日々

穏やかな日々を

梅雨の作業

2016年06月10日 23時58分57秒 | 草花
金曜日が終わった~~~~~~^^~

力が抜けた~~~~~

土曜日も忙しいけどほっとする金曜日はある。

梅雨になった~~~~~~
雑草だらけになってもいいと思おうかな~TT~
梅雨の草は成長が早くて抜くには困難
泥が一緒についてきて汚くなる。
根ギリギリのところでカットかな?

雨に濡れた草の中は苦手
それに、蚊も多く出る。
長袖長ズボンで作業せねばならなくなるし、
やっかいだな~

でも、あの、去年の草ぼうぼうはいただけない。
やや、頑張ろう。

梅雨はカビ対策もしなければならない。
昔必ずしていた大掃除様の作業はぼつぼつスタートだ。

頑張らないで進めよう。
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受動喫煙の危険性周知へ 医療機関らによる「室蘭がんフォーラム」が会合

2016年06月10日 22時23分19秒 | 地域
受動喫煙の危険性周知へ 医療機関らによる「室蘭がんフォーラム」が会合
2016年6月10日 (金)配信室蘭民報

 室蘭市内の行政機関や医療機関、患者団体、報道機関による「室蘭がんフォーラム」(会長・稲川昭室蘭市医師会長)の第3回会合が8日夜、東町の保健センターで開かれ、がん予防につながる「禁煙・分煙対策」の現状などに理解を深めた。

 各機関の代表ら約20人が出席。室蘭保健所企画総務課の三浦恵美子主査は多くの人が集まる施設を対象に、禁煙や適切な分煙が図られている施設をホームページに掲載する、道の「おいしい空気の施設推進事業」の施設登録状況について、西胆振は121施設が登録されている現状を説明した。

 また、市健康推進課の清水昌子課長は、健康増進計画「はっぴい室蘭計画21」に記された2013年度(平成25年度)現在の喫煙率や、市が進める禁煙・分煙対策の取り組みなどを報告した。

 出席者は、妊娠中の市民の14・8%が喫煙しており、新生児期の父親の喫煙率が48・8%、子どもが生後4カ月を迎えた父親の喫煙率が56・7%に上るなど、極めて高い室蘭市民の喫煙率による「受動喫煙の弊害」などについて意見交換。「受動喫煙の危険性を多くの人に伝えるべき」として、報道などを通じて市民らに効果的に訴えることを確認した


ちなみに島根のデータ

島根県2010年
データ出典  日本医療政策機構 市民医療協議会 がん政策情報センター 都道府県別格差情報 「喫煙率」 総数

男 29.3%
女 5.4% 
男女 17.3%

島根も子の親たちは、喫煙率が高いだろうか?
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大麦 腸から元気に 食物繊維、白米の20倍 日本食物繊維学会副理事長・青江誠一郎さんに聞く

2016年06月10日 21時18分22秒 | 
大麦 腸から元気に 食物繊維、白米の20倍 日本食物繊維学会副理事長・青江誠一郎さんに聞く
2016年6月9日 (木)配信毎日新聞社

 いま、食と健康の世界で「大麦」が熱い視線を浴びている。食物繊維に富むのが、その理由のひとつだ。白米に混ぜて食べるだけで食後の血糖値の上昇を抑えるなどさまざまな有用性が分かってきた。腸内環境の改善にも役立つ。大麦と食物繊維の働きについて、日本食物繊維学会副理事長の青江誠一郎・大妻女子大家政学部教授に聞いた。【小島正美】

 ◇食後血糖値の上昇抑制/コレステロールを正常化

 ◇内臓脂肪の低下/次の食事まで効果持続

 日本人の食物繊維の摂取量は過去60年間で劇的に減った。厚生労働省がまとめた「日本人の食事摂取基準」(2015年版)によると、1日あたりの食物繊維の望ましい量は、成人男性が20グラム以上、成人女性が18グラム以上だが、現実には男性は約13~14グラム、女性は約12~13グラムしか摂取していない。特に若い世代で少ない。1950年代には男女とも平均して20グラム以上も摂取していた。

 食物繊維が大きく減った要因について、青江さんは「米や大麦などの穀物を以前ほど食べなくなったからだ」とみる。

 日本人にとって、いまも白米から摂取する食物繊維の比率は高いが、白米に含まれる食物繊維は100グラムあたり約0・5グラムと少ない。一方、大麦に含まれる食物繊維は100グラムあたり約10グラムとかなり多い。しかも大麦の場合、食物繊維の一種のβ(ベータ)―グルカンが可食部分の胚乳に分布するため、押し麦にしても米粒のような形に加工しても、その食物繊維量はほとんど減らない利点がある。

 望ましい食物繊維の量を達成するには、1日あたり、あと6グラム程度の食物繊維を取ればよい。青江さんは「食物繊維は野菜や果物、大豆、海藻類からも摂取できるが、大麦なら、毎日50グラム程度を食べるだけで、5グラム程度は満たすことができる」と手軽に実践しやすい大麦を勧める。

 大麦に含まれるのは、主に水溶性食物繊維のβ―グルカン(糖が多数結合した多糖類)。これまでの内外の研究報告によると、水溶性食物繊維にはいくつかの有益な働きがある。

 (1)糖質の吸収を緩やかにして、食後血糖値の急激な上昇を抑える(2)血中コレステロール濃度が高めの人では、悪玉コレステロール(LDL)を低下させるなどコレステロール濃度を正常化させる(3)内臓脂肪の蓄積を抑える(4)腸内にいるビフィズス菌など善玉細菌のえさになり、腸内環境を改善する、などだ。

 青江さんらが行った人の試験では、2パックの大麦ごはん(白米と大麦が半々に混ざったパック。β―グルカンの含有量は1パックあたり3・5グラム)を12週間毎日食べ続けたところ、LDLコレステロール値が下がるなどの効果が見られた。通常は、1日あたり3グラム程度のβ―グルカン(茶わん半分程度の大麦)の摂取で効果が得られるという。肥満の指標となる体格指数(BMI)が25以上の肥満の人でも、同程度の量で内臓脂肪面積の低下効果が得られる。

 大麦の効果は欧米でも認められている。米国では「血中コレステロールの低下による冠動脈疾患のリスク低減」という健康強調表示が米国食品医薬品局によって認められている。欧州食品安全機関(EFSA)も「食後血糖値の上昇抑制」「血中コレステロール低下による心臓疾患リスクの低減」「排便の促進」の表示を認めている。

 日本では欧米のような疾病に関する強調表示は認められていないが、昨年4月に始まった機能性表示食品制度で、大麦の効果として「コレステロールを低下させる」「腸内環境を改善する」「糖質の吸収を抑える」といった表示が可能になった。ただし、この表示は国が審査して許可したものではなく、一定の科学的な根拠を基に事業者が自己責任で表示したものだ。

 大麦の効果でおもしろいのは「セカンドミール効果」(セカンドは2回目、ミールは食事の意味)だ。これは、たとえば朝食で大麦を摂取すると、昼食のときにも血糖値の上昇抑制などの効果が発揮されるというものだ。夜に大麦を食べれば、その効果は翌朝も表れる。

 青江さん自身は、朝に大麦のシリアル食品、夜に麦ご飯(大麦を30~50%混ぜたもの)を食べている。確かに朝と夜に大麦を食べれば理想的だ。

 もうひとつ大麦の特色がある。腸内環境の改善だ。水溶性食物繊維はビフィズス菌のような善玉細菌のえさになり、腸内細菌のバランスがよくなる。最近の研究で腸内環境の悪化は便秘や肥満だけでなく、うつや自閉症、がんなど脳や免疫の働きにも影響することが分かってきた。腸内環境の改善は病気を起こしにくい体をつくるわけだ。

 青江さんは「腸と脳はつながっている。腸内環境を整えることは、ミネラルの吸収をよくしたり、ストレスの防止にもなったりする。学校給食にもぜひ大麦を取り入れてほしいですね」と語る。

 最近、ごはんやパンなどの糖質を制限する糖質制限食がはやっている。青江さんは「極端に糖質を制限すると、腸内細菌のえさ不足になり、腸内環境が悪化する可能性がある」と食物繊維の豊富な穀類をしっかりと取ることが大切だと強調している。

………………………………………………………………………………………………………

 ◇主な食品に含まれる食物繊維量(100グラムあたりのグラム数)

品目      水溶性  不溶性  総量

大麦(押し麦) 6.0  3.6 9.6

食パン     0.4  1.9 2.3

うどん(ゆで) 0.2  0.6 0.8

玄米      0.7  2.3 3.0

白米        0  0.5 0.5

そば(ゆで)  0.5  1.5 2.0

キャベツ    0.4  1.4 1.8

ゴボウ     2.3  3.4 5.7

ダイコン    0.5  0.8 1.3

トマト     0.3  0.7 1.0

ナス      0.3  1.9 2.2

ニンジン    0.7  2.1 2.8

青ピーマン   0.6  1.7 2.3

レタス     0.1  1.0 1.1

シイタケ    0.4  3.8 4.2

エリンギ    0.2  3.2 3.4

 (日本食品標準成分表2015年版から、野菜はいずれも生で)
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火葬と納骨、NPOに依頼 財産処分の指示残す 「私たちの最期は」「ひとり身で逝く」

2016年06月10日 21時09分36秒 | 
火葬と納骨、NPOに依頼 財産処分の指示残す 「私たちの最期は」「ひとり身で逝く」
2016年6月9日 (木)配信共同通信社

 愛知県一宮市のNPO法人「ひだまりの和」の副理事長、宮本博(みやもと・ひろし)(58)が、がん療養中だった竹山多恵子(たけやま・たえこ)(仮名)と初めて顔を合わせたのは今年1月のことだ。多恵子が67歳で亡くなる3カ月前。自らの火葬や納骨の依頼を受けた。面談を重ね「なるべく周りに迷惑がかからないようにして」と強く念を押された。

 多恵子は自分が死ぬことで、たった1人のきょうだいである兄の卓治(たくじ)(72)=仮名=や、岐阜市内で借りていたマンションの所有者の手を煩わせたくないと考えていた。

 ひだまりの和を紹介したのは主治医の小笠原文雄(おがさわら・ぶんゆう)(68)だ。身寄りのない高齢者の入院や施設入所で身元保証を請け負ったり、日常生活を支援したりするNPO。こうした事業では預託金を流用し問題化した団体もあるが、高齢化でニーズは増えている。3月、火葬と納骨を代行する「死後事務委任契約」を約45万円で多恵子と交わした。

 4月22日、多恵子が死亡したとの連絡を受け、NPOの宮本らは医師から死亡診断書を受け取り、葬祭業者と連携し死亡届を市役所に提出。翌23日の火葬許可を取った。

 火葬当日。宮本はノーネクタイで多恵子が横たわる部屋を訪れた。「亡くなったことが周囲に分からないようにしてほしい」と言っていた多恵子の遺志を尊重し、喪服姿は避けた。遺体をひつぎに納め、目立たない黒塗りのワゴン車でマンションから運び出した。

 納骨には、宮本ら職員2人と兄の卓治の計3人で臨む予定だったが、火葬場に足を運んだ卓治の子どもと親友2人も立ち会いを望んだ。医師と僧侶の資格を併せ持つ小笠原の実家、岐阜県羽島市の伝法寺へと全員で向かった。本堂で卓治の手によって骨が納められた。

 「よく全部決めたと感心する」。そう話す卓治の手元には「通夜・葬儀はやらない」「物の処分方法」などと書かれた5枚の紙がある。臨終後の手順のほか、財産や家具一つ一つの扱い方まで、生前の妹の希望を卓治が書き起こした"指示書"だ。残された兄は、これに沿ってマンションを解約し、遺品の整理を進めている。(敬称略)

   ×   ×

 この女性の場合、兄がいて、本人の経済力もあった。次回からは、全く身寄りがなく生活保護を受けていた女性の最期を振り返る。
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心の傷痕、今なお深く 体験よみがえる人も

2016年06月10日 21時00分09秒 | 
心の傷痕、今なお深く 体験よみがえる人も
2016年6月9日 (木)配信共同通信社

 大阪教育大付属池田小の校内児童殺傷事件から15年を経ても、心の不調を訴える人たちがいる。支援を続ける同教育大の学校危機メンタルサポートセンター(大阪府池田市)は、当時1、2年生だった在校生や保護者ら計約10人から定期的に相談を受けている。

 事件直後から対応している同センターの岩切昌宏(いわきり・まさひろ)准教授によると、友人関係を巡る不安や他人に対する不信感を訴えるケースが多く、「当時の体験が突然よみがえる」とのフラッシュバックとみられる相談もある。

 事件直後に兆候はなくても、何らかのきっかけで心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症したり、「事件を忘れてはいけない」という気持ちから症状が出たりすることもあるという。

 岩切准教授は長期的なケアが必要と強調。その上で「自分の体験と向き合い、心の傷とどのように折り合いを付けるかが大切だ」と話している。
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滋養にいい万病の一薬 有名人が続々経営

2016年06月10日 20時55分26秒 | 医療情報
滋養にいい万病の一薬 有名人が続々経営 正岡子規「仰臥漫録」 文芸企画「文学を食べる」「牛乳」
2016年6月9日 (木)配信共同通信社

 正岡子規最晩年の日記「仰臥漫録(ぎょうがまんろく)」には病にふせる子規の食事が詳述されている。その中で、子規は牛乳を連日飲む。

 明治34(1901)年9月2日から始まる日記に同日「牛乳一合ココア交(まぜ)て」とあり、翌日にも「牛乳五勺(しゃく)ココア交」とある。一緒に菓子パンを食べることも多い。子規は牛乳好きなのだろうが、当時、牛乳が滋養にいいと言われていたのだ。

 明治維新の翌年、官営の「牛馬会社」を設立して、政府が率先して牛肉食と牛乳の普及に乗り出した。この会社の宣伝文には「抑々(そもそも)牛乳の功能は牛肉よりも尚更(なおさら)に大なり」「実ニ万病の一薬と称するも可なり」とある。

 元々牛乳は大化元(645)年ごろ、中国から渡来。酪(らく)、酥(そ)、醍醐(だいご)などの乳製品まで作られていた。だが天武4(675)年に肉食禁止令が出ると、次第に牛の飼育も減り、一般には牛乳が長い間、飲まれなくなった。

 それが明治維新で、政府が富国強兵、日本人の体位向上のため、肉食を解禁、牛乳を飲むことを勧めていったのである。

 明治の初期に榎本武揚、松方正義、山県有朋、副島種臣ら有名人が続々と牛乳屋を経営するようになり、牛乳は庶民に少しずつ広がっていった。

 子規の親友・夏目漱石の「坊っちゃん」にも「物理学校などへはいって、数学なんて役にも立たない芸を覚えるよりも、六百円を資本(もとで)にして牛乳屋でも始めればよかった」とある。牛乳屋は時代の商売だったのだろう。

 「道草」には漱石に相当する健三が異母姉を見舞うと「養生はしているよ。健ちゃんから貰(もら)う御小遣の中で牛乳だけは屹度(きっと)飲む事に極(き)めているんだから」と姉が言う。

 河内一郎は「漱石、ジャムを舐(な)める」の中で「道草」の場面を紹介。牛乳は「入退院を繰り返していた漱石にとって、特に入院中の病人食には欠かせないものだった」と記している。河内によると、漱石は家でも牛乳を配達させていて、月末にまとめて支払っていた。

 ちなみに大正3(1914)年12月は7円50銭。大正5年の1円は2006年には約924円との試算もあり、仮にそのまま換算すると同月の漱石の牛乳代は約7千円。

 明治14年には東京の一般家庭に牛乳配達が開始され、明治33年にガラス瓶の使用が義務づけられた。「仰臥漫録」が記される前年である。(共同通信編集委員 小山鉄郎)
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