<読んだ本 2017年7月>
「おっ、小肌(コハダ)があるぞ」
初めて入った店でメニューをみると迷わず注文した。
夏場はとにかく鯵などの光ものが断然旨くなる。出世魚であるコノシロだが、コハダとよばれるくらいの若い時が、一番価値があり、夏場が旬である。「寿司はコハダに始まり、コハダで終わる」とまで言われる。江戸前鮨職人に愛される安くて美味しいこのネタは酢と塩で旨みを引きだすのだが手間と時間がかかるのだ。
小肌を食べ終わると、次にメニューで目を付けていたハゼの天ぷらを頼む。
サクサクとした噛みごたえで淡白だが懐かしい味である。
梅雨明けあたりの晴れた日の朝早く、自転車に釣り竿をくくりつけて丘を越える。三キロ先の八幡橋近く、根岸湾に注ぐ大岡川の分流の人工河川「掘割川」でよくハゼを釣った。わたしが子どものころは、釣りは趣味ではない、ミッションだった。ハゼ、キス、アイナメ、カレイなど、すこしでも夕飯のおかずになりそうなものをと意を決して釣るのである。
春に生まれたハゼだが七、八月になると天ぷらで食べられるくらいに成長する。なんにでも飛びつく人をダボハゼというが、釣りの入門編には最適の魚なのだ。
さて、7月に読んだ本ですが今月はたったの4冊、年間累計で51冊でした。
1. ○旅立ノ朝 居眠り磐音 江戸双紙五十一 佐伯泰英 双葉文庫
2. ○アヒルと鴨のコインロッカー 伊坂幸太郎 創元推理文庫
3.◎今朝の秋・春までの祭り 山田太一 大和書房
4. ○獅子吼 浅田次郎 文芸春秋
ジツは恥ずかしながら、なにをトチ狂ったのか詩集を読んでいて冊数がはかどらなかったのだ。詩は筋がないので薄い本でもスラスラ読めないからだ。
山田太一の「今朝の秋・春までの祭り」は表題の二篇を含む五篇の脚本集である。
合羽橋商店街で食品サンプル店を営む諸星家では不思議なことがおこる。
亡くなった祖父の春吉に逢いたいと思った、まずは連れ合いの妙を始めとして、それぞれの家族の前に春吉が忽然と現れてくれるのだ。そうして春吉と話した家族はみな遠い昔を懐かしむようになってしまう。
嫁にはいった加奈の前にも現れてくれる。
加奈「(略)子どものころあったものが、どんどんなくなって行くでしょう。ポストだってそうだわ。わたしたちの
小さな頃には、帽子をかぶったようなこういうポストだったのに、今はみんな四角いこういうのになっているでしょう。
それのほうが便利だとか安いとか、いろんなことがあるんでしょうけど、思い出の中のものが、怖いくらい
どんどんなくなって行くの。電車はどうですか? ちょっと乗らないと、全然違うデザインの電車が走っているわ。
車もそう。車も形が変わるでしょう。街中、どんどん変わって、きっとその分、便利になったり綺麗になったり
してるんでしょうけど、思い出がどんどんなくなって行くの。ああ、あの時ああいうことがあった場所もなくなっちゃったな。
ビルがたっちゃったな。あの店もなくなっちゃったな。このお店だって、十年もたてば驚くほど変わっているんだろうなって。
なにを見ても、変わらないものがないの。人が見れば、どうということない路地だって、ここで泣いた思い出がある人には、
なつかしい場所だわ。(略)」
赤い帽子のポスト・・・懐かしい。わたしも古い温泉地を巡っているので何度かお目にかかった。たとえば別府の竹瓦温泉とか山形の肘折温泉とかがすぐ浮かぶ。
加奈「(略)少し不便でも古くさくても、変わらないものが欲しいわ。なんでもかんでも音をたてて変わって行って、
それについて行くだけで、せい一杯の暮らしいやだわ」
― <なつかしい春が来た>より ―
スマホなどいらぬガラケーで充分、というわたしは諸手をあげて加奈に賛成だ。
→「読んだ本 2017年6月」の記事はこちら
→「別府八湯 [2]別府温泉(竹瓦温泉)」の記事はこちら
「おっ、小肌(コハダ)があるぞ」
初めて入った店でメニューをみると迷わず注文した。
夏場はとにかく鯵などの光ものが断然旨くなる。出世魚であるコノシロだが、コハダとよばれるくらいの若い時が、一番価値があり、夏場が旬である。「寿司はコハダに始まり、コハダで終わる」とまで言われる。江戸前鮨職人に愛される安くて美味しいこのネタは酢と塩で旨みを引きだすのだが手間と時間がかかるのだ。
小肌を食べ終わると、次にメニューで目を付けていたハゼの天ぷらを頼む。
サクサクとした噛みごたえで淡白だが懐かしい味である。
梅雨明けあたりの晴れた日の朝早く、自転車に釣り竿をくくりつけて丘を越える。三キロ先の八幡橋近く、根岸湾に注ぐ大岡川の分流の人工河川「掘割川」でよくハゼを釣った。わたしが子どものころは、釣りは趣味ではない、ミッションだった。ハゼ、キス、アイナメ、カレイなど、すこしでも夕飯のおかずになりそうなものをと意を決して釣るのである。
春に生まれたハゼだが七、八月になると天ぷらで食べられるくらいに成長する。なんにでも飛びつく人をダボハゼというが、釣りの入門編には最適の魚なのだ。
さて、7月に読んだ本ですが今月はたったの4冊、年間累計で51冊でした。
1. ○旅立ノ朝 居眠り磐音 江戸双紙五十一 佐伯泰英 双葉文庫
2. ○アヒルと鴨のコインロッカー 伊坂幸太郎 創元推理文庫
3.◎今朝の秋・春までの祭り 山田太一 大和書房
4. ○獅子吼 浅田次郎 文芸春秋
ジツは恥ずかしながら、なにをトチ狂ったのか詩集を読んでいて冊数がはかどらなかったのだ。詩は筋がないので薄い本でもスラスラ読めないからだ。
山田太一の「今朝の秋・春までの祭り」は表題の二篇を含む五篇の脚本集である。
合羽橋商店街で食品サンプル店を営む諸星家では不思議なことがおこる。
亡くなった祖父の春吉に逢いたいと思った、まずは連れ合いの妙を始めとして、それぞれの家族の前に春吉が忽然と現れてくれるのだ。そうして春吉と話した家族はみな遠い昔を懐かしむようになってしまう。
嫁にはいった加奈の前にも現れてくれる。
加奈「(略)子どものころあったものが、どんどんなくなって行くでしょう。ポストだってそうだわ。わたしたちの
小さな頃には、帽子をかぶったようなこういうポストだったのに、今はみんな四角いこういうのになっているでしょう。
それのほうが便利だとか安いとか、いろんなことがあるんでしょうけど、思い出の中のものが、怖いくらい
どんどんなくなって行くの。電車はどうですか? ちょっと乗らないと、全然違うデザインの電車が走っているわ。
車もそう。車も形が変わるでしょう。街中、どんどん変わって、きっとその分、便利になったり綺麗になったり
してるんでしょうけど、思い出がどんどんなくなって行くの。ああ、あの時ああいうことがあった場所もなくなっちゃったな。
ビルがたっちゃったな。あの店もなくなっちゃったな。このお店だって、十年もたてば驚くほど変わっているんだろうなって。
なにを見ても、変わらないものがないの。人が見れば、どうということない路地だって、ここで泣いた思い出がある人には、
なつかしい場所だわ。(略)」
赤い帽子のポスト・・・懐かしい。わたしも古い温泉地を巡っているので何度かお目にかかった。たとえば別府の竹瓦温泉とか山形の肘折温泉とかがすぐ浮かぶ。
加奈「(略)少し不便でも古くさくても、変わらないものが欲しいわ。なんでもかんでも音をたてて変わって行って、
それについて行くだけで、せい一杯の暮らしいやだわ」
― <なつかしい春が来た>より ―
スマホなどいらぬガラケーで充分、というわたしは諸手をあげて加奈に賛成だ。
→「読んだ本 2017年6月」の記事はこちら
→「別府八湯 [2]別府温泉(竹瓦温泉)」の記事はこちら
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