温泉クンの旅日記

温泉巡り好き、旅好き、堂社物詣好き、物見遊山好き、老舗酒場好き、食べ歩き好き、読書好き・・・ROMでけっこうご覧あれ!

芝界隈をぶらり

2014-11-12 | ぶらり・フォト・エッセイ
  <芝界隈をぶらり>

 江戸の裏鬼門の芝にある浄土宗大本山「三縁山増上寺」である。


 
 江戸城の拡張に伴い麹町から慶長三年(1598年)に現在の芝に移転して、江戸時代には徳川家の菩提寺として隆盛を極めた。徳川家十五代のうち二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十三代家慶、十四代家茂の六人の将軍の墓所が設けられている。



(うーん、たしかにこの本堂あたりは映画でみたなあ・・・)



 昨年の秋に公開されたハリウッド映画「ウルヴァリン:SAMURAI」の葬式のシーンで舞台として使われたのが記憶に新しい。

 増上寺の大門あたりにある「芝神明」に、ずっと来てみたいと思っていた。



 時代小説を読んでいると、とにかく良くでてくるので気になっていたのである。あの鬼平にも登場している。

  『平蔵と治兵衛が芝の神明宮へ着いたとき、四ツ半(午前十一時)をまわっていたろう。
  「先ず、腹ごしらえをしておこうではねえか」
   と、平蔵がさそい、二人は、神明宮の門前にある小玉屋という蕎麦屋へ入った。
   俗に「芝の神明宮」とよばれる飯倉神明宮は、徳川将軍家の菩提所・増上寺の大門の外にあって、
  門前町の賑わいも、また格別のものがある。
   境内もひろく、拝殿・本社を中心にして諸堂宇がたちならび、これを囲むように葭簀張りか小屋掛けの、
  土弓・吹矢・見世物小屋・茶店があり、雨や雪が降らぬかぎり、日中の人出は絶えたことがない。
   腹ごしらえをすまして小玉屋を出た二人は、神明宮の拝殿にぬかずいたのち、ぶらぶらと
  境内をまわりはじめた。
   すでに夏の暑熱は去った。
   微風が、江戸湾の汐の香りを、このあたりまで運んでくる。』


      池波正太郎著 鬼平犯科帳 二十巻「寺尾の治兵衛」より


(なんだ、これは・・・)



 あまりの普通ぶり、雰囲気の無さに、少なからずがっかりして肩が落ちてしまった。愛宕権現がなかなかに往時を思わせる雰囲気があっただけに期待しすぎてしまったようだ。同じ山手線内の湯島天神や神田明神もそれなりに往時の名残みたいなものがあった。
 近世の度重なる大火、関東大震災、東京大空襲などで焼失しては再建を繰り返したのだから止むを得ないかもしれない。

 ラーメン屋ばかりがやたら目立つ芝界隈をぐるぐる歩き回り、鬼平の「小玉屋」みたいなシブい蕎麦屋を探す。



(創業明治十五年・・・か。ここにしよう)



 飾られた料理サンプルが焼けちゃっている。百三十年を超える老舗ということになるから、まあしょうがないだろう。創業したのが明治十五年(1882年)だから、きっと初代主人は江戸時代末期の生まれだろう。
 入り口から覗くと、テーブル席に灰皿が置いてある。



 暖簾を潜って入ると、テーブル席のみの店だった。卓にはメニューが置いておらず、壁のメニューから選ぶようだ。



 煙草が吸えるのでとりあえず蕎麦前を頼むと、辛口の菊正宗が運ばれてきてちょいと頬がゆるむ。



 他のテーブル席の注文を聞いていると、カレー南蛮とかカレーライスとかが連発していた。

 酒のお代わりと、半カレーライスとかけそばのセットを注文する。



 運ばれた膳にソースが載っていてびっくりした。カレーに使えということなのだろう。カレーは深谷の伊勢屋を思い出す色合いである。
 ソースを掛けてカレーを食べたことは一度もないが、ひとくち食べてなるほどとあっさり掟を破って掛けることにした。「ソース使ってね」の意思表示は、旨いと評判のカレーがレトルトだった蕎麦屋より正直でよろしい。

 蕎麦前とソース掛けのカレーライスと真っ正直味のかけそば、なんとも味わいのある昼食であった。


  →「愛宕権現」の記事はこちら
  →「湯島天神~神田明神~柳森神社(1)」の記事はこちら
  →「湯島天神~神田明神~柳森神社(2)」の記事はこちら
  →「幸せの黄色いカレー」の記事はこちら
  →「カレーなる剽窃」の記事はこちら

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« おやひこさまの湯(1) | トップ | おやひこさまの湯(2) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ぶらり・フォト・エッセイ」カテゴリの最新記事