<続・別所温泉(2)>
浴室の扉をあけて中に一歩入ると、そこには期待したとおりに硫黄のいい匂いがたちこめていた。
よし、いいぞいいぞ。思わず深く息を胸いっぱいに吸ってしまう。それくらい、温泉好きにはどうにも堪らなく芳しい香りである。掛け湯をして湯船にゆっくりと身体を沈める。
旅番組だったり、映画だったり、画像を観て旅心を誘われるものだが、本などの文章がきっかけになることもわたしの場合は多い。
『岩壁に穿たれた穴から湧きだしている温泉は、板と丸太を組み合わせた四坪ほどの浴槽から
惜しげもなくあふれていた。
ふとい柱にささえられた板屋根の浴舎は、まことに素朴なものだが、この温泉のゆたかさ、すばらしさは
向井佐平次にとって、瞠目すべきものであった。
はなしには聞いていても、温泉に身をひたしたことは、かつて一度もない。
(これが、地から湧き出る温泉というものか・・・・・・)
日に二度ほど、温泉に身を沈めるたびに、感嘆せずにはいられない。
(いで湯とは、まことにぜいたくきわまるものだ)
であった。
戦陣の間はむろんのこと、古府中城下の足軽長屋に住み暮らしていたときでも、湯をわかして入浴するのは
月のうちに三度か四度で、夏になれば、川での水浴が当然だったのに、ここでは昼も夜も、
とめどなく温泉が湧き、あふれ出ている。湯浴みする人のあるなしにかかわらずである。
浴舎には、温泉の硫黄の匂いが湯けむりと共にたちこめていた。』
新潮文庫 池波正太郎著「真田太平記 (1)天魔の夏」より
これが、今回の別所温泉にいく誘い水というかきっかけになった文章である。
内湯で充分に身体を温めてから露天風呂へ。
風で吹き飛ばされたのか、はたまた内湯で鼻を酷使したせいなのか、硫黄の香りも薄いというか感じられなかった。外気温が低いせいか湯がぬるく、内湯へ飛んで戻った。
(あれっ、ここの温泉って飲めるんだ!)
硫黄の香りで興奮したせいか、湯口のところで飲泉できることにまったく気がつかなかったのである。
部屋に戻ると昼間に買ってお土産のつもりだった日本酒で、急遽くつろぐことにした。常温で呑んでも、あと味すっきりの辛口で相当に旨い。
上田にある旧北国街道沿いの柳町はかっては旅籠屋や商家が軒を連ねて、参勤交代の大名や佐渡金山の金の通路として賑わった。
通りはずれでみつけた、近くの海禅寺から引いた湧水「保命水」で喉の渇きをいやした。
いまでも江戸の面影を残す通りにある、江戸時代前期の寛文五年(1665年)創業という造り酒屋「岡崎酒造」である。
銘酒「亀齢(きれい)」醸造元であり、全国でも数少ない女性杜氏の酒蔵としても知られている。
試飲もせずに、銘柄だけで買ってきた「小堺屋平助(こさかいやへいすけ)」という辛口の日本酒は一般には流通していない。
二杯目を呑み始めたところで漸く平静さをとりもどす。
ジツは、さきほど露天風呂から戻って内湯のなかでコップを使って飲んでいたとき、浴室に入ってきた新客をみてドキリとした。アメリカ人だかヨーロッパ人だかわからないが、小柄な中年外人だったのである。
狭い浴槽のわたしの横に滑り込むように入って並んでの入浴となってしまい、緊張は極限に達した。幸い、会釈を交わすだけでなにごともなく切り抜けられたのだが、嬉野温泉での失敗が素早くグルグルと頭を過ぎったのだった。
― 続く ―
→「続・別所温泉(1)」の記事はこちら
→「読んだ本 2017年10月」の記事はこちら
→「嬉野温泉(1)」の記事はこちら
→「嬉野温泉(2)」の記事はこちら
浴室の扉をあけて中に一歩入ると、そこには期待したとおりに硫黄のいい匂いがたちこめていた。
よし、いいぞいいぞ。思わず深く息を胸いっぱいに吸ってしまう。それくらい、温泉好きにはどうにも堪らなく芳しい香りである。掛け湯をして湯船にゆっくりと身体を沈める。
旅番組だったり、映画だったり、画像を観て旅心を誘われるものだが、本などの文章がきっかけになることもわたしの場合は多い。
『岩壁に穿たれた穴から湧きだしている温泉は、板と丸太を組み合わせた四坪ほどの浴槽から
惜しげもなくあふれていた。
ふとい柱にささえられた板屋根の浴舎は、まことに素朴なものだが、この温泉のゆたかさ、すばらしさは
向井佐平次にとって、瞠目すべきものであった。
はなしには聞いていても、温泉に身をひたしたことは、かつて一度もない。
(これが、地から湧き出る温泉というものか・・・・・・)
日に二度ほど、温泉に身を沈めるたびに、感嘆せずにはいられない。
(いで湯とは、まことにぜいたくきわまるものだ)
であった。
戦陣の間はむろんのこと、古府中城下の足軽長屋に住み暮らしていたときでも、湯をわかして入浴するのは
月のうちに三度か四度で、夏になれば、川での水浴が当然だったのに、ここでは昼も夜も、
とめどなく温泉が湧き、あふれ出ている。湯浴みする人のあるなしにかかわらずである。
浴舎には、温泉の硫黄の匂いが湯けむりと共にたちこめていた。』
新潮文庫 池波正太郎著「真田太平記 (1)天魔の夏」より
これが、今回の別所温泉にいく誘い水というかきっかけになった文章である。
内湯で充分に身体を温めてから露天風呂へ。
風で吹き飛ばされたのか、はたまた内湯で鼻を酷使したせいなのか、硫黄の香りも薄いというか感じられなかった。外気温が低いせいか湯がぬるく、内湯へ飛んで戻った。
(あれっ、ここの温泉って飲めるんだ!)
硫黄の香りで興奮したせいか、湯口のところで飲泉できることにまったく気がつかなかったのである。
部屋に戻ると昼間に買ってお土産のつもりだった日本酒で、急遽くつろぐことにした。常温で呑んでも、あと味すっきりの辛口で相当に旨い。
上田にある旧北国街道沿いの柳町はかっては旅籠屋や商家が軒を連ねて、参勤交代の大名や佐渡金山の金の通路として賑わった。
通りはずれでみつけた、近くの海禅寺から引いた湧水「保命水」で喉の渇きをいやした。
いまでも江戸の面影を残す通りにある、江戸時代前期の寛文五年(1665年)創業という造り酒屋「岡崎酒造」である。
銘酒「亀齢(きれい)」醸造元であり、全国でも数少ない女性杜氏の酒蔵としても知られている。
試飲もせずに、銘柄だけで買ってきた「小堺屋平助(こさかいやへいすけ)」という辛口の日本酒は一般には流通していない。
二杯目を呑み始めたところで漸く平静さをとりもどす。
ジツは、さきほど露天風呂から戻って内湯のなかでコップを使って飲んでいたとき、浴室に入ってきた新客をみてドキリとした。アメリカ人だかヨーロッパ人だかわからないが、小柄な中年外人だったのである。
狭い浴槽のわたしの横に滑り込むように入って並んでの入浴となってしまい、緊張は極限に達した。幸い、会釈を交わすだけでなにごともなく切り抜けられたのだが、嬉野温泉での失敗が素早くグルグルと頭を過ぎったのだった。
― 続く ―
→「続・別所温泉(1)」の記事はこちら
→「読んだ本 2017年10月」の記事はこちら
→「嬉野温泉(1)」の記事はこちら
→「嬉野温泉(2)」の記事はこちら
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます