<熱海、伝説のハンバーガー>
わたしは滅多にハンバーガーを食べない。
だが、決して嫌いなわけではない。焼きたてパン屋のハンバーガーはたまにだが買う。
大手ハンバーガーチェーンがまだ日本に上陸するだいぶ前のころ、横浜の馬車道交差点の角に一軒の狭いカウンターだけのハンバーガーショップがあった。もちろん自家製のもので、当時の横浜にはハンバーガーを提供する喫茶店などが多かったのである。
馬車道の店はハンバーガーだけではなくホットドッグも売っていて、そのどちらもとても味が良かったので超人気店だった。ジュースも眼の前で絞ってくれるフレッシュなものであった。
わたしも月に一度くらいはその店でハンバーガーや、フットロングという名前のでかいホットドッグを食べていたのだ。
そのときのハンバーガーの美味しさが忘れられない。
熱海銀座のロマンス座通りに、懐かしいそのころの自家製のハンバーガーをいまも出してくれる店がある。
「ボンネット」・・・だ。
この名前は車関係からではなく、当時の洋画「イースターパレード」で、女性たちがかぶっていたつばの広い帽子からつけられたそうだ。
昭和レトロな音楽が静かに流れる店内に一歩入ると、なぜか気分が落ち着く。もちろん禁煙ではない。禁煙タイムを設定したり、昼時以外にも拡大する喫茶店が多いなか貴重である。
なにしろ昭和二十七年(1952年)の創業だから、もう六十年も熱海の盛衰をつぶさに見てきたわけになる。席に座ると、壁に貼られた紙に珈琲とハンバーガーのセットが七百円と書いてあったので、迷わず注文した。良心的な料金設定である。
置かれたガラスケースのなかに懐かしいトッポジージョをみつけて、ついつい頬が緩む。
店内の照明器具を含むすべての調度が、思い切り年季がはいって古いが、そのすべてがまた驚くほど清潔さが保たれている。きっと毎日掃除に時間をかけているのだろう。
サイフォンで丁寧に入れた珈琲は、テーブル席でカップに注いでくれる。
そして、お待ちかねの伝説のハンバーガーが運ばれてきた。
添えられたオニオンスライスが堪らなく嬉しい。
オニオンを挟み、パクリとひと口齧る。そうそう、これだ、これだよ。あのころのハンバーガーの味はオニオンがどこかしらぴりっと締めてくれて、こうだった。
開業前に米軍キャンプに出入りしていたマスターがハンバーガーに出逢って惚れ込み、日本人に合うようにアレンジしたという。
このボンネットだが、文豪三島由紀夫や谷崎純一郎が贔屓にしていただけでなく、大物シャンソン歌手や、ニューフジヤホテルが隆盛を極めていたころには夜のショーに出演する有名芸能人たちもよく訪れたそうである。
べつにこの店の過去の「有名客」の伝説のほうを知る必要はない。食べ慣れているいつもの大手チェーンの味から離れて、一度食べてみる価値はある伝説のハンバーガーである。
→「梅園とワンタンメン」の記事はこちら
→「熱海温泉」の記事はこちら
わたしは滅多にハンバーガーを食べない。
だが、決して嫌いなわけではない。焼きたてパン屋のハンバーガーはたまにだが買う。
大手ハンバーガーチェーンがまだ日本に上陸するだいぶ前のころ、横浜の馬車道交差点の角に一軒の狭いカウンターだけのハンバーガーショップがあった。もちろん自家製のもので、当時の横浜にはハンバーガーを提供する喫茶店などが多かったのである。
馬車道の店はハンバーガーだけではなくホットドッグも売っていて、そのどちらもとても味が良かったので超人気店だった。ジュースも眼の前で絞ってくれるフレッシュなものであった。
わたしも月に一度くらいはその店でハンバーガーや、フットロングという名前のでかいホットドッグを食べていたのだ。
そのときのハンバーガーの美味しさが忘れられない。
熱海銀座のロマンス座通りに、懐かしいそのころの自家製のハンバーガーをいまも出してくれる店がある。
「ボンネット」・・・だ。
この名前は車関係からではなく、当時の洋画「イースターパレード」で、女性たちがかぶっていたつばの広い帽子からつけられたそうだ。
昭和レトロな音楽が静かに流れる店内に一歩入ると、なぜか気分が落ち着く。もちろん禁煙ではない。禁煙タイムを設定したり、昼時以外にも拡大する喫茶店が多いなか貴重である。
なにしろ昭和二十七年(1952年)の創業だから、もう六十年も熱海の盛衰をつぶさに見てきたわけになる。席に座ると、壁に貼られた紙に珈琲とハンバーガーのセットが七百円と書いてあったので、迷わず注文した。良心的な料金設定である。
置かれたガラスケースのなかに懐かしいトッポジージョをみつけて、ついつい頬が緩む。
店内の照明器具を含むすべての調度が、思い切り年季がはいって古いが、そのすべてがまた驚くほど清潔さが保たれている。きっと毎日掃除に時間をかけているのだろう。
サイフォンで丁寧に入れた珈琲は、テーブル席でカップに注いでくれる。
そして、お待ちかねの伝説のハンバーガーが運ばれてきた。
添えられたオニオンスライスが堪らなく嬉しい。
オニオンを挟み、パクリとひと口齧る。そうそう、これだ、これだよ。あのころのハンバーガーの味はオニオンがどこかしらぴりっと締めてくれて、こうだった。
開業前に米軍キャンプに出入りしていたマスターがハンバーガーに出逢って惚れ込み、日本人に合うようにアレンジしたという。
このボンネットだが、文豪三島由紀夫や谷崎純一郎が贔屓にしていただけでなく、大物シャンソン歌手や、ニューフジヤホテルが隆盛を極めていたころには夜のショーに出演する有名芸能人たちもよく訪れたそうである。
べつにこの店の過去の「有名客」の伝説のほうを知る必要はない。食べ慣れているいつもの大手チェーンの味から離れて、一度食べてみる価値はある伝説のハンバーガーである。
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