<東本願寺別邸、渉成園(3)>
渉成園の敷地は綺麗な正方形に近く、一辺が100間(約189メートル)だったので、俗に「百間屋敷」とも言われていた。
東本願寺の飛地境内に渉成園が造られたきっかけについては、こんなエピソードがある。
秀吉が残した西本願寺には立派な庭園(飛雲閣庭園や虎渓の庭)があったのにも関わらず、東本願寺にはなかった。
これでは徳川家の面子(メンツ)がつぶれてしまう。
負けず嫌いの徳川家(?)としては秀吉の造った西本願寺の庭園に負けじと、東本願寺に庭を造ることになったという。
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石川丈山が趣向を凝らして作庭したという「丹楓渓(たんぷうけい)と印月池の間を進み、向岸の縮遠亭のある北大島に渡る木造橋「回棹廊(かいとうろう)」に辿りつく。
紅葉の季節に丹楓渓を再訪してみたいものだ。
廊橋は桧皮葺切妻造唐破風屋根に、左右に低い高欄付した橋で、中央を一段高く、少し東西に張り出して床を設け、かつ棟を直交させる唐破風屋根を架けている。
安政の大火(1858年)で焼失する以前は、朱塗りの欄干を持つ反り橋だったと伝えられている。中央の唐破風屋根の天井には掛け釘が設けられ、かつては、来客があったときには金灯籠を吊って火を灯したという。
北大島の茶室「縮遠亭」は残念ながら工事中で、立ち入ることはできなかった。
眺望の一角に京都タワーが見える。
京都駅界隈の喧騒に近いのに、ここの静寂はまるで“別天地”である。と、侵雪橋を渡りながらつくづく思う。
庭園面積が約1万6千坪の、6分の1を占める大きな印月池。
春は桜、夏になると睡蓮、秋には真っ赤に染まった紅葉を、四季折々楽しむことができる。
渉成園は「池泉回遊式庭園」であるが、園路を歩く代わりに広い池を舟で回遊しながら移り変わる景色を楽しむ「池泉舟遊式庭園」でもあるのだ。
園内には、江戸時代の歴史家「頼山陽」によって「渉成園十三景」と名付けられた美しい建物や風景が存在するのである。
もしも、帰りの新幹線の待ち時間をやり繰り工夫できたら、京都旅の締めに京都駅近くのこの“別天地”を訪れたらよろしいかと。
なに、1時間ちょっとあったら充分である。そうだ! 京都駅で途中下車して、立ち寄り温泉ならぬ立ち寄り庭園というテもあるな・・・。
→「東本願寺別邸、渉成園(1)」の記事はこちら
→「東本願寺別邸、渉成園(2)」の記事はこちら
渉成園の敷地は綺麗な正方形に近く、一辺が100間(約189メートル)だったので、俗に「百間屋敷」とも言われていた。
東本願寺の飛地境内に渉成園が造られたきっかけについては、こんなエピソードがある。
秀吉が残した西本願寺には立派な庭園(飛雲閣庭園や虎渓の庭)があったのにも関わらず、東本願寺にはなかった。
これでは徳川家の面子(メンツ)がつぶれてしまう。
負けず嫌いの徳川家(?)としては秀吉の造った西本願寺の庭園に負けじと、東本願寺に庭を造ることになったという。
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石川丈山が趣向を凝らして作庭したという「丹楓渓(たんぷうけい)と印月池の間を進み、向岸の縮遠亭のある北大島に渡る木造橋「回棹廊(かいとうろう)」に辿りつく。
紅葉の季節に丹楓渓を再訪してみたいものだ。
廊橋は桧皮葺切妻造唐破風屋根に、左右に低い高欄付した橋で、中央を一段高く、少し東西に張り出して床を設け、かつ棟を直交させる唐破風屋根を架けている。
安政の大火(1858年)で焼失する以前は、朱塗りの欄干を持つ反り橋だったと伝えられている。中央の唐破風屋根の天井には掛け釘が設けられ、かつては、来客があったときには金灯籠を吊って火を灯したという。
北大島の茶室「縮遠亭」は残念ながら工事中で、立ち入ることはできなかった。
眺望の一角に京都タワーが見える。
京都駅界隈の喧騒に近いのに、ここの静寂はまるで“別天地”である。と、侵雪橋を渡りながらつくづく思う。
庭園面積が約1万6千坪の、6分の1を占める大きな印月池。
春は桜、夏になると睡蓮、秋には真っ赤に染まった紅葉を、四季折々楽しむことができる。
渉成園は「池泉回遊式庭園」であるが、園路を歩く代わりに広い池を舟で回遊しながら移り変わる景色を楽しむ「池泉舟遊式庭園」でもあるのだ。
園内には、江戸時代の歴史家「頼山陽」によって「渉成園十三景」と名付けられた美しい建物や風景が存在するのである。
もしも、帰りの新幹線の待ち時間をやり繰り工夫できたら、京都旅の締めに京都駅近くのこの“別天地”を訪れたらよろしいかと。
なに、1時間ちょっとあったら充分である。そうだ! 京都駅で途中下車して、立ち寄り温泉ならぬ立ち寄り庭園というテもあるな・・・。
→「東本願寺別邸、渉成園(1)」の記事はこちら
→「東本願寺別邸、渉成園(2)」の記事はこちら
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