温泉クンの旅日記

温泉巡り好き、旅好き、堂社物詣好き、物見遊山好き、老舗酒場好き、食べ歩き好き、読書好き・・・ROMでけっこうご覧あれ!

京都・鞍馬、貴船神社(2)

2022-07-10 | 京都点描
  <京都・鞍馬、貴船神社(2)>

 奥宮への、杉並木の参道に入ると、路が平坦になって歩きやすくなりほっとする。

 

 神門を入ると、すぐ左手に「蓮理の杉」があった。途中でみた「相生杉」と同じく、こちらも御神木だ。

 

 

「連理」とは別々の木が重なって一つになるという意味で、夫婦・恋人の仲睦まじいことを意味し、この神木は杉と楓が和合したとても不思議なもので、貴船神社が持つ神秘的な力のせいかもしれない。大正十三年に貞明皇后が参拝された折、「大変珍しい木だから大切に」という御言葉を残されたそうだ、

 

 

 社伝によれば、五世紀の初め、神武天皇の母である「玉依姫命(たまよりひめのみこと)」が、黄色い船に乗って浪花(大坂)から、淀川、鴨川、貴船川をさかのぼってこの地に上陸し、祠に水の神様を祀ったことが貴船神社の始まりだとされている。

 

 

「貴船(きふね)」の名の由来は、姫が乗ってきたこの「黄船」からきているという説とか、大地の「気」が「生」まれる「根」源という意味が転じて「気生根(きふね)」と呼ばれたともいわれている。

「黄船」を隠すために小石を積み上げたとされているのが、本殿の西側にある「船形石(ふながたいわ)」である。

 

 積みあげられた小石だが、旅や航海安全のご利益として持ち帰る人もいるそうである。(しまった。持ち帰るんだったな)

 さてと、残るは三社詣で最後にお参りする場所、本宮と奥宮の中間に位置することから中宮(なかみや)とも呼ばれる結社(ゆいのやしろ)だけだ。
 厚底靴のカップルが手をつないで結社への階段を昇っていく。ひょっとしたらお参りの順番を知らないのかもしれない。

 山側の結社へと続く石段を上りきると、そこには木々に囲まれた小さな社がある。縁むすびのご利益として名高い結社は、平安時代から多くの人々の信仰を集めている。妹とともに嫁ぐことができなかったことを恥じた磐長(いわなが)姫が、縁結びの神様としてこの地に鎮座されたことが由来だそうだ。

 願い事を書いた結び文を結び処へ結べば、願いが叶うと伝えられている。女流歌人「和泉式部」もご利益にあずかるために貴船神社を詣で、夫婦円満を願った和泉式部の願いは叶えられたそうだ。
 階段からカップルが降りて来る気配は、ない。きっと「縁むすび」のミッションを遂行中なのだろう。
 あの奥社飛ばしの、早起き厚底カップルの二人の邪魔をしたくない。どうせ、こちらは天下御免の独り旅だし、結社飛ばしを決めた。

 

 貴船川の納涼床といえば、京都の夏の風物詩のひとつだ。
 よく間違えられるが、鴨川のほうの納涼床は「ゆか(床)」で、貴船や高雄にある床は「かわどこ」と呼ぶ。

 

 実際に涼しいのだが、流れ下る清流が涼しさをさらに演出する。
 貴船の川床は、設えた座敷から手を伸ばせば清流にとどくほど、流れる水面は近い。夏の炎天下でも平均気温二十三度と、極楽満点の居心地だそうだ。そして、鱧や鮎をメインとする高級会席料理の数々。
ただ値段は張る。

 

 

 それも、すこぶるだ。たとえランチくらいならでも、南禅寺門前の湯豆腐一通りの倍の、七千円は覚悟せねばならない。
 川床といえばァ会席(ハイハイハイ!)、会席といえばァ冷酒(ハイハイハイ!)、冷酒といえばァ呑み過ぎ(ハイハイハイ!)、呑み過ぎといえばァ泊まり(ハイハイハイ!)。

 

 でも、一泊する(ざっと独り五万円くらい払う)なら、わたしは問答無用で和倉温泉加賀屋を選ぶゾ。


   →「京都・鞍馬、貴船神社(1)」の記事はこちら

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 京都・鞍馬、貴船神社(1) | トップ | 京都、鯖街道口で鯖寿司を »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

京都点描」カテゴリの最新記事