<おやひこさまの湯(1)>
夏場の手前くらいから厭なことが続き、運気の一時的な衰えをちょくちょく感じたので、この辺でパワースポットを訪ねて大地の力(気)をもらいたくなった。
万葉の昔より「おやひこさま」の愛称で人びとに親しまれ、篤く信仰され続けてきた「弥彦神社」は新潟随一のパワースポットである。たしか前回に来たのは寺泊に行ったときだったか・・・。
弥彦神社のシンボル、大鳥居は上越新幹線開通を記念して昭和五十七年に建てられた。高さは三十メートル、掛けられた額の大きさは畳十二枚もあるのだ。
一の鳥居を抜け、樹齢四、五百年の杉や欅の杜の参道を歩く。
天照大神の曾孫にあたる「天香山命(あめのかごやまのみこと)」を御祭神とする弥彦神社は、正式には「彌彦(いやひこ)神社」だが、地名などを「弥彦(やひこ)」と読むことから現在では簡字のほうの「弥彦神社」が一般的に使われている。
突きあたりを左に折れて、手水舎で手を清めると、二の鳥居を抜けて真っ直ぐ進む。
石段を昇り、狛犬が左右を守る随神門を抜けて拝殿に向かう。
来年、遷座百年を迎えるせいもあるのか参拝客がとても多い。四度ほど訪れているのだが、一番多かった。
明治四十五年(1912年)、大火で一度その殆どを焼失して、その後大正五年(1916年)に現在の社殿が再建され、数えで百年を迎えたのである。
戻る途中で、混みあう参道から離れた絵馬殿側に向かう静かな道をとることにした。前から気になっていた橋があったのだ。
杜のなかの小路はいかにも神気が満ちている。
(ここらを左に曲ればたぶんいいだろう・・・)
境内を流れる御手洗川にかかる「玉の橋」である。
別名「御神橋(ごしんきょう)」と呼ばれ、神様の渡る神聖な橋として造られ、人は決して渡ることはできないという。
― 続く ―
→「魚のアメ横-寺泊」の記事はこちら
→「長岡で回転寿司(1)」の記事はこちら
→「長岡で回転寿司(2)」の記事はこちら
→「三条で、カレーラーメンとチーズケーキ」の記事はこちら
夏場の手前くらいから厭なことが続き、運気の一時的な衰えをちょくちょく感じたので、この辺でパワースポットを訪ねて大地の力(気)をもらいたくなった。
万葉の昔より「おやひこさま」の愛称で人びとに親しまれ、篤く信仰され続けてきた「弥彦神社」は新潟随一のパワースポットである。たしか前回に来たのは寺泊に行ったときだったか・・・。
弥彦神社のシンボル、大鳥居は上越新幹線開通を記念して昭和五十七年に建てられた。高さは三十メートル、掛けられた額の大きさは畳十二枚もあるのだ。
一の鳥居を抜け、樹齢四、五百年の杉や欅の杜の参道を歩く。
天照大神の曾孫にあたる「天香山命(あめのかごやまのみこと)」を御祭神とする弥彦神社は、正式には「彌彦(いやひこ)神社」だが、地名などを「弥彦(やひこ)」と読むことから現在では簡字のほうの「弥彦神社」が一般的に使われている。
突きあたりを左に折れて、手水舎で手を清めると、二の鳥居を抜けて真っ直ぐ進む。
石段を昇り、狛犬が左右を守る随神門を抜けて拝殿に向かう。
来年、遷座百年を迎えるせいもあるのか参拝客がとても多い。四度ほど訪れているのだが、一番多かった。
明治四十五年(1912年)、大火で一度その殆どを焼失して、その後大正五年(1916年)に現在の社殿が再建され、数えで百年を迎えたのである。
戻る途中で、混みあう参道から離れた絵馬殿側に向かう静かな道をとることにした。前から気になっていた橋があったのだ。
杜のなかの小路はいかにも神気が満ちている。
(ここらを左に曲ればたぶんいいだろう・・・)
境内を流れる御手洗川にかかる「玉の橋」である。
別名「御神橋(ごしんきょう)」と呼ばれ、神様の渡る神聖な橋として造られ、人は決して渡ることはできないという。
― 続く ―
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