夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

塩川文麟 その2 寿老人童子之図 

2012-06-30 07:07:47 | 掛け軸
いままで幾人の方から作品のリストや預かりなどを御願いされましたが、引き取ってから何の御礼もない人におめにかかりました。はじめててですが、非常に後味が悪いものです。遺産相続の決着がついたらしいですが、収集した郷里のお父様のお意思に反して二束三文で売ってしまうのが関の山でしょう

骨董の作品は人につくものです。礼に反するような人には長くは居ません。

本日は塩川文麟の第二作目です。ちょっと型にはまった絵ですが、吉祥の図ということで掲載します。


寿老人童子之図 塩川文麟筆
絹本水墨軸装 軸先陶磁器 合箱
全体サイズ:縦1830*横520 画サイズ:縦1010*横380



「嘉永紀元仲冬 盬麟文」とあり、嘉永元年(1848年)、陰暦11月、塩川文麟が47歳頃の作品である。印章は白文朱方印「」、朱文方印「士温」の累印が押印されている。
参考作品 思文閣 墨蹟資料目録 「和の美」第443号 作品NO2 「楽其楽帖」掲載



このような長寿、子孫繁栄の図は明治から昭和初期までたくさん描かれていたようです。最近はこのような絵柄が大変少なくなりました。とくに子孫繁栄という願いと実践はどこへ・・。女性は結婚しないし、男性は扶養能力が乏しく・・。



鶴や亀のごとく長生きしたいのに食材はどんどん健康に悪いものばかり・・、とくに外食、できあいの食材はガンのもとばかり・・。



いつの時代も長生きの秘訣は質素倹約かもしれません。




塩川文麟:生年享和1 (1801)~ 没年明治10.5.11 (1877)。 幕末明治の画家。京都の人。字は士温,号は雲章,別号は可竹斎,竹斎,泉声など。通称は図書。幼くして父母を失い,父が仕えていた安井門跡(蓮華光院)の侍臣となる。門主のすすめで岡本豊彦に入門。山水画を得意とした。豊彦宅を訪れた呉春が文麟の画をみて,激賞したという。天保2(1831)年の『画乗要略』には,豊彦の弟子としてただひとり文麟の名が挙げられている。安政の御所造営(1855)に参加,新内裏に襖絵を制作した。明治1(1868)年画家の親睦団体である如雲社を主宰。京都画壇における絶対的指導者となった。教育者としてもすぐれ,近代京都画壇の育成に貢献した幸野楳嶺以下多くの俊英を門下から輩出させた。
77歳で没し,京都の一心院に葬られた。代表作「蛍図屏風」(スペンサー美術館蔵)<参考文献>


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