その動きをどうわかりやすくするかを考えていました。
多賀城を始めとした柵の造営は、比較的史料が多いので楽ですが、それに伴った支配地域拡大がわかりにくく、ここ数日、宮城県の郡の比定を勝手にやっていました。あまり土地勘のある場所ではないので、どこ?ということばっかり。
まず場所を特定するため、郡の詳細=郷の位置を史料から求め、それを現在地に当てはめる作業。先人の専門家があれこれやっていますので、それのいくつかを探し出して、比べて自分が納得できるものを採用。
趣味でやるなら、ここまででいいのでしょうが、見せるために造るのが仕事。これを地図にしてみてわかるようにして終了となります。今回は宮城県のことなので、手元に史料がないため、ネットでわかる範囲での作業。ネット版角川日本地名大辞典(旧地名)にはお世話になってしまいました。
のち
一時