<秋田、千秋公園>
秋田市の名勝「千秋公園」である。
秋田藩主佐竹氏が約二百七十年にわたって居城とした久保田城の本丸、二の丸跡地に整備された城跡公園だ。
千秋公園とは、なかなかいい字面と語感を持った名前である。
公園の名称「千秋(せんしゅう)」は、秋田の「秋」に、長久の意味の「千」を冠して長い繁栄を祈ったと伝えられ、秋田市出身の漢学者狩野良知による命名である。当初の名称は「千秋園」であったそうだ。
もしかして「一日千秋の思い」という言葉から取ったのかなあ・・・と思っていたら違っていた。
久保田城表門、正門で一ノ門とも呼ばれていた。何度か火災にあっては再建されたもので、木造二階建て瓦葺き櫓門である。
「桜の名所百選」に選定されている公園なのだが、残念ながら桜は散ってしまっている。
一本だけ、場所のせいなのだろうか頑張っている桜をみつけて心が和む。
それでも八重桜は、まだ公園のあちこちでしぶとく元気に咲いていた。
現代でもそうだが、人はなんどか、望む望まないにかかわらず岐路に立たされ、右への路をとるか左へ行くかの決断を自らせねばならないときがある。
天下分け目の関ヶ原の合戦に際し、諸大名は、東軍(家康)につくか西軍(三成)につくかのどちらかを迫られた。家の存亡がかかる重い決断である。
謀将といわれた真田昌幸といえば、自身は次男の信繁(幸村)とともに西軍につき、長男の信幸(のちに信之)は東軍につかせたという。東軍西軍のどちらが勝っても真田家を存続させるためである。
常陸の大名佐竹義宣は西軍につこうとするが、父である「坂東太郎」の異名をとる佐竹義重は東軍に与するべきと親子間で対立する。ために、どちらつかずの態度になってしまう。上杉との密約などの噂も流れた。
東軍が勝利し参戦した大名達には論功行賞として領地の加増が大盤振る舞いされたが、佐竹氏への処遇は常陸水戸五十万石から出羽秋田二十万石への減転封であった。
高台に建つ、城の雰囲気を残す「御隅櫓」の上にある展望室に登ると、秋田市街地が一望できる。櫓は城内に八か所あったそうだ。
公園内にある、趣深い「彌高(いやたか)神社」。
江戸時代のころの建築であるため、権現造の形式の社殿である。
そういえば京都では「お礼参り」のような願掛けが少なくないという。たとえば安産祈願であれば「じょうぶな赤ちゃんを産むことができて、ありがとうございます」というような。
数多の参拝者の願掛けのなかで、いきなりお礼から始める願掛けに「あれ、そうだったかいな」と神仏が驚き、順番を飛び越えて優先して叶えてくれそうである。
つつじ祭りにはまだ一週間ほど早いが、ひと群れのつつじが静かに見送ってくれた。
秋田市の名勝「千秋公園」である。
秋田藩主佐竹氏が約二百七十年にわたって居城とした久保田城の本丸、二の丸跡地に整備された城跡公園だ。
千秋公園とは、なかなかいい字面と語感を持った名前である。
公園の名称「千秋(せんしゅう)」は、秋田の「秋」に、長久の意味の「千」を冠して長い繁栄を祈ったと伝えられ、秋田市出身の漢学者狩野良知による命名である。当初の名称は「千秋園」であったそうだ。
もしかして「一日千秋の思い」という言葉から取ったのかなあ・・・と思っていたら違っていた。
久保田城表門、正門で一ノ門とも呼ばれていた。何度か火災にあっては再建されたもので、木造二階建て瓦葺き櫓門である。
「桜の名所百選」に選定されている公園なのだが、残念ながら桜は散ってしまっている。
一本だけ、場所のせいなのだろうか頑張っている桜をみつけて心が和む。
それでも八重桜は、まだ公園のあちこちでしぶとく元気に咲いていた。
現代でもそうだが、人はなんどか、望む望まないにかかわらず岐路に立たされ、右への路をとるか左へ行くかの決断を自らせねばならないときがある。
天下分け目の関ヶ原の合戦に際し、諸大名は、東軍(家康)につくか西軍(三成)につくかのどちらかを迫られた。家の存亡がかかる重い決断である。
謀将といわれた真田昌幸といえば、自身は次男の信繁(幸村)とともに西軍につき、長男の信幸(のちに信之)は東軍につかせたという。東軍西軍のどちらが勝っても真田家を存続させるためである。
常陸の大名佐竹義宣は西軍につこうとするが、父である「坂東太郎」の異名をとる佐竹義重は東軍に与するべきと親子間で対立する。ために、どちらつかずの態度になってしまう。上杉との密約などの噂も流れた。
東軍が勝利し参戦した大名達には論功行賞として領地の加増が大盤振る舞いされたが、佐竹氏への処遇は常陸水戸五十万石から出羽秋田二十万石への減転封であった。
高台に建つ、城の雰囲気を残す「御隅櫓」の上にある展望室に登ると、秋田市街地が一望できる。櫓は城内に八か所あったそうだ。
公園内にある、趣深い「彌高(いやたか)神社」。
江戸時代のころの建築であるため、権現造の形式の社殿である。
そういえば京都では「お礼参り」のような願掛けが少なくないという。たとえば安産祈願であれば「じょうぶな赤ちゃんを産むことができて、ありがとうございます」というような。
数多の参拝者の願掛けのなかで、いきなりお礼から始める願掛けに「あれ、そうだったかいな」と神仏が驚き、順番を飛び越えて優先して叶えてくれそうである。
つつじ祭りにはまだ一週間ほど早いが、ひと群れのつつじが静かに見送ってくれた。
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