温泉クンの旅日記

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続・湯野上温泉(1) 福島・南会津

2020-10-25 | 温泉エッセイ
  <一宿一飯の宿(1)>

「あ、あっちィーッ!」
 入浴前、大浴場の「大」の字が照れてしまうような簡素すぎる内湯の縁にしゃがみこみ、いつものように掛け湯の一杯目を足先に少しだけ掛けて、あまりの熱さに飛びあがってしまう。
 感じた湯温は50度くらいあるだろう。源泉掛け流し大好きの熱め好きだが、とてもこのままでは入れない。
 水道から伸びたホースを浴槽の中に沈め、蛇口を全開にした。

 

 掛け湯は、心臓に遠い場所から始めて徐々に心臓近くへ向かって行うのが肝要である。この温泉に入る前の掛け湯手順と、長距離運転で適度な車間距離(前方は絶対、後方もできるだけ)をキープする、この二つの習慣づけで何度か助けられたと実感する。まるきり湯気が上がっていなくても、温泉の温度が超高温だったということはよくあることなのだ。
 水で埋める時間を見積もって、脱衣所で浴衣を羽織ると、かなり離れた露天風呂に向かう。浴槽が外気に晒されている分、ここよりは低い湯温に違いない。

 

「清水屋旅館」には、五年前に髭を剃りたくて日帰りで利用したことがある。
 この旅館に、なんと連泊するのだ。大の温泉好きだが、温泉宿の連泊は極めて贅沢なことと思っているので滅多にしない。そらぁなんとも優雅でんなあ、などと厭味は必定だから。
 日帰りでここの温泉が良かったのはしっかり体験済み。自家源泉を所有していること、別府鉄輪なみとはいかないが近くに時間つぶしできる観光地もあるし、なにより宿泊料金が格別に安かったので思い切って決めたのである。

 

 

 湯野上温泉は奈良時代に発見された温泉で、怪我した猿が湯に浸かり傷を治したとされ「猿湯」とも呼ばれる。

 

 阿賀川(大川)の渓谷沿いの両側に八軒の旅館と十七軒の民宿が点在するというが、エレベーターなしで全12室の小体の宿のここが旅館といえるかどうかはわからない。
 宿の創業は明治23年(1890年)といわれるほど老舗旅館だが、途中で改築があったのだろう、一歩旅館に入るとどっぷりと「昭和レトロ」を感じさせてくれる。

 前に通った覚えがある廊下を進むと、突き当たりに露天風呂に通じるドアがあった。

 

(「卓球所」って、たしか卓球台ではなくビリヤード台だったような・・・)

 

 

 記憶通り、ミラーボールがぶら下がるホールにあるのはビリヤード台だった。この奥が露天風呂である。
 露天風呂だが、開業当時にはジャリ風呂や打たせ湯を含め七つの浴槽が、まるで老舗京料理店の幕ノ内弁当のようにズラリと並んでいたという。

 

 

 今日入れるのは浴槽三つだ。脱衣所を出てすぐの中央、観音様の足元に四、五人入れそうな長方形の浴槽、その左手に二、三人用の扇形の浴槽、手前奥に一人用の舟形浴槽があった。中央右手にある四角い浴槽は前回と違いお湯が張られていなかった。

 

 先に指先で温度をみると、長方形と扇形が内湯よりはすこしだけ低い。舟形は源泉温度そのままの55度という高温で、時間がかかりそう。ここは除外したほうがよさそうだ。

 

 扇形にホースで水を入れ、適温近くになったところでホースを抜き、長方形の浴槽のほうに沈める。
(やれやれ、やっと入れるわい)

 

 まだ44度か45度くらいはありそうだが、なんとかなりそうだ。もう待てない。
 扇形の浴槽の縁で掛け湯をして、「どこからでもかかってきなさい」的な温泉の、熱い湯にゆっくり身を沈めていく。鉄輪温泉は<荒馬>、ここはどちらかというと<じゃじゃ馬>の温泉だな。
温泉の源泉かけ流し・・・次々と繰り出される威力ある小気味いいパンチを、喜んで全身で受けとめる至福な時間だ。

 続いて、適温となった広めの長方形をゆっくり味わうと、仕上げに内湯へ向かう。ばっちり適温になっていることを確信して。


  ― 続く ―


  →「湯野上温泉」の記事はこちら
  →「別府鉄輪温泉連泊①」の記事はこちら
  →「別府鉄輪温泉連泊②」の記事はこちら
  →「別府鉄輪温泉連泊③」の記事はこちら
  →「別府鉄輪温泉連泊④」の記事はこちら
  →「別府鉄輪温泉連泊⑤」の記事はこちら



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