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企画展:ヒロシマ医学史たどる 広島大 旧兵器庫の資料館で企画展 /広島

2022年05月05日 23時24分47秒 | 地域

企画展:ヒロシマ医学史たどる 広島大 旧兵器庫の資料館で企画展 /広島

2022年4月28日 (木)配信毎日新聞社
 

 兵器を貯蔵していた軍都の拠点施設が、どんな経緯で命を救う医療の現場になったのか。原爆の惨禍に遭う以前から受け継がれてきた医学の知見と経験とは――。広島大医学部医学資料館(南区)で開かれている企画展は、広島とヒロシマの医学史を貴重な資料からたどる。【宇城昇】

 霞キャンパスの赤レンガ2階建てが医学資料館だ。かつて兵器や弾薬の保管、修繕を担った陸軍兵器補給廠(しょう)の建物外観を復元した。

 爆心地の東約2・8キロ。建ち並んでいた兵器庫は倒壊を免れ、臨時救護所になった。戦後早い時期には県庁や国の出先機関が入居。1956年に県庁が現在地に移転した後、広島大のキャンパスになった。老朽化した建物群は順次解体され、最後に残った11号館の建材を利用して外観を復元し、99年に現在の医学資料館になった。

 企画展は4章構成で、最初の章は現場の変遷を紹介。被爆直後の米軍による航空撮影、直近の比治山から50年代に撮った敷地の全景、60年代のカラー写真などを展示する。

 他3章は、医学部の歩み、江戸時代にさかのぼる広島の医学史、被爆後の医療や研究活動について、文献や書物、医療器具などから解説する。

 医学資料館としては国立大学で最も早い78年開設。江戸時代の等身大骨格模型「身幹儀」(国重文)、杉田玄白らが翻訳した「解体新書」の初版本など希少品を多く所蔵する。企画展では初出の資料も並べた。仁保地区(南区)で代々医院を営んできた大橋家から寄贈された約2300冊もの資料の一部だ。明治時代の患者名簿「日々患者人名帳」、大正時代の薬種商との売買記録、昭和初期の医師会名簿。近代広島の地域医療の一端と社会情勢がうかがえる。

 戦後の資料では、竹原市・大久野島で毒ガス製造に従事した人々の健康調査に広島大第2内科が携わった記録や、学生運動が盛んだった当時の医学部の写真などが並ぶ。

 広島の医学史は原爆被害と被爆医療から切り離せない。医学部の前身である県立医学専門学校の開校式は、45年8月5日。その出発から原爆による苦難を強いられた。一方で藩政の頃から先人は大切に文献などを受け継いできた。企画展を担当した広島大原爆放射線医科学研究所の久保田明子・助教は「広島の郷土史の中で、医学や医療の歩みを捉えてみてほしい」と語る。

 入場無料だが事前予約制(082・257・5877)。5月13日まで。土日祝日休館。

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安佐市民病院で閉院式 42年間の業務、月末で終了

2022年05月05日 23時22分16秒 | 地域

安佐市民病院で閉院式 42年間の業務、月末で終了

 2022年4月28日 (木)配信中国新聞
 

 広島市立安佐市民病院(安佐北区可部南)で27日、閉院式があった。5月1日に約2キロ北西の広島市立北部医療センター安佐市民病院(同区亀山南)へ移転、開院するのに伴い、今月30日に42年間の業務を終える。南館は解体され、北館が回復期ケアを担う安佐医師会病院となる。

 式には医師や看護師たち約150人が出席した。あいさつした土手慶五病院長は、1980年5月に開院した病院の歴史を紹介し、「北館が住民の健康や安心を担保する場所となることを夢見て、南館に別れを告げたい」と述べた。

 出席した地元住民代表たちは「入院した際にお世話になった」「地震や豪雨災害の時も役割を果たした」などと思い出を振り返り、涙ぐむ人もいた。医療スタッフたちは南館のベランダなどに出て「ありがとう 安佐市民病院 1980~2022」のメッセージを掲げて、記念撮影をした。

 現病院の外来は27日に休止となり、新病院の外来は5月6日に受け入れを始める。移転作業に伴い、救急は4月30日午前8時から5月2日午前8時まで休止となる。1日午前8時から現病院の入院患者を新病院へ移送する。(重田広志

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山陰にAYA世代患者会 出雲・桑原さん設立 30日交流会 がん闘病 一人じゃない

2022年05月05日 23時00分47秒 | ガン

山陰にAYA世代患者会 出雲・桑原さん設立 30日交流会 がん闘病 一人じゃない

 2022年4月26日 (火)配信山陰中央新報
 

 山陰両県の「AYA世代」(15~39歳)のがん患者同士が交流する患者会が4月、新たにできた。治療が進学や就職、結婚など人生の節目と重なるAYA世代は悩みが特有で、孤立しがち。交流会などを通してネットワークを広げ、互いに支え合う。

 立ち上げたのは、島根県出雲市の会社員、桑原慎太郎さん(27)。2017年11月に脳腫瘍と診断され、手術や化学療法などのために約5カ月入院した。入院中、周囲は年の離れた患者ばかりで孤独を感じ、将来への不安も募った。

 だが、山陰両県には同世代で共有できる場がなく、桑原さんは19年に島根大医学部付属病院(出雲市塩冶町)のがん患者・家族サポートセンターとの共催で交流会を始めた。

 新型コロナウイルスの感染が広がってからはオンラインで開き、これまでに10~15人が参加。少しずつ輪が広がるのを実感する一方で「これまでは支援を受けている感じがあった。当事者だけでやってみたい」と思い立ったという。

 団体名は「AYAむすび 山陰若年性がん患者会」。桑原さんが代表を務め、肺がん治療中の島根県内の30代女性と活動する。対象は、39歳ぐらいまでにがんになった山陰両県在住の人。今月のオンライン交流会を皮切りに、コロナの感染状況を見て対面での交流会や勉強会を検討する。

 県によると、過去5年の期間内にがんと診断され、17年12月時点で生存しているAYA世代の患者は763人。まずは患者会の存在を知ってもらうため、交流サイト(SNS)で発信する。

 オンライン交流会は30日午後8時から、ビデオ会議アプリ「Zoom(ズーム)」で開く。参加応募は29日締め切り。桑原さんは「自分たちは一人じゃない。こういう会があることだけでも知って、心が楽になってもらえるとうれしい」と呼びかける。

 問い合わせは患者会、メールayamusubi8@gmail.com

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