【フランス便り】「日本の方がコロナを怖がっている人が多いな」との印象
この夏休みは、日本に帰国していました。
2年ぶりの実家で家族や友人とのんびりと過ごせたことで、心身共に癒され、お互いの無事がこれまでにないほど、 ありがたく思えた時間でした。
フランス出国前に、既に2回目ワクチン接種後2週間以上経過していましたので、有効なワクチン・パスポートも入手、出発48時間前にPCR検査陰性証明も入手し、日本入国のために必要な健康管理&位置確認アプリもダウンロード、日本での空港へのお迎えも手配し、準備万端にシャルル・ド・ゴール空港を後にしました。
日本入国に際しては、実に厳重にかつ機能的に水際対策が行われており、私も「危険国からの入国者」を意味する赤紙を持たされ、赤紙の人用ルートで唾液(抗原)検査へ。旅の疲れか、唾液が思うように出ず、それではこちらへ、とPCR検査へ誘導されました。無事に陰性結果を手にし、ダウンロードされたアプリが全て確実にオンになっているか確認され、誓約書など書類にサインをして晴れて入国が許されました。
到着後からその間、所要時間にして約2時間。人が密にならないように配慮された導線で、実にしっかりとオーガナイズされているな、と思いました。「鎖国」反対派の私でも、島国の地の利を生かして水際対策を強化すれば、国内の感染抑制ができると考えるのはそれなりに正しいことであると認めざるを得ませんでした (鎖国の弊害は、公衆衛生とは別のフィールドになりますので、また別の機会に論じたいと思います)。
その後の14日間、自宅隔離中、毎日1日3回のアプリでの位置確認と、電話での健康確認。家の中でも携帯から離れた場所にいて聞こえず応答できなかったことが3回ほどあり焦りましたが、国外追放にもならず(笑)、無事に隔離解除の日を迎えることができました。
解除されたとは言え、私の帰国の目的は家族と過ごすこと。お世話になった方々への最小限の接触でのご挨拶だけ済ませ、結局丸々1カ月、自宅隔離生活のようなものでした。幸い、家族も全員2回目接種後2週間以上経ており、多少の外出も楽しめました。
街で感じた空気としては、日本の方がコロナを怖がっている人が多いな、ということ。
これだから日本は対人口感染者数も死亡者数も、先進国の中で断トツに低く抑え好成績なのだ、と納得しました。「ファクターX 」とは、先天的っぽい要素大なのかと思っていましたが、むしろ真面目で従順な国民性や教育といった後天的な要素が大きいと、ほぼ確信するに至りました(個人差はありますが)。
ただ空気が重い、これも正直な感想です。連日の感染者数最多更新の報道で、朝から晩までどのチャンネルも「最多、最多」の連呼。人によっては本当に外出をせず、美容院・外食はこの一年行っていない、そもそも人と会うのを控えている、とおっしゃる方もいらっしゃいました。95%のワクチンの効果よりも5%のブレイク・スルー感染に注目するような人は確かにフランスでもいない訳ではありません。
繰り返し申し上げますが、海外から見ると、高齢化率・高人口密度の日本は先進国の中では非常に好成績です。にも かかわらず、政府や医療者を批判する論調が連日繰り返され、聞くに耐えない酷いものもありました。誰がやったとしても完璧なコロナ対策などどこの国もできていません。5点では満足できず、100点を目指すあまり、既存の素晴らしい石橋を叩いて、叩いて、叩き壊してしまわないかが心配になりました。
あっという間に1カ月は過ぎ、再びパリに戻る日となりました。タイミング悪く、なんでもEUが日本を「安全国リスト」から外したとかで、呑気な私も再入国できるのかしら?と、さすがに焦りましたが、羽田での搭乗手続き時に、EUワクチン・パスポートを提示し、シャルル・ド・ゴール空港では、完全にノー・コントロール。PCR検査・抗原検査も、自宅隔離の指示も何もなくすんなり入国。日本からの飛行機がガラガラだったお陰で、着陸30分後にはスーツ・ケースを持ってタクシーに乗っていました。
帰宅後、まず、あの致死量のバターが入ったクロワッサンが食べたい、とご近所のカフェへ。
人々の表情は明るく、元気、街は活気であふれ、何より屋外では誰もマスクをしていないのです。ただし、カフェに入る時に、ワクチン・パスポートのチェックはされましたが、後は自由。
失われた1年半を取り戻そうとするかのようにどの飲食店も人でいっぱい。
「ブレイク・スルー感染への不安も、ケ・セラ・セラ、なるようにしかならないわよ、冬までにまた考えましょ、今を生きましょうよ♪」 昨日までいた日本とのあまりの違いに戸惑う私に、パリがそう言っている ようでした。
※追記:9月15日より、ワクチン未接種の医療従事者は、職務停止(契約停止・給与無し)となりました。次回は、このお話を詳しくレポートさせて頂きます。
パリ郊外の国際総合病院American Hospital of Paris に医療通訳として勤務(1993-2004年)の後、日本医師会総合政策研究機構フランス駐在研究員として医療制度・政策ニュースの報告を担当。医療通訳、コンサルティング。活動の詳細は、HPにて。