<熊本、菊池温泉>
カウンターの中の女将が目を丸くして、「ええーっ! 菊池に市電で来たって、それ二、三十年くらい前に廃止になってますよ!」
そうか。もう、そんなになるのか・・・。それにしても、咄嗟の答えに十年も幅を持たせてくれたのは客への優しさだろうか。
出張で初めて熊本支店を訪れ、昼食をとりにたしか上通りだったかの繁華街を往復したときに菊池温泉行きの市電を何度かみかけた。よし行ってみるかと、役目を果たした帰京日の午後に市電に飛び乗ったのだった。
今日は本州からざっと七百キロ近くを踏破して、菊池温泉に到着した。B&Bでとにかく温泉だけは良さそうな安い宿を押さえてあった。菊池温泉の近くには山鹿温泉、玉名温泉、植木温泉、それに加えて人気抜群の平山温泉もある。
外回りの改装工事のため、「宝来館」旅館が養生のネットカーテンですっぽり覆われていてなかなか見つけられなかった。
チェックインが七名くらいのグループ客と同時だったので、部屋に案内されるや慌てて早着替えして、温泉に走った。長時間運転で固まりきったあちこちの筋肉を、一刻も早く湯でほぐしたかったのだ。
菊池温泉はアルカリ性単純温泉で、美肌効果があるところから「化粧の湯」と呼ばれる。源泉温度は四十五度とちょっと低いが、湯量は豊富なので、じゃんじゃんと掛け流しできる。
生まれたての熱い迸る湯でかなり元気をとり戻し、さて一杯飲むとするかと、温泉街の飲食店をぐるぐると物色してみつけた店だった。
「菊池温泉で思い出すのは、客室のはるか真下に露天風呂があって丸見えだったことぐらいかな」
ただし、男風呂だったけどね。と、おでんを頬張りながら急いでつけ加える。
生まれも育ちも茨城だという女将は、あらまあそれは残念ねと笑いながら言う。「それって、真ん前の観光ホテルですよ、きっと。あのころ、菊池で露天風呂があるとこ少なかったから」
そうか、この店の前にあるホテルとは縁があるわい。芋焼酎の水割りのお代りを頼みながら肝心の質問をした。「ところで、この辺から菊池渓谷って近いですよね」
「車でそう・・・二十分くらいですね」
えっ、記憶ではすぐ近くで、歩いていけたような気がしたが違うようだ。歩いたら坂もあるので四時間はかかりそうである。いまはないが、菊池からバスが出ていたそうなので、それに乗ったかタクシーを奮発したのかもしれない。
「あ、そうだ、良かったら何か一杯呑んでください。それと、持ち帰りでおにぎりを二個、ゆっくりでいいのでお願いします」
客が一向に入ってこないので、そろそろ汐時だ。気になる勘定は明朗であり、安すぎると思えるほどだった。
昨日から今朝にかけ、嬉しいことにいつも温泉独り占めである。
ロビースペースにあったセルフサービスの珈琲をいただく。
菊池温泉の開湯の歴史は昭和二十九年(1954年)と若く、男性の団体客中心の、歓楽街的な温泉地として栄えた。団体客から個人客への流れに乗り遅れて客数が伸び悩むなか、菊池はいま宿の女将たちが結束してイメージアップを図っているそうだ。
朝食を個室で食べていると、毛並みのきれいな、しなやかで細身な猫が入口からわたしを窺っているのに気づいた。得意の猫語を使って「いいコだね、こっちにおいで」と呼んでみたら、少しの躊躇があったがプイと背を向けていってしまった。
「あらぁ・・・珍しいわ。小春ちゃんは人見知りするので客前に出てくるようなことはしないんですよ」
入れ代りに入ってきた仲居さんが驚いた。訊けば三歳になるそうだ。きっと、わたしの衣服が家猫の海の匂いをほわんとまとっているせいだろう。
「車を止めるなら、公衆トイレがある第一駐車場が渓谷に一番近いですからね」
周辺の地図をもらい、女将さんと仲居さんの二人の美人に丁重に見送られて、一路菊池渓谷に向かった。
→「続・平山温泉(1)」の記事はこちら
→「続・平山温泉(2)」の記事はこちら
→「平山温泉」の記事はこちら
カウンターの中の女将が目を丸くして、「ええーっ! 菊池に市電で来たって、それ二、三十年くらい前に廃止になってますよ!」
そうか。もう、そんなになるのか・・・。それにしても、咄嗟の答えに十年も幅を持たせてくれたのは客への優しさだろうか。
出張で初めて熊本支店を訪れ、昼食をとりにたしか上通りだったかの繁華街を往復したときに菊池温泉行きの市電を何度かみかけた。よし行ってみるかと、役目を果たした帰京日の午後に市電に飛び乗ったのだった。
今日は本州からざっと七百キロ近くを踏破して、菊池温泉に到着した。B&Bでとにかく温泉だけは良さそうな安い宿を押さえてあった。菊池温泉の近くには山鹿温泉、玉名温泉、植木温泉、それに加えて人気抜群の平山温泉もある。
外回りの改装工事のため、「宝来館」旅館が養生のネットカーテンですっぽり覆われていてなかなか見つけられなかった。
チェックインが七名くらいのグループ客と同時だったので、部屋に案内されるや慌てて早着替えして、温泉に走った。長時間運転で固まりきったあちこちの筋肉を、一刻も早く湯でほぐしたかったのだ。
菊池温泉はアルカリ性単純温泉で、美肌効果があるところから「化粧の湯」と呼ばれる。源泉温度は四十五度とちょっと低いが、湯量は豊富なので、じゃんじゃんと掛け流しできる。
生まれたての熱い迸る湯でかなり元気をとり戻し、さて一杯飲むとするかと、温泉街の飲食店をぐるぐると物色してみつけた店だった。
「菊池温泉で思い出すのは、客室のはるか真下に露天風呂があって丸見えだったことぐらいかな」
ただし、男風呂だったけどね。と、おでんを頬張りながら急いでつけ加える。
生まれも育ちも茨城だという女将は、あらまあそれは残念ねと笑いながら言う。「それって、真ん前の観光ホテルですよ、きっと。あのころ、菊池で露天風呂があるとこ少なかったから」
そうか、この店の前にあるホテルとは縁があるわい。芋焼酎の水割りのお代りを頼みながら肝心の質問をした。「ところで、この辺から菊池渓谷って近いですよね」
「車でそう・・・二十分くらいですね」
えっ、記憶ではすぐ近くで、歩いていけたような気がしたが違うようだ。歩いたら坂もあるので四時間はかかりそうである。いまはないが、菊池からバスが出ていたそうなので、それに乗ったかタクシーを奮発したのかもしれない。
「あ、そうだ、良かったら何か一杯呑んでください。それと、持ち帰りでおにぎりを二個、ゆっくりでいいのでお願いします」
客が一向に入ってこないので、そろそろ汐時だ。気になる勘定は明朗であり、安すぎると思えるほどだった。
昨日から今朝にかけ、嬉しいことにいつも温泉独り占めである。
ロビースペースにあったセルフサービスの珈琲をいただく。
菊池温泉の開湯の歴史は昭和二十九年(1954年)と若く、男性の団体客中心の、歓楽街的な温泉地として栄えた。団体客から個人客への流れに乗り遅れて客数が伸び悩むなか、菊池はいま宿の女将たちが結束してイメージアップを図っているそうだ。
朝食を個室で食べていると、毛並みのきれいな、しなやかで細身な猫が入口からわたしを窺っているのに気づいた。得意の猫語を使って「いいコだね、こっちにおいで」と呼んでみたら、少しの躊躇があったがプイと背を向けていってしまった。
「あらぁ・・・珍しいわ。小春ちゃんは人見知りするので客前に出てくるようなことはしないんですよ」
入れ代りに入ってきた仲居さんが驚いた。訊けば三歳になるそうだ。きっと、わたしの衣服が家猫の海の匂いをほわんとまとっているせいだろう。
「車を止めるなら、公衆トイレがある第一駐車場が渓谷に一番近いですからね」
周辺の地図をもらい、女将さんと仲居さんの二人の美人に丁重に見送られて、一路菊池渓谷に向かった。
→「続・平山温泉(1)」の記事はこちら
→「続・平山温泉(2)」の記事はこちら
→「平山温泉」の記事はこちら
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