木星の衛星っていくつあるの?
国立天文台のHPでは2002年10月31日時点で39と出ているが、
『ウィキペディア(Wikipedia)』では現在63もあるという。
地球の衛星は月1個だけなので、
こんなことに悩むことはない。
でも仮に木星の衛星が60近くあったとすれば、
その名前を付けるのは大変なことだろう。
国際天文学連合(IAU)が4月9日に、
今まで仮符号だけを持っていた木星の衛星1個に、
Koreという固有の名前がつけられたようだ。
だから何ということもあるし、
じゃあ誰が使うのかというのもあるが、
これだけあるとするのは大変だ。
今日は二俣川から上星川まで歩く。
途中聴いた交響曲はミヨーの交響曲第7,8,9番である。
フランス人の作った交響曲の多くは1曲程度が多い。
その中で考えると12曲も書いたミヨーは例外。
交響曲第7,8,9番は、フランス的な部分や、
室内楽的な要素をそれぞれが持ちながら、
とても現代的であり、それぞれは魅力的ではあるが、
自分の耳がそのレベルについていっていないと思う。
交響曲第1番や第2番はこれらよりはさらに聞き易い。
私としてはミヨーは「世界の創造」などの管弦楽曲が有名で、
それらに比べると交響曲はやや難解である。
一曲しか残さなかった交響曲を作った作曲家は、
フランスでは少なくないが、
10曲以上書いたのはミヨー以外にいない。
そのうちミヨーの交響曲にタイトルが付いたものは少なく、
第8番は「ローヌ川」という名称が付いているが、
他は第3番の「テ・デウム」、第11番の「ロマンティーク」
第12番の「田舎」ぐらいで(かってに自分で訳しました)、
3分の1くらいしかない。
交響曲を1曲しか書かなかったフランス人の作曲家と違い、
たくさんの交響曲を書いたミヨーが名付けた交響曲に比べ、
ちなみに木星の衛星に付けられた数は約3分の2。
よくまあ名称をつけるもんだねぇと感心するとともに、
なぜ付けなければいけないのという疑問もある。
人間って何、考えているのだろうと考えてしまうと、
老子・荘子の思想の世界に入ってしまいそうだからやめよっと。
国立天文台のHPでは2002年10月31日時点で39と出ているが、
『ウィキペディア(Wikipedia)』では現在63もあるという。
地球の衛星は月1個だけなので、
こんなことに悩むことはない。
でも仮に木星の衛星が60近くあったとすれば、
その名前を付けるのは大変なことだろう。
国際天文学連合(IAU)が4月9日に、
今まで仮符号だけを持っていた木星の衛星1個に、
Koreという固有の名前がつけられたようだ。
だから何ということもあるし、
じゃあ誰が使うのかというのもあるが、
これだけあるとするのは大変だ。
今日は二俣川から上星川まで歩く。
途中聴いた交響曲はミヨーの交響曲第7,8,9番である。
フランス人の作った交響曲の多くは1曲程度が多い。
その中で考えると12曲も書いたミヨーは例外。
交響曲第7,8,9番は、フランス的な部分や、
室内楽的な要素をそれぞれが持ちながら、
とても現代的であり、それぞれは魅力的ではあるが、
自分の耳がそのレベルについていっていないと思う。
交響曲第1番や第2番はこれらよりはさらに聞き易い。
私としてはミヨーは「世界の創造」などの管弦楽曲が有名で、
それらに比べると交響曲はやや難解である。
一曲しか残さなかった交響曲を作った作曲家は、
フランスでは少なくないが、
10曲以上書いたのはミヨー以外にいない。
そのうちミヨーの交響曲にタイトルが付いたものは少なく、
第8番は「ローヌ川」という名称が付いているが、
他は第3番の「テ・デウム」、第11番の「ロマンティーク」
第12番の「田舎」ぐらいで(かってに自分で訳しました)、
3分の1くらいしかない。
交響曲を1曲しか書かなかったフランス人の作曲家と違い、
たくさんの交響曲を書いたミヨーが名付けた交響曲に比べ、
ちなみに木星の衛星に付けられた数は約3分の2。
よくまあ名称をつけるもんだねぇと感心するとともに、
なぜ付けなければいけないのという疑問もある。
人間って何、考えているのだろうと考えてしまうと、
老子・荘子の思想の世界に入ってしまいそうだからやめよっと。
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