<京都、鯖街道口で鯖寿司を>
わたしと“鯖”との秘かなつきあいが始まったのは、なんと働きはじめてからのことだった。(こんなしょうもない鯖アレルギーの話、一遍も話題にしたこともないのだが今回は書かせていただく)
なぜかというと、父が鯖を食べると決まってひどい蕁麻疹が出ることから、その血筋を受け継ぐ子どもたちにもきっとあるにちがいないと母が危惧して、我が家に鯖が食卓にのぼることは皆無だったのである。
たしかに体質遺伝はあるかもしれず、いまでも鯖を口に入れるたびに、正直、一抹どころでない不安を感じる。このまま“サバ禁一族“の一員として生涯食さないことも可能だが、母の血筋を光明にすこしずつ関係修復していこうと秘かに決めたのだった。わたしには、すこぶる気が長いところがあるのだ。
ポピュラーな鯖の塩焼きから鯖の味噌煮とゆっくり段階をふんで、鯖の燻製、糠漬けの“へしこ”と、とにかく、途方もない長い月日を掛けて、慎重に一歩一歩つきあってきたのだった。
若狭の国(福井県)から京都に続く「若狭街道」は、戦国時代から江戸時代にかけて、若狭の海で獲れた海の幸(代表的なのが鯖だ)がこの道を通って京都に運ばれたことから別名「鯖街道」と呼ばれるようになった。
その鯖街道だが、現在の地名でいうと福井県小浜市から若狭町三宅を経由して、京都市左京区の出町商店街に至るルートである。
若狭湾で取れた鯖は、行商人に担がれて徒歩で京都に運ばれた。冷凍保存の技術のなかった当時、日本海で捕れた鯖を塩で締めて輸送された。京都まで輸送するのに丸一日を要し、そのため京都に着く頃に鯖はちょうど良い塩加減になり、重宝されたという。現在でも、京都の三大祭や、府内各地の秋祭りなどには「鯖寿司」を食べる風習が残っている。
(もう少し時間潰せば、ランチタイムの混雑が引けるだろう・・・)
腕時計を睨みながら思う。柳と石票のある「出町橋」を渡り、鴨川の河原で一服するか。京都は国際的観光都市だから、喫煙場所を探すのに苦労する。
街中を流れる鴨川だが、天然鮎が遡上してくるほど水質は改善されているというから驚く。魚種だがオイカワ、ヨシノボリ、モロコ、ハヤ、フナなど三十種類の魚が確認されているという。
(あれは飛び石・・・か)
鴨川には飛び石があるところが五カ所あるそうである。場所によって千鳥、舟、亀、おにぎりというデザインブロックが、使われているという。
飛び石を渡ってみたいけれど、カップルとか犬連れ子連れなら絵になるが、いい年の男独りじゃサマにならない。それに往復しなければならないのであきらめる。
出町桝形商店街・・・あそこだ。
商店街入ってすぐにある、創業百年といわれる「満寿形屋(ますがたや)」は、昭和の匂いがぷんぷん漂う大衆食堂だ。料理にはこの地から湧き出る地下水を使い、古くからの調理法をもってすべてのメニューを供しているという。
入ると満席で、店の外で待たされた。
店内は小綺麗で懐かしい雰囲気で、小ぶりなテーブル席が犇めくようにならんでいる。感染対策はアクリル板などを用いない、相席させないシステムのようだ。
指定された席に座ると、あらかじめ決めていた<鯖寿司ときつねうどん>のセットを注文する。
緊張しているうちに、ついに運ばれてきた。
ぶ厚い二切れの、美しい、輝くような鯖寿司。
巻かれた薄い白板昆布の下から、山椒の葉が艶めかしく透けていて、まるで美術品のようである。今回は脇役のうどんはと見れば、揚げと笹打ちされた九条葱が、たっぷりの京都風あんかけっぽい薄い出汁に浮かんでいて、こちらも実に絵になる。
いざ、まずは主役の鯖寿司から・・・。
自信を持って口に入れる。なあに、小手調べとして和歌山ラーメン「井出商店」の可愛い早寿司までたどり着いているのである。
鯖はというと、山椒と昆布も相まって芳醇といった得も言えぬ旨みである。ご飯のほうも意外に見た目よりふんわりとして酢の効きもやわらかい。酸っぱさと甘さが絶にして妙で、ジツに美味しい。
脇役の、俗に「京の腰抜けうどん」と言うがそれほどでなく、どうしてどうして風味たっぷりのとても美味で、脇役の役目を全うしてくれた。
気がつけば、醤油も七味も一切使わず、あっという間に平らげてしまったのだった。
さあてと、この次の鯖は大阪のバッテラにするかな。
→「十条の鯖燻(3)」の記事はこちら
→「名古屋、ロジネコ食堂のへしこ」の記事はこちら
→「抹茶一服からの和歌山ラーメン(2)」の記事はこちら
わたしと“鯖”との秘かなつきあいが始まったのは、なんと働きはじめてからのことだった。(こんなしょうもない鯖アレルギーの話、一遍も話題にしたこともないのだが今回は書かせていただく)
なぜかというと、父が鯖を食べると決まってひどい蕁麻疹が出ることから、その血筋を受け継ぐ子どもたちにもきっとあるにちがいないと母が危惧して、我が家に鯖が食卓にのぼることは皆無だったのである。
たしかに体質遺伝はあるかもしれず、いまでも鯖を口に入れるたびに、正直、一抹どころでない不安を感じる。このまま“サバ禁一族“の一員として生涯食さないことも可能だが、母の血筋を光明にすこしずつ関係修復していこうと秘かに決めたのだった。わたしには、すこぶる気が長いところがあるのだ。
ポピュラーな鯖の塩焼きから鯖の味噌煮とゆっくり段階をふんで、鯖の燻製、糠漬けの“へしこ”と、とにかく、途方もない長い月日を掛けて、慎重に一歩一歩つきあってきたのだった。
若狭の国(福井県)から京都に続く「若狭街道」は、戦国時代から江戸時代にかけて、若狭の海で獲れた海の幸(代表的なのが鯖だ)がこの道を通って京都に運ばれたことから別名「鯖街道」と呼ばれるようになった。
その鯖街道だが、現在の地名でいうと福井県小浜市から若狭町三宅を経由して、京都市左京区の出町商店街に至るルートである。
若狭湾で取れた鯖は、行商人に担がれて徒歩で京都に運ばれた。冷凍保存の技術のなかった当時、日本海で捕れた鯖を塩で締めて輸送された。京都まで輸送するのに丸一日を要し、そのため京都に着く頃に鯖はちょうど良い塩加減になり、重宝されたという。現在でも、京都の三大祭や、府内各地の秋祭りなどには「鯖寿司」を食べる風習が残っている。
(もう少し時間潰せば、ランチタイムの混雑が引けるだろう・・・)
腕時計を睨みながら思う。柳と石票のある「出町橋」を渡り、鴨川の河原で一服するか。京都は国際的観光都市だから、喫煙場所を探すのに苦労する。
街中を流れる鴨川だが、天然鮎が遡上してくるほど水質は改善されているというから驚く。魚種だがオイカワ、ヨシノボリ、モロコ、ハヤ、フナなど三十種類の魚が確認されているという。
(あれは飛び石・・・か)
鴨川には飛び石があるところが五カ所あるそうである。場所によって千鳥、舟、亀、おにぎりというデザインブロックが、使われているという。
飛び石を渡ってみたいけれど、カップルとか犬連れ子連れなら絵になるが、いい年の男独りじゃサマにならない。それに往復しなければならないのであきらめる。
出町桝形商店街・・・あそこだ。
商店街入ってすぐにある、創業百年といわれる「満寿形屋(ますがたや)」は、昭和の匂いがぷんぷん漂う大衆食堂だ。料理にはこの地から湧き出る地下水を使い、古くからの調理法をもってすべてのメニューを供しているという。
入ると満席で、店の外で待たされた。
店内は小綺麗で懐かしい雰囲気で、小ぶりなテーブル席が犇めくようにならんでいる。感染対策はアクリル板などを用いない、相席させないシステムのようだ。
指定された席に座ると、あらかじめ決めていた<鯖寿司ときつねうどん>のセットを注文する。
緊張しているうちに、ついに運ばれてきた。
ぶ厚い二切れの、美しい、輝くような鯖寿司。
巻かれた薄い白板昆布の下から、山椒の葉が艶めかしく透けていて、まるで美術品のようである。今回は脇役のうどんはと見れば、揚げと笹打ちされた九条葱が、たっぷりの京都風あんかけっぽい薄い出汁に浮かんでいて、こちらも実に絵になる。
いざ、まずは主役の鯖寿司から・・・。
自信を持って口に入れる。なあに、小手調べとして和歌山ラーメン「井出商店」の可愛い早寿司までたどり着いているのである。
鯖はというと、山椒と昆布も相まって芳醇といった得も言えぬ旨みである。ご飯のほうも意外に見た目よりふんわりとして酢の効きもやわらかい。酸っぱさと甘さが絶にして妙で、ジツに美味しい。
脇役の、俗に「京の腰抜けうどん」と言うがそれほどでなく、どうしてどうして風味たっぷりのとても美味で、脇役の役目を全うしてくれた。
気がつけば、醤油も七味も一切使わず、あっという間に平らげてしまったのだった。
さあてと、この次の鯖は大阪のバッテラにするかな。
→「十条の鯖燻(3)」の記事はこちら
→「名古屋、ロジネコ食堂のへしこ」の記事はこちら
→「抹茶一服からの和歌山ラーメン(2)」の記事はこちら
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