<安兵衛の國稀>
すすきのといえば、「かすそばと國稀(くにまれ)」をセットで思いだすのだが、國稀ではこんな一夜もあった。
あれは、野沢温泉に向かう前の晩だった。
夕暮れをむかえた新潟の盛り場である古町をぶらぶら歩いて、裏通りで店構えにどこか良心的なものを感じてその店に飛び込んだ。
あとで知るのだが、店名「安兵衛」の由来は、新潟新発田生まれの四十七士で有名な「堀部安兵衛」である。のれんの書は、同名の小説を書いたわたしも大好きなあの池波正太郎だそうだ。やはり縁はあるもの、と強く思う。
入り口近くのカウンター席に押しこめられるとおもっていたら、奥の広い四人掛けテーブルに案内される。それもそのはず、この店の客席は数百三十席あまりと大箱の店なのである。
とりあえず芋焼酎の水割りを頼み、メニューを仔細に検討する。日本酒の品揃えが豊富で昨日までいた土地でつくっている麒麟山もみつけたのである。
わたしの斜め前の卓に、品のいい老人がひとりで呑んでいた。
卓の上に書類みたいなものを広げ、熱燗を呑みながらペンをすらすら走らせている。連載の締切りが迫った作家だろうか。
顔をあげると、厨房に向かって怒鳴った。「おい、マスター! お銚子もう一本だ」。
「先生、もう今日はそれくらいにしておいたほうが・・・」
厨房のほうから出てきた笑顔のマスターがやんわりと薦めた。
「いいから、もう一本持ってこい」
しかたなく厨房に戻るマスターの背中に、まだわしは酔っておらんぞ、とぶつぶつ呟きながら書きものにもどった。
「わあっ、だいじょうぶですか」
南蛮エビをつまみながら新たに頼んだ麒麟山の冷酒をちびりちびりと呑んでいると、覚束ない足どりでトイレから戻る途中で、先生がよろけてわたしの卓に手をついた。
それがきっかけで、先生が徳利と猪口を持ってわたしのテーブルに移ってきた。迷惑をかけたからと二合徳利をわたしのために注文してくれ、饒舌に自分のことを語りはじめた。
東京には年に何度か行く。その際には銀座鳩居堂にいって葉書を大量に購入する。そうだアナタにも何枚か差しあげよう、ハイ五枚でいいかな。いま、友人知人たちに葉書を使って書いていた。妻は数年前に亡くなった。実によくできた美しい妻だった。あ、そうだ名刺をあげておこう。離れて住んでいる娘が明日、孫を連れて新潟に帰ってくる(微笑)。孫の年は・・・。
わたしは間を見計らって頷き相槌を打ちながら、さらに追加してくれた二合徳利から黙って酒を呑んで拝聴していた。いつどんなときだって先達の話は傾聴に値するのだ。
「先生! はい、それまで。送りますから帰りましょう!」
ろれつがいよいよ怪しくなってきたあたりで、マスターが強引に抱えるように外に連れ出した。大通まで出てタクシーに載せるようである。
メニューのなかに、懐かしい、日本最北の酒造である北海道の「國稀」を発見して狂喜して注文する。
(小川流煎茶道の先生だったんだ。それならお茶の話を訊きたかったなあ・・・)
名刺を手に國稀を呑みながら思う。
「ご迷惑をおかけいたしましたね。昔は酒が強くて乱れたことのない先生だったんですけど奥さまを亡くしてから、ちょっとね。一杯ご馳走しますよ。いま何を呑まれてんです? 國稀とはシブいですね」
そこから、マスターと國稀の話で暫し盛りあがってしまう。
「これは非売品の國稀の原酒『蔵ばしり』ってやつなんですが、どうぞ呑んでください。どうか遠慮なさらず・・・」
この夜、覚えているのはここまでであった。
マスターからも名刺をもらったようでポケットに入っていたが、これも記憶がない。きっと、まるで遠慮せずに呑んだのだろう。鞄を確認したら、國稀の一合枡もいただいたようで恐縮至極である。
翌朝、財布のなかをみて勘定(安い)はちゃんとしたようで安心したのだが、ホテルへ帰る途中でラーメンを食べた記憶もまったくないのである。(画像があるので食べたのは間違いないようだが・・・)
→「新潟、特上寿しとイタリアン(1)」の記事はこちら
→「新潟、特上寿しとイタリアン(2)」の記事はこちら
→「野沢温泉(1)」の記事はこちら
→「野沢温泉(2)」の記事はこちら
→「冷酒でドカン」の記事はこちら
すすきのといえば、「かすそばと國稀(くにまれ)」をセットで思いだすのだが、國稀ではこんな一夜もあった。
あれは、野沢温泉に向かう前の晩だった。
夕暮れをむかえた新潟の盛り場である古町をぶらぶら歩いて、裏通りで店構えにどこか良心的なものを感じてその店に飛び込んだ。
あとで知るのだが、店名「安兵衛」の由来は、新潟新発田生まれの四十七士で有名な「堀部安兵衛」である。のれんの書は、同名の小説を書いたわたしも大好きなあの池波正太郎だそうだ。やはり縁はあるもの、と強く思う。
入り口近くのカウンター席に押しこめられるとおもっていたら、奥の広い四人掛けテーブルに案内される。それもそのはず、この店の客席は数百三十席あまりと大箱の店なのである。
とりあえず芋焼酎の水割りを頼み、メニューを仔細に検討する。日本酒の品揃えが豊富で昨日までいた土地でつくっている麒麟山もみつけたのである。
わたしの斜め前の卓に、品のいい老人がひとりで呑んでいた。
卓の上に書類みたいなものを広げ、熱燗を呑みながらペンをすらすら走らせている。連載の締切りが迫った作家だろうか。
顔をあげると、厨房に向かって怒鳴った。「おい、マスター! お銚子もう一本だ」。
「先生、もう今日はそれくらいにしておいたほうが・・・」
厨房のほうから出てきた笑顔のマスターがやんわりと薦めた。
「いいから、もう一本持ってこい」
しかたなく厨房に戻るマスターの背中に、まだわしは酔っておらんぞ、とぶつぶつ呟きながら書きものにもどった。
「わあっ、だいじょうぶですか」
南蛮エビをつまみながら新たに頼んだ麒麟山の冷酒をちびりちびりと呑んでいると、覚束ない足どりでトイレから戻る途中で、先生がよろけてわたしの卓に手をついた。
それがきっかけで、先生が徳利と猪口を持ってわたしのテーブルに移ってきた。迷惑をかけたからと二合徳利をわたしのために注文してくれ、饒舌に自分のことを語りはじめた。
東京には年に何度か行く。その際には銀座鳩居堂にいって葉書を大量に購入する。そうだアナタにも何枚か差しあげよう、ハイ五枚でいいかな。いま、友人知人たちに葉書を使って書いていた。妻は数年前に亡くなった。実によくできた美しい妻だった。あ、そうだ名刺をあげておこう。離れて住んでいる娘が明日、孫を連れて新潟に帰ってくる(微笑)。孫の年は・・・。
わたしは間を見計らって頷き相槌を打ちながら、さらに追加してくれた二合徳利から黙って酒を呑んで拝聴していた。いつどんなときだって先達の話は傾聴に値するのだ。
「先生! はい、それまで。送りますから帰りましょう!」
ろれつがいよいよ怪しくなってきたあたりで、マスターが強引に抱えるように外に連れ出した。大通まで出てタクシーに載せるようである。
メニューのなかに、懐かしい、日本最北の酒造である北海道の「國稀」を発見して狂喜して注文する。
(小川流煎茶道の先生だったんだ。それならお茶の話を訊きたかったなあ・・・)
名刺を手に國稀を呑みながら思う。
「ご迷惑をおかけいたしましたね。昔は酒が強くて乱れたことのない先生だったんですけど奥さまを亡くしてから、ちょっとね。一杯ご馳走しますよ。いま何を呑まれてんです? 國稀とはシブいですね」
そこから、マスターと國稀の話で暫し盛りあがってしまう。
「これは非売品の國稀の原酒『蔵ばしり』ってやつなんですが、どうぞ呑んでください。どうか遠慮なさらず・・・」
この夜、覚えているのはここまでであった。
マスターからも名刺をもらったようでポケットに入っていたが、これも記憶がない。きっと、まるで遠慮せずに呑んだのだろう。鞄を確認したら、國稀の一合枡もいただいたようで恐縮至極である。
翌朝、財布のなかをみて勘定(安い)はちゃんとしたようで安心したのだが、ホテルへ帰る途中でラーメンを食べた記憶もまったくないのである。(画像があるので食べたのは間違いないようだが・・・)
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