温泉クンの旅日記

温泉巡り好き、旅好き、堂社物詣好き、物見遊山好き、老舗酒場好き、食べ歩き好き、読書好き・・・ROMでけっこうご覧あれ!

藪塚温泉(1) 群馬・太田

2016-04-03 | 温泉エッセイ
  <三日月村の隠れ宿(1)>

 藪塚の交差点を過ぎてすぐの踏切で、遮断機が降りてきてしまったので東武桐生線の電車の通過を待った。
 さきほどから道沿いに「三日月村」という看板をちらほら見かけた。はて、なんだっけか。
 ・・・思いだしたぞ。木枯し紋次郎だ。たしかテーマの歌もヒットした・・・な。

「♪どぉこかでぇ~誰かがぁ~きっと待って、いてくれるぅ~」
つい口ずさんでしまう。
 上州新田郡三日月村(じょうしゅうにったごおりみかづきむら)といえば、その昔(1972年)に三十パーセント越えの高視聴率を記録した股旅物時代劇ドラマ「木枯し紋次郎」の生まれたとされた土地だ。



  『その長身の渡世人は、今年で三十になる。すでに十年も前から、竹をくわえているのであった。
  渡世人はたまに、竹をくわえた口で笛のような音を鳴らした。
   竹を口の左の端に寄せて、鋭くそして長く息を吐き出すのである。すると、甲高く微妙な音が鳴った。
  それも左の頬にある小さな傷跡が作用するらしく、その渡世人でなければ出せない音であった。
  音は、鋭く吹き抜ける冷たい風を連想させた。冬の夕暮れに吹く、凄味があってもの哀しい木枯らしの音に似ていた。
   その渡世人の流人証文には、『上州無宿、紋次郎』とある。それをもう少し詳しく言うならば、
  上州新田郡三日月村の生まれで、無宿渡世、三日月の紋次郎であった。しかし、別名もあった。
  渡世の世界ではもっぱら、木枯し紋次郎と呼ばれていた。その木枯しという俗称はもちろん、細い竹をくわえて吹き鳴らす音から来ているものだった。』


      笹沢佐保著「木枯し紋次郎一『赦免花は散った』」光文社文庫より



 紋次郎は「間引き損ない」として貧しい子ども時代を過ごし、十歳のときに家を捨てる。薄汚れた道中合羽にボロボロの大きな笠を被り、トレードマークの長い楊枝を咥えた渡世人である。正式な剣法など知らず、叩きつけたり、突き刺すなどリアルな殺陣が記憶に残る。

(三日月村ってここら辺だったんだ・・・)
 おっといけない、宿を通り過ぎるところだった。
 本日、あっしが草鞋を脱ぐ宿の「開祖 今井館」だ。



 いかにも歴史のありそうな名のとおり創業二百年の宿で当主は八代目だそうだ。
 部屋数が十室未満の小体な宿だから、団体客には向かずゆっくり温泉に入れそうなので選んだのだ。日帰り温泉もやっていないのも宿泊客にはありがたい。
 チェックインしたときに宿のひとに訊くと、三日月村はスネークセンターのそばにある、木枯し紋次郎と江戸をテーマにした観光スポットとのことだった。

 部屋で早着替えをすませると、まずは温泉に向かう。



 冷泉だから加温は間違いないが、源泉掛け流しといわれてもなるほどそうかなと信じてしまうくらい意外にいい温泉である。



 たっぷり、浸かって汗を流そう。なにしろ昼に食い過ぎて腹が苦しい。代謝をよくして身体を軽くしたい。


  ― 続く ―



  →「足利の老舗蕎麦」の記事はこちら

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 読んだ本 2016年3月 | トップ | 続・太田焼きそば »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

温泉エッセイ」カテゴリの最新記事