<浄土ヶ浜>
車で行く長距離の旅には距離感といったものが必要だと思う。距離感といっても、わたしの場合には、時間で換算するのである。
たとえば横浜から京都までの距離は約五百キロである。
所要時間はどれくらいかかるであろうか。高速道路で一時間当たり時速百キロ走行するとして「五時間!」などと、運転をしないひとは言うかもしれないがそれは無理、まったく現実的ではない。
日本では真っすぐな道路はあり得ないし、起伏もあれば渋滞もある。長距離走行だから燃料給油、食事やトイレ休憩などの時間も必要である。もちろん雨風などの気象条件も影響する。
高速での一時間当たりの走行距離を、わたしは体験的に「七十キロ」前後(プラスマイナス十キロ)と考える。もちろんこれは実際の走行速度とは違う。
だから、五百キロであれば大体八時間見当である。運が良く渋滞がまるでなければ一時間当たり八十キロ走行でいけるし、軽く一回仮眠すれば六十キロであろう。
下道ならばどうか。
片側一車線などという道が多く追い越しもままならず、脇道からの侵入も予測注意し、信号もある。先導の車がトラックや速度厳守の車だったりする。
だからこれは高速の半分近い、一時間当たり「四十キロ」前後が妥当で、都市圏などではさらに低く三十キロくらいだろう。
宮古市にある浄土ヶ浜は、ひと言で言うと、遠い。
盛岡南インターから下道で約百キロあるのだ。一時間当たり「四十キロ」として二時間半かかるのだ。実際には信号が少なかったりしたこともあり、二時間で到着した。
いやぁー、とにかく遠かった・・・。
朝、福島県の郡山からほとんど休憩なしで四百キロ以上走り続けたので、その実感があるのだ。
その遠くまで来たことへの、まるで「褒美」のような景色だ。
浄土ヶ浜は陸中海岸国立公園に属している、三陸を代表する景勝地である。
約五千二百万年前・・・という気の遠くなる昔に形成された白い火山岩塊により、外海と隔てられた、波穏やかな入江である。
すぐそばの水際に海鳥がいる。
打ち寄せる海の水は、たしかに穏やかで、思いのほか澄明であった。
遠くからでは白浜にみえるが、実際は白い石塊の欠片である。
この海岸名の由来は、天和年間に曹洞宗の宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖が、
「さながら極楽浄土のごとし」
と感嘆したことから名付けられたとする説が一般的だが、この地域に広く浸透していた恐山信仰や隠し念仏の信仰の影響により称されはじめた地名との説もある。
入江を形成する岩塊の裏側は荒波の浸食を受けて、入り江側とは対照的な景観が見られ、「剣の山」「賽の河原」「血の池」など、青森にある恐山の地名と同じ名称で呼ばれているそうだ。
あの宮沢賢治はここ浄土ヶ浜を訪れて、
「うるはしの海のビロード昆布らは寂光のはまに敷かれひかりぬ」
という歌をよんだ。
白い火山岩と赤松などの常緑樹、清らかな青い海水の組み合わせで、あたかも京都あたりの名刹にある日本庭園のような美しい景観である。
遠かったが、それだけにわたしは満足感で満たされた。
車で行く長距離の旅には距離感といったものが必要だと思う。距離感といっても、わたしの場合には、時間で換算するのである。
たとえば横浜から京都までの距離は約五百キロである。
所要時間はどれくらいかかるであろうか。高速道路で一時間当たり時速百キロ走行するとして「五時間!」などと、運転をしないひとは言うかもしれないがそれは無理、まったく現実的ではない。
日本では真っすぐな道路はあり得ないし、起伏もあれば渋滞もある。長距離走行だから燃料給油、食事やトイレ休憩などの時間も必要である。もちろん雨風などの気象条件も影響する。
高速での一時間当たりの走行距離を、わたしは体験的に「七十キロ」前後(プラスマイナス十キロ)と考える。もちろんこれは実際の走行速度とは違う。
だから、五百キロであれば大体八時間見当である。運が良く渋滞がまるでなければ一時間当たり八十キロ走行でいけるし、軽く一回仮眠すれば六十キロであろう。
下道ならばどうか。
片側一車線などという道が多く追い越しもままならず、脇道からの侵入も予測注意し、信号もある。先導の車がトラックや速度厳守の車だったりする。
だからこれは高速の半分近い、一時間当たり「四十キロ」前後が妥当で、都市圏などではさらに低く三十キロくらいだろう。
宮古市にある浄土ヶ浜は、ひと言で言うと、遠い。
盛岡南インターから下道で約百キロあるのだ。一時間当たり「四十キロ」として二時間半かかるのだ。実際には信号が少なかったりしたこともあり、二時間で到着した。
いやぁー、とにかく遠かった・・・。
朝、福島県の郡山からほとんど休憩なしで四百キロ以上走り続けたので、その実感があるのだ。
その遠くまで来たことへの、まるで「褒美」のような景色だ。
浄土ヶ浜は陸中海岸国立公園に属している、三陸を代表する景勝地である。
約五千二百万年前・・・という気の遠くなる昔に形成された白い火山岩塊により、外海と隔てられた、波穏やかな入江である。
すぐそばの水際に海鳥がいる。
打ち寄せる海の水は、たしかに穏やかで、思いのほか澄明であった。
遠くからでは白浜にみえるが、実際は白い石塊の欠片である。
この海岸名の由来は、天和年間に曹洞宗の宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖が、
「さながら極楽浄土のごとし」
と感嘆したことから名付けられたとする説が一般的だが、この地域に広く浸透していた恐山信仰や隠し念仏の信仰の影響により称されはじめた地名との説もある。
入江を形成する岩塊の裏側は荒波の浸食を受けて、入り江側とは対照的な景観が見られ、「剣の山」「賽の河原」「血の池」など、青森にある恐山の地名と同じ名称で呼ばれているそうだ。
あの宮沢賢治はここ浄土ヶ浜を訪れて、
「うるはしの海のビロード昆布らは寂光のはまに敷かれひかりぬ」
という歌をよんだ。
白い火山岩と赤松などの常緑樹、清らかな青い海水の組み合わせで、あたかも京都あたりの名刹にある日本庭園のような美しい景観である。
遠かったが、それだけにわたしは満足感で満たされた。
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