昨日は上星川駅から三枚町まで歩きました。
途中聴いたのは1921年生まれのコッコネンの作品。
フィンランドの作曲家である彼の略歴は、
交響曲編で触れたので省略する。
チェロ協奏曲は1969年に作曲された作品で、
彼が残した唯一の協奏曲のようである。
今回聴いたCDの演奏はアルト・ノラスのチェロ、フリーマン指揮、
ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団によるものである。
第一楽章モデラート-アレグロは、短い序奏に続き、
チェロ独奏が入り、ゆったりした内面的な感じの音楽で始まる。
小太鼓のリズムから始まる軽快な部分がそのあと続き、
やや軍隊的な雰囲気を漂わせて音楽は進行する。
やがて管弦楽全体で大きな盛り上がりを迎えると、
そのあとチェロのカデンツァの部分となり、
心の叫びとも言えるような旋律を
高度な演奏技術を駆使しながら展開していく。
そのあとは一気にコーダとなり盛り上がって終わる。
第二楽章アレグレットは、軽快なスケルツォ的な楽章。
明るく舞踏的な音楽で、打楽器の軽快なリズムに乗り、
夢のときのように幻想的に終わる短い楽章である。
ショスタコーヴィチのスケルツォ楽章のように、
滑稽な感じであり、どこか風刺的な感じもする。
第三楽章アダージョ-カデンツァ-アレグロ・ヴィヴァーチェは、
冒頭のアダージョの部分がシリアスで沈鬱な感じであり、
チェロ中心に展開されていくが、
これは協奏曲を作曲している間に、
彼の母親が亡くなっていることが関係しているようだ。
失意とともに途方にくれる心の中が見える感じもするが、
彼のオルガン曲「哀悼の調べ」に基づく音楽は、
最後はその悲しみを乗り越え、平安な感じで終わり、
次のチェロによるカデンツァの部分に続く。
カデンツァもアダージョの部分を最初引き継ぎながら、
心の中の葛藤の世界を表現しているかのようにもみえる。
ここでは第二楽章の旋律なども引用されもする。
次第にテンポを速めていき、アレグロ・ヴィヴァーチェに続き、
軽快なテンポで進行していく管弦楽とともに、
チェロが絡み合いながら、最後盛り上がって終わる。
コッコネンのチェロ協奏曲、こうしてじっくり聴くと聴きやすく、
なかなかいい作品だなあとしみじみ感じるのであった。
途中聴いたのは1921年生まれのコッコネンの作品。
フィンランドの作曲家である彼の略歴は、
交響曲編で触れたので省略する。
チェロ協奏曲は1969年に作曲された作品で、
彼が残した唯一の協奏曲のようである。
今回聴いたCDの演奏はアルト・ノラスのチェロ、フリーマン指揮、
ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団によるものである。
第一楽章モデラート-アレグロは、短い序奏に続き、
チェロ独奏が入り、ゆったりした内面的な感じの音楽で始まる。
小太鼓のリズムから始まる軽快な部分がそのあと続き、
やや軍隊的な雰囲気を漂わせて音楽は進行する。
やがて管弦楽全体で大きな盛り上がりを迎えると、
そのあとチェロのカデンツァの部分となり、
心の叫びとも言えるような旋律を
高度な演奏技術を駆使しながら展開していく。
そのあとは一気にコーダとなり盛り上がって終わる。
第二楽章アレグレットは、軽快なスケルツォ的な楽章。
明るく舞踏的な音楽で、打楽器の軽快なリズムに乗り、
夢のときのように幻想的に終わる短い楽章である。
ショスタコーヴィチのスケルツォ楽章のように、
滑稽な感じであり、どこか風刺的な感じもする。
第三楽章アダージョ-カデンツァ-アレグロ・ヴィヴァーチェは、
冒頭のアダージョの部分がシリアスで沈鬱な感じであり、
チェロ中心に展開されていくが、
これは協奏曲を作曲している間に、
彼の母親が亡くなっていることが関係しているようだ。
失意とともに途方にくれる心の中が見える感じもするが、
彼のオルガン曲「哀悼の調べ」に基づく音楽は、
最後はその悲しみを乗り越え、平安な感じで終わり、
次のチェロによるカデンツァの部分に続く。
カデンツァもアダージョの部分を最初引き継ぎながら、
心の中の葛藤の世界を表現しているかのようにもみえる。
ここでは第二楽章の旋律なども引用されもする。
次第にテンポを速めていき、アレグロ・ヴィヴァーチェに続き、
軽快なテンポで進行していく管弦楽とともに、
チェロが絡み合いながら、最後盛り上がって終わる。
コッコネンのチェロ協奏曲、こうしてじっくり聴くと聴きやすく、
なかなかいい作品だなあとしみじみ感じるのであった。
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