<おむすびとひっつみ、ついでに冷麺>
昼時、旅人が街道をはずれて河原に降りてくる。
三度笠を脱いで、振り分け荷物を肩からおろして水辺に近寄る。せせらぎで手を洗い、口を漱ぎ、ついでに顔の汗を洗い落とす。
大きめな石塊を選んで腰をかけて、経木の皮に包まれた弁当を使う。
たいていは白いご飯の塩おむすびである。これをむしゃむしゃと頬張り、お新香をつまんでポリポリ齧り、竹筒にはいった水で流し込む。
全部平らげると、せせらぎのなかの清流部分をみつけ、そこに竹筒を沈めて水を補充して荷物をかついで三度笠を被り、また街道に戻って歩き出す。
股旅物の映画やテレビドラマで見掛けるシーンだ。
この場面になると、いつも「ああ、おむすび食べたい。いますぐ食べたい」とわたしは思ったものだ。いまでも条件反射で思う。
おむすび・・・握り飯・・・日本人なら嫌いな人はあまりいないのではないか。きっと日本人の遺伝子にはガッチリと組み込まれているのだ。
遠野のふるさと村。
なかを観て回るまえに小腹を満たすため、玄関のビジターセンター風樹舎の入り口脇にあるレストランにはいった。
郷土料理を中心としたメニューのなかに「おむすび」というのを見つけてしまった。
うーん、これだこれ。この山里の風景の雰囲気のなかではぜひとも食いたい。おむすび一個もなんだし、二個もいらないし・・・そうだ、昨日盛岡で食べて気に入った「ひっつみ」にしよう。
開いたばかりで空いていたが、客がはいりだし、あちこちの席が埋まっていく。ジンギスカン(遠野の名物らしい)もあるようで、これは外のテラス席で食べるようだ。
頼んでいたものが運ばれてきたが、いかにも旨そうな「おむすび」に、あちこちのテーブルから熱い視線を感じる。
大きな握り飯をガッシと鷲掴みにして、ぱくっと咬みつきモシャモシャ頬張る。他の客、とくに男性客の視線が「おむすび」一点に無数に刺さった。
(旨い!)
とばかりに、ひとり頷き、ひっつみの汁を啜る。
オレもおむすびを追加注文しようかと、メニューを確認する客もいるようである。
盛岡で食べた「ひっつみ」は魚介も入った濃厚な出汁であったが、遠野のは鶏と醤油で全体にさらりと上品な味わいであった。
この上品な出汁には、「にゅうめん」を入れて食べたらきっと旨いだろう。もちろん、これはこれで完成された料理であることは間違いないのだが。
気温があがるなか、ふるさと村をゆっくりひと回りすると、また小腹が減った。わたしは夜はもっぱら呑むので、朝と昼にけっこう食べるほうなのだ。
さきほどのレストランにはいると、暑かったせいか、冷麺に眼が行ってしまう。冷たいものを口にいれたい。
(食べられるだけ食べて、あとは残せばいいだろう)
と、割り切って注文する。どうせ、今夜の宿は夕食はないのだ、腹いっぱいになってもかまわない。
初めて冷麺を食べたのは、盛岡の老舗焼肉店だった。もちろん冷麺でも超有名店である。
食べた冷麺の、麺の歯応えがどうにもゴムのようで、一回で嫌いになった。それ以来食べていない。
林檎もはいって彩りもいい。
恐る恐る、箸をつけてみた。
これがなんとも旨かった。麺が違うとこんなに食べられるのかと驚く。
本場の盛岡で冷麺嫌いになったのが、離れた遠野で治ってしまったのは以外であった。
→「南部ひっつみ」の記事はこちら
→「マルカンデパート大食堂(1)」の記事はこちら
→「マルカンデパート大食堂(2)」の記事はこちら
昼時、旅人が街道をはずれて河原に降りてくる。
三度笠を脱いで、振り分け荷物を肩からおろして水辺に近寄る。せせらぎで手を洗い、口を漱ぎ、ついでに顔の汗を洗い落とす。
大きめな石塊を選んで腰をかけて、経木の皮に包まれた弁当を使う。
たいていは白いご飯の塩おむすびである。これをむしゃむしゃと頬張り、お新香をつまんでポリポリ齧り、竹筒にはいった水で流し込む。
全部平らげると、せせらぎのなかの清流部分をみつけ、そこに竹筒を沈めて水を補充して荷物をかついで三度笠を被り、また街道に戻って歩き出す。
股旅物の映画やテレビドラマで見掛けるシーンだ。
この場面になると、いつも「ああ、おむすび食べたい。いますぐ食べたい」とわたしは思ったものだ。いまでも条件反射で思う。
おむすび・・・握り飯・・・日本人なら嫌いな人はあまりいないのではないか。きっと日本人の遺伝子にはガッチリと組み込まれているのだ。
遠野のふるさと村。
なかを観て回るまえに小腹を満たすため、玄関のビジターセンター風樹舎の入り口脇にあるレストランにはいった。
郷土料理を中心としたメニューのなかに「おむすび」というのを見つけてしまった。
うーん、これだこれ。この山里の風景の雰囲気のなかではぜひとも食いたい。おむすび一個もなんだし、二個もいらないし・・・そうだ、昨日盛岡で食べて気に入った「ひっつみ」にしよう。
開いたばかりで空いていたが、客がはいりだし、あちこちの席が埋まっていく。ジンギスカン(遠野の名物らしい)もあるようで、これは外のテラス席で食べるようだ。
頼んでいたものが運ばれてきたが、いかにも旨そうな「おむすび」に、あちこちのテーブルから熱い視線を感じる。
大きな握り飯をガッシと鷲掴みにして、ぱくっと咬みつきモシャモシャ頬張る。他の客、とくに男性客の視線が「おむすび」一点に無数に刺さった。
(旨い!)
とばかりに、ひとり頷き、ひっつみの汁を啜る。
オレもおむすびを追加注文しようかと、メニューを確認する客もいるようである。
盛岡で食べた「ひっつみ」は魚介も入った濃厚な出汁であったが、遠野のは鶏と醤油で全体にさらりと上品な味わいであった。
この上品な出汁には、「にゅうめん」を入れて食べたらきっと旨いだろう。もちろん、これはこれで完成された料理であることは間違いないのだが。
気温があがるなか、ふるさと村をゆっくりひと回りすると、また小腹が減った。わたしは夜はもっぱら呑むので、朝と昼にけっこう食べるほうなのだ。
さきほどのレストランにはいると、暑かったせいか、冷麺に眼が行ってしまう。冷たいものを口にいれたい。
(食べられるだけ食べて、あとは残せばいいだろう)
と、割り切って注文する。どうせ、今夜の宿は夕食はないのだ、腹いっぱいになってもかまわない。
初めて冷麺を食べたのは、盛岡の老舗焼肉店だった。もちろん冷麺でも超有名店である。
食べた冷麺の、麺の歯応えがどうにもゴムのようで、一回で嫌いになった。それ以来食べていない。
林檎もはいって彩りもいい。
恐る恐る、箸をつけてみた。
これがなんとも旨かった。麺が違うとこんなに食べられるのかと驚く。
本場の盛岡で冷麺嫌いになったのが、離れた遠野で治ってしまったのは以外であった。
→「南部ひっつみ」の記事はこちら
→「マルカンデパート大食堂(1)」の記事はこちら
→「マルカンデパート大食堂(2)」の記事はこちら
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます